うさぎの裏話
出来ればもう二度と会いたくなかった、ダンジョンの死神の正体を知るナナシ。
突如大学内に登場した変態男の娘に連れてこられたのは、ダーツとビリヤードの楽しめる、隠れ家的な魅力を秘めたバーであった。
「……で、なんでビリヤードなんです? 話すならもっとあったでしょ?」
「この前おっさんに見せられた古くさいモノクロ映画にこういうシーンがあったんすよ。そのときふと思ったんすよね。こういう場所を仕事で使う事はあっても、単純にビリヤードで遊んだことなかったなって。つまりはそういうことっす」
店に着いてすぐ、明らかに公序良俗に反するバニースーツへわざわざ耳付きで着替えたというのに、何故か歩く猥褻物への注意の一つもされず。
それどころか丁重に扱われ、店長は頭が上がらないご様子で、俺にまでタキシードとウェルカムドリンクがサービスされてしまう始末。
更に言えばナナシがウィンクすれば、店主がサキュバスに魂まで抜かれたみたいにうっとり目を蕩けさせるのも気味が悪く、せっかくのドリンクの味もあんまりよく分からなかった。
……ダンジョンの死神相手とはいえ殺しへの躊躇いのなさといい、やはりこいつ、本来は堂々と表を歩いてはいけないタイプの人間なのでは?
「そーれーにー? ビリヤードならインチキしにくいんじゃないっすか? ねえ、死神くん?」
「……そういえばあんた、結局どこまで知ってるんだよ?」
「そうっすねぇ……うん、例えるなら答えが一生提示されないクイズのシンキング中って感じっすかね。ヒントもいっぱいあって、間違いなくこれが正解だろうって答えまでは辿り着いてるんだけど、肝心の出題者が答え合わせをしてくれないから確かめようのないジレンマ。愛しくて切なくて……これってまるで恋みたいっすよね?」
知らねえよ。ついでに心強さも抱いてろよ。
でも実際、ナナシの読みは正しく、ビリヤードは時間停止を活かしにくい競技ではある。
球の位置は基本固定だから動かしようがないし、転がる速度も並でしかないので変に干渉して軌道を変えても確実にバレてしまう。強いて言えば相手が打つ際にキューをずらして邪魔してやるくらいだが、正直
よって俺の頭で検索しようとも、ヒットするまともなイカサマはゼロ。キューを握ったのさえ人生振り返っても今日が初めてだってのに、早速純粋に実力を試されるというわけだ。
……ま、どうせこんな余興でわざわざむきになり、時間を止めてまで張り合うつもりは欠片もない。
どうせ本題はそこではないのだし、何より、最近そういう些細な所でも時間を止めたいと思えなくなってしまっている。昔は些細なことにも気にせず使っていたのに、最近の俺はどうなってるんだろうな。
「はい、ここで一つ、二級を目指す若人に簡単なクエスチョン! 前回の深層攻略はいつ起きたでしょうか? 制限時間は球が全部止まるまで!」
「……えっと、十五年前でしたっけ?」
「ザッツライト! 二人目の特級探索者、小野寺たかしをリーダーとした深層攻略。成功でありながら失敗とされたあの件から、ダンジョン庁は攻略を実質的に永久停止。おかげで今やダンジョンは攻略ではなく探索。未知を進むのではなく資源を得るための道具と化した、まさに日本ダンジョン界の停滞期ってわけっす」
カン、と。
突然に問いを投げてきたナナシは、思考開始とばかりに最初の白球を探索者的には優しく、一般的には強い絶妙な強さで突いて小気味好い音を鳴らす。
白球の衝突によって台の上を無作為に散らばるビリヤードのボール。
共に投げられた突然の問いへ半ば本能的に答えると、上出来だとばかりにナナシは笑顔でつらつらと語り始めてくれる。
日本ダンジョンは攻略から探索へ。
約十年前。二人目の特級探索者である小野寺たかしの引退を受け、とある新聞が見出しとして提示されたそれは、まさに現在までのこの時代を表している一文だ。
十五年前の深層攻略。
多くの犠牲と共に現在の下層三十九層までが拓かれたその日を最後に、東京ダンジョンの攻略は完全に止まってしまっていて、奥を拓くよりも資源を得るために力が注がれているのは否定できない。
分厚い氷の壁に道を閉ざされた北海道も、未だ解読の糸口さえない遺跡に阻まれた沖縄も同様。
隠し部屋の発見こそあるものの、それでもより奥底、ダンジョンの踏破への歩みはない。
まさに停滞期。日本のダンジョン探索には熱がないと、海外のダンジョン配信者に皮肉交じりの揶揄をされてしまうこともあるくらいには止まっている時代だ。
とはいえ、俺にはそれが悪いことだとは思えないんだよな。
海外と違って目新しい物が見つかるわけじゃないけど、それでも、枯渇する気配を見せない今、そう攻略にこだわることもないというのが持論だ。
まあそもそも、俺は攻略に縁のない三級探索者。変に欲張られて今の稼ぎに影響が出るくらいなら、ダンジョン攻略は百年後にでも後回しにしてもらいたいくらいだ。
「よく言えば安定、悪く言えば停滞の時代。まあそれは良いんすけど、最近反感を買う問題が起きてばっかりなもんで、今世論的に割と崖っぷちなんすよね。実際政治家の一部にもいるんすよ? ダンジョンへの進入は規制を強め、より管理された状態で最低限のみで行うべきだって。……ほんと、いつの時代もかしこぶってる狸共は危機感ないっすよね? 取り返しの付かない衰退なんてしたら、私腹を肥やすことさえ出来ないってのに」
一打。心底の呆れを含んだため息を吐いたナナシによる、台の縁に柔らかそうな尻を乗せながらの背面ショットは見事成功し、三番と四番の球が華麗にポケットへ落ちていく。
……耳障りの良い、人の命を重んじてる発言なのだから、そちらに傾くのは当然だろう。
気に入らないから否定したい。
人の足を引っ張りたい。
自分だけが利益を得たい。
不毛極まりないが、俺だって頭ごなしに否定出来やしない、それこそが人間の性。
仮にダンジョンが閉鎖されてしまえば、探索者だけではなく多くの人の職が危うくなってしまう。
無関係だと安心気取って叩いてる連中だって、明日もそうである保証はどこにもないとどこかで理解しているのに、それでも否定することを止められないのだ。
……ま、ダンジョンが教育に良くないとか、命の危機があるってのは返す言葉もない事実。
俺には政治家の腹の中なんてのは分からないが、ダンジョン反対派の訴えも間違いばかりではない。中にはきっと、本気で人々の身を案じた末に反対している人もいるだろうから、あんまり強く言えるわけがないんだよな。
「とまあ、そんな瀬戸際なんてついにダンジョン庁も重い腰を上げたんすよ。一級探索者のドリームチームで攻略配信をして、一気にプラスイメージを夢と希望をドーン! ……ってわけ。いやー、お上もいよいよ崖っぷち、起死回生を狙わなくちゃならない背水の陣ってわけっす。おーおそろしや、よよよっ」
また一打。
今度は六番と七番のボールを同時にポケットへ収めたナナシは、わざとらしくキューを柱に見立てて寄りかかってみせる。
……ナナシが妙に上手いから、未だに順番が回ってこないのは置いておくとして。
ナナシが言っているのは、今世間を最も騒がせているニュース。
ほとんどが一級探索者で組まれたドリームパーティによる深層攻略。実に十五年ぶりである、停滞を打ち破るために発令されたダンジョン攻略のことだ。
戦国時代の武将かなって感じの鎧を着てダンジョンに潜る盾使い、紫電夜叉。
鉤爪と足技で軽やかに沖縄ダンジョンを駆け抜ける、比嘉みつき。
舞いでも踊るみたいに鉄の扇子を操り、氷を生み出す魔法で北海道ダンジョンを無双するありんす丸。
そして炎を剣に宿して華麗な剣技で強敵を打ち倒す、お馴染みのホムラ。
配信者ではないマリアは名前くらい。
そもそも一級ですらないらしい南雲クリスに至っては、まったくと言っていいほど知らんけど。
それでも、いずれも日本であれば知らない人の方が少ない、まさに錚々たる面子。
三十一人しかいない一級探索者の五人が一堂に会すなんて機会は、今回を逃せば次に見られるのはきっと相当に後になるはずだ。
……だから、俺もすげえって楽しみにしてたのに、急に裏事情を暴露されてちょっと萎えてる。
こういうお祭りはさ。例え愚者だと笑われようが、何も知らずに楽しむのが一番幸せなのにさ。
「……一級の深層攻略は俺だって知ってるけど、その話が俺に何の関係があるんだよ?」
「その一級探索のバックアップに行かないかって勧誘っす。探索者として、深層に潜れるなんて最高峰の名誉っすよ?」
……なにそれ、罰ゲーム?
「そんなんやるんです?」
「当たり前じゃないっすか。彼ら一級は日本探索者の象徴にして広告塔。そんな彼らが危機に陥ったとき、凄惨な死を映さないため離脱と生存の……まあ、所謂肉盾ってやつっす。特別二級の命と尊厳って、実は本当に軽いんすよ?」
カン、と。
ナナシは遊びなく、まるでその一球が自分であるかのように、呆気なくポケットへ落としてしまう。
……ねえこれ、俺に回ってくるよね。このままナナシが全部落として終わったりしないよね?
「……それ、絶対俺に言っちゃ駄目なやつでしょ。勝手に巻き込むのやめてくださいよ」
「えーいいじゃないっすか。だってうちら、誰にも言えない秘密を共有する仲なんだから。このこのー?」
ついに見ることさえなく適当に白球を弾いた後、ナナシは俺の肩へと腕を回して絡んでくる。
こいつ本当に鬱陶しいなぁ……あ、また球落ちた。台にはもう片手の指で足りるくらいしか残ってないんだけど、これ俺の手番回ってくるのかな。来ない気がする。
「で、どうっすか? 無論無償とは言わないっすよ? 当然見合うだけの報酬を用意するし、お望みなら次の二級試験をコネで通せちゃったりも可能っす。どうかな?」
「いや、遠慮します。深層とか、罰ゲームでも行きたくないです。マジで」
人差し指で脇腹をグリグリしてくるナナシを、自分でも呆気ないなと思えるくらいの即答をはっきりと返しながら払いのける。
理性も本能も魂も、細胞の一つに至る全てが嫌だと全力で拒絶しているのだと、不思議な一体感さえ覚えてしまうほど完璧な拒絶だった。
二級試験は自力で受かりたい。例え五回のうちで合格できずに終わってしまったとしても、最後まで自分で挑戦したい。今の俺はそんな気分で生きている。
仮に実力じゃない合格で二級になったとしても、そんなの中層で通用するわけがない。いつかどこかでボロが出て、後悔する余地もなくぽっくり逝くなんてのは悔いが残りすぎて勘弁なんだよ。
……ま、この変態野郎がはいそうですかと、素直に拒否を受け入れてくれるかは別だけどな。
どうせ土下座しても意味ないだろうし、どうやったら行かない方向に説得できるだろうか。この二十年で培ってきた論破力が、今ついに試され──。
「……そっすか。ま、それなら仕方ないっすね。残念」
「……強制はしてこないんすね。それこそ、俺の秘密で強請ったりして」
「そうしてあげてもいいんすけどね。深層じゃうちやおっさんでも死ねる場所なんすよ。そんな場所で乗り気でもないガキンチョのお守りとか流石に無理なんで」
ま、おっさんは今海外なんで不参加っすけどねと。
ナナシは拗ねた思春期かってくらい露骨に口を尖らせ、目と口で全面に不満を露わにしながらも、驚くほど簡単に退いてくれる。
想像はつかないが、深層という場所は、あのナナシがそう断ずるほどに危険なんだろう。
……というかその理屈で言ったら、それこそチート持ってるだけの俺程度じゃやる気以前の問題なんじゃないかって気がするんだが、そこんところはどうなんだろうか。
「それにうち、何だかんだ君のこと、気に入ってるんすよ? それこそお金なしで一晩一緒に寝てあげてもいいってくらいにはさ?」
「……俺ホモじゃないし、恋愛事は当面勘弁なんで結構です」
「あらざんねーん。同じ相手に三度も振られちゃったのなんて人生で初めてっす。よよよっ」
思ってもなさそうに落ち込みながらキューで白い球を突くナナシ。
回転を加えた機動で最後の球を落ち、深緑のビリヤード台の上にはもう白い球しか残っていなかった。
「というわけではい、これで難しい話はおしまい! せっかくのデートなんすから、あとは普通に遊ぼうっす!」
「……遊ぼうったって、結局手番が回ってこないで終わっちゃったんだけど、どうすんのこれ」
「てへぺろっ♡」
いい年した男のくせに、舌を出しつつのウィンクなんて真似で誤魔化してくるナナシ。
話半分で、それも映え重視なえっちなポーズやらトリックショットやら交えながらパーフェクトとか何なんだこいつは。
これじゃあただビリヤードテクニックを見せびらかされただけじゃないか。いや、トリックショットとか生で見られたのは感動だけども。なあ、どうすればいいこの情緒は?
「まあまあ。あ、そうだ。せっかくだし次は賭けでもする? 次は先手あげるし、うちは連続で三球までしか入れられないってハンデ付きでもいいっすよ?」
「……何賭けるんだ?」
「そっちが勝ったら会員制の馬鹿高い寿司奢ってあげちゃうっす。ただし負けたら……ふっふっふ」
……ちょうどいい。こちとらお前にはずっと言いようにされてるんだ。
ここらで一つぎゃふんとでも言わせて、お財布の中身を空っぽにするくらい寿司を堪能して溜飲を下げるというのも乙ってもんだろうよ。
何やら嫌な予感してならない、そんなにやけ面をしているが関係ない。
覚悟を決めて、手に持つキューを持ち上げ、ナナシの顔に突きつけ、その提案を受け入れる。
そうしてのぞんだ勝負だったが、結果はまあ見事なまで敗北を喫した。
泣きの三回までやった末の完敗で、罰ゲームとしてバニースーツを着させられただけではなく、何故かバーの地下にあった撮影部屋で全身舐め回すように写真撮られてしまった。
今日という日は、恐らく人生で二度と拭えない最悪の屈辱になっただろうな。やっぱり俺、ナナシ嫌いだ。




