三年生になって
四月。
すっかり桜も散り始め、風が吹いても肌寒さも感じなくなってきた。まさにそんな頃。
無事に三年生へと進級した俺は、変わらず単位のために受講した講義を終え、ダンジョンへ行く前に珍しく大学の食堂でランチしていたのだが。
「……それで先輩、なんでいるんです?」
「なんでと聞かれても困っちゃいますよ。ほら、久しぶりに会ったお友達と一緒にご飯食べたいなーって……そう思うのは普通ですよね?」
俺の目の前で、何ら悪びれもせず、自分もと食事を楽しんでいるのは夕葉先輩。
そう、夕葉先輩。ちょうど二月末に別れ、部長の卒業式前に辛うじて円満に関係の終わった黒髪黒縁眼鏡な美少女、見た目よりおっぱいの大きなあの葵夕葉本人である。
思えばあの配信からは一度も連絡を取ってなかったが、偶然出会った……というより先輩がたまたま俺を見つけたことによって一緒に食事となったのだ。
ちなみに俺は日替わりB定食で、彼女は食堂人気ナンバーワンのからあげ定食。二百円程度の差は、まさに俺と先輩の懐事情の差そのものだ。
「……いや、よくあんな感じで別れて、一緒にいようって思えますよね? なんか良い感じに別れたじゃないっすか」
「それはそれ、これはこれです。……だって仕方ないじゃないですか。好きは好きだし、そもそもわたし、諦めるだなんて一言も言ってないんですから。はいあーん」
どういう図太さなのだろうと。
若干冷めた視線を夕葉先輩に送ってしまうも、彼女は何処吹く風とニコニコ微笑みながら、箸で摘ままれた唐揚げを俺の前へと差し出してくる。
……美味しい。B定食、野菜炒めがメインのヘルシー系だったからお肉がとても助かる。二百円の差、五臓六腑に染みるよぉ。
「……ごくっ。そういえば、最近配信順調ですね?」
「え、まだ見てくれてるんですか? すっごく嬉しいです♡ もう一個あげちゃいます♡」
ボーナスとしてまた一個差し出されたので、遠慮なくいただいちゃう。美味しい。
推しは推し、リアルはリアル。
最初こそチャンネル登録を外すつもりだったけれど、何だかんだ意外と分けられちゃってるんだよなぁ。
多分あのときの俺がネガティブスパイラル入ってからだとは思うんだけど、恐らくこんな例は稀だろう。
だってコスプレイまでしちゃった身だからね。普通はどっかで過ぎってまともに見られないと思うよ。
……そういえばあの配信の直後、青柳トワのチャンネル登録者数は三分の一ほどの減少をみせた。
元々成り上がり時に配信頻度が減って、すっかり旬の過ぎた頃にあの恋愛していた告白だ。チラリと覗いた彼女を語るスレやまとめサイトなんかではそれはもう好き勝手書かれていたけど、むしろその程度で済んだのは幸運……いや、素直に青柳トワの積み重ねによるものだろう。
そしてその後、俺と付き合う前以上に精力的に配信活動に勤しむようになってからは、登録者数はすっかり戻っていき、今ではすっかりそれ以上へと辿り着いている。
未だに声を掛けてくれる人とのコラボや、中層の奥まで踏み込むダンジョン探索が珍しいからかもしれないが、偏に青柳トワという配信者のポテンシャル、魅力のおかげだと俺は信じている。
……ちなみに俺は、やっぱり誰かに声を掛けるのが苦手で、あまりダンジョンに潜れていない。
二級試験の条件とは関係なしにお財布がやばいんだ。早く解けないかな、単独の制限。
「……わたし、気付いちゃったんです。大切な人に重いなんて突き放されないためには、それに見合うほどの相互理解をしていくべきなんだなって」
「はあっ、そうなんですか」
「そうなんです。だから今度からは反省を活かして、好きな人にはもっとがっつりネトネト寄り添っていかなきゃなって心機一転することにしたんです。どうです? 惚れちゃいます? 今すぐにでもメロメロになっちゃって、すぐにでもよりを戻しちゃいます?」
「しちゃいません。というか先輩、なんかキャラ変わってません?」
「えへへっ、知らないんですかとめるくん? 女は日々進化出来ちゃう、この世界で最強無敵の生き物なんですよ?」
適当にパチコンと。
夕葉先輩はわざわざ片手ピースを目に当てながら、配信者らしいにっこにこな笑みと共に決めゼリフを吐いてくれる。
……その台詞、なんか喉に突っかかった小骨くらいには既視感あるんだよな。
まあ多分だけど、蒼斧レナから引用したんだろうな。付き合ってた頃は蒼斧レナの話もあんまりしなくなってたから、こういうの聞くと夕葉先輩なんだって安心出来るとは皮肉なもんだ。
「……ほんと、女って強いなぁ」
「でしょでしょ? こうした地道な活動でとめるくんの気が変わったら、わたし的には万々歳だなーって。今度はしっかり、もう絶対に離すまいとあらゆる手で繋ぎ止めちゃいます♡」
「…うわ、重っ」
「そうです、重いんです。わたしそういう女なんです。だから責めるなら、わたしみたいな女に好かれちゃった昔の自分を責めてください。大丈夫、指先から心の奥底まで優しく慰めてあげますから……あ、それ一つもらいますね。はむっ」
あまりの傍若無人っぷりに唖然とし、また重いと零してしまうが先輩は意に介さず。
唐揚げの料金だと言わんばかりに、お箸で野菜炒めの一番味の濃そうな部分をひょいと摘まんでいく。
……強かというか、付き合ってた頃とは別人ってくらいには開き直りすぎというか。
まあでも、不思議と体を重ねていたあの頃より、ずっと距離は近いように感じてしまうのは何故だろう。やっぱり付き合うにしても、もう少し段階を踏むべきだったんだろうな。
「……そういえば、夕葉先輩は卒業したら、どうするつもりなんですか?」
「えっと、進路ですか? わたしは探索者としても配信者としても稼げてるので、現状維持しつつ何か資格でも取ろうかなって……あ、もし良ければうちで専業主夫として雇いますよ! 終身雇用ボーナスあり、全然、バッチコイ、ウェルカム! ですよ?」
「違う、違いますから」
……それにしたって押しが強いよな。こんなにも変わるものだろうか。
「あ、でもわたしも目標というか……目指すべき次のステップなら、もう決めてますよ?」
「へえ。どんなのです?」
「えっとですね……えへへっ」
ちょいちょいと。
夕葉先輩があざとい顔で手招きしてくるので、何だろうと首を傾げながらも耳を近づけてみる。
何だろうな夢って。配信者の次のステップって、歌を出すとか本を書くとかそういうのかな。
「実はわたし、一級探索者を目指そうかなって。今度ライブで言うので、みんなにはまだ内緒ですよ?」
触れるか触れないかの境ってくらい近い距離で、ぽしょぽしょと囁いてくれる
……なるほど。一級とは、そりゃスケールの大きいことで。
やっぱりすごいよこの人は。一級なんて日本に三十一人しかいないのに、次の一人になろうだなんて俺だったら口が裂けても誰かに話せないと思う。
ほんと一時でも恋人としていられたのが奇跡ってくらいには輝いてる。まあ俺があの日推すことに決めた人なんだから、むしろこうでなくちゃな。
「あ、そうだとめるくん。この後一緒にお出掛けしませんか? ちょっとお買い物に付き合って欲しいんですけど」
「あー、すみません。今日はちょっと、ダン──」
「そうそう、ごめんね葵さん。彼はもう、うちとデートすることになってるんすよ」
夕葉先輩の誘いを遮りながら、ドサリと俺の肩へ腕を回してくる誰か。
……いや、誰かじゃない。この忌々しい声、態度は覚えがある。
現実は疎か夢でさえ俺を未だに苦しめてくる、俺の平穏を妨げる諸悪の根源。その気になれば気まぐれでダンジョンの死神という虚構を白日の下に晒すことの出来る、まさに死神にとっての死神の足音。
「うげ、何故いる……?」
「ね、寝取られた……?」
「やあやあとめる少年。みんな大好きナナシお兄さんっすよ。待たせるのもあれだし、うちが大学生スタイルが迎えに来ちゃったっすけど……どう、感想は?」
すぐに振り解くと、やれやれとにやつきながら目の前でモデルみたいにポーズを取ってくる最上級の美人。
今日は黒髪ロングド清楚系という、今ミスキャン出ても無双出来るであろう美人。
いつもと違ってまるで男を感じさせない、まさに無敵ファッションの男の娘。正直顔も見たくないレベルで忌々しい俺の死神、ナナシは愉しげに挨拶してくる。
……まず、あんたなんかと待ち合わせの予定なんて一切してないんだけど。
そして夕葉先輩さ。寝取られるもなにも俺今フリーだから。そもそもこいつ男だから、おけい?




