一級探索者
これは時田とめるがダン考部長、坂又剣也の卒業を見送る数日前まで遡る。
ダンジョン庁。
東京、北海道、沖縄に出現した三つのダンジョン。
それらとダンジョン探索を生業とする探索者を統括、管理、支援するために東京ダンジョンの上に構えられた、まさに日本ダンジョン界を支えるダンジョン庁の本部にて起きた一幕である。
場所はダンジョン庁、特別会議室。
その部屋の中で目立った物は、座り心地の良さそうな椅子と中央に置かれた円卓のみ。
広々とした間取りながら窓さえないこの部屋は、出来る限り機密の漏洩を防ぎたいという意図を感じ取れる内装。
秘匿性の高く、そして重要性の高い案件について話し合うための場。まさにといった場所に、ダンジョン庁の職員らしからぬ数人が集まっていた。
「……」
まず一人。会議室の隅っこでせっかく椅子があるのに床に膝を付け、無言で座る黒髪長髪の男性。
活動名、紫電夜叉。本名、佐藤信玄。
この場では別段言及する必要のない普段着だが、本来は戦国時代の武将かと思える甲冑を身に纏った、東京ダンジョンを活動場所とするダンジョン配信者。
今より五年前、中層にて二匹発生したダンジョンゴーレムの特殊個体。恐らく番であったその二匹をたった一人で斬り伏せ、ダンジョン庁へ全権利を献上した傑物である。
ちなみに好物がいちごとバレてから、差し入れがいちご関連のものばかりになってしまった。
「うわーうわー! ホムラちゃんも夜叉ちゃんもありんすちゃんも、みんな一回会ってみたかったから超感激! その尻尾、ちゃんと生えてるんだね! そうだ、今度コラボしようよ! みんなで沖縄観光企画なんてのもいいよね? 最高だよね?」
次に一人。席などお構いなしに、感激を表情に表しながら、ゆらりと尾を揺らす着物の女性に絡みにいく女性。
比嘉みつき。
八重歯と快活さが特徴的な、まだ春だというのに夏のように褐色の肌を晒す小柄な女性。
故郷である沖縄の発展を夢見る彼女は、沖縄ダンジョンをメインとした、実名でのダンジョン配信者。
戦闘よりも宣伝やローカルテレビの出演に力を注いでいるが、その強さは沖縄ダンジョンで活動するほとんどの者が「沖縄最強はハブでもマングースでもなく、比嘉みつきである」と口を揃えるほど。
好きな食べ物はいくら。たまたま東京に出た際に食したことで虜になってしまった、沖縄とは何の関係もない、あのいくらである。
「そうやんねぇ、たんと美味なもん馳走してくれるなら考えるでありんす。……ところで、一級以外の見慣れぬ子も紛れ込んでるようありんすが、よもやわっちらのお守りを頼まれた子犬ちゃんでありんす?」
次に一人。比嘉みつきに触られそうになった尻尾を避けるように浮かせ、口元を扇子で隠しながら微笑み長身の女性。
ありんす丸。本名、雪代あお。
雪を固めたみたいに真っ白な肌と髪。スラリとした長い手足に、どこか艶のある雰囲気を醸す着物の彼女は、北海道ダンジョン専門の一級探索者。
狐の耳と五本の尾をその身に宿す彼女は、強さ登録者共に日本の料理系ダンジョン配信者の頂点とされており、北海道ダンジョンに生息するダンジョンコオリフグの毒抜き動画は世界中で注目されたこともあるほど。
嘘か真か産まれた瞬間にはこの姿をしており、全力全開の戦闘スタイルは普段の優美さとは似ても似つかぬ、飢えた獣のように荒れ狂い貪るのみだと囁かれているが真実は如何に。
「えーっと……あはは、ノーコメントで。いやほんと、マジで勘弁してください」
そんな二人を向かい側で眺めながら、反応に困ったように苦笑する彼の名は南雲クリス。
明るい金髪と左右で違う色をした瞳が特徴な、アメリカ人とのハーフ美青年。
この場で唯一の二級探索者。配信等はしていないため一般的な知名度は一切ないが、探索者の間では「最も信頼できるヘルプサポーター」と評判高い。
その実態は特別二級。それもナナシと同じく、特例により契約で生存と人権を許容されている一人であり、当然実力は一級と遜色なし。彼曰く、サポーターは元々の趣味でありライフスタイルだとか。
「……うっさいなぁ。二十超えてるんだろうに、配信者ってのは鬱陶しいのばっかかよ」
だらりと椅子の背に体重を掛けながら、退屈といった様子で項垂れる茶髪の女性。
マリア。本名、原田・CD・マリア。
非配信者。短い期間ではあるが、同業者より一級最強と評されることもあったほどの実力者。
一年前に不治の病とされたダンジョン産のウィルスに冒されて入院していたが、一月ほど前にリハビリを終えて復帰。先日下層でダンジョンオーガを愛用してる盾で粉砕し、方々へ完全復活を示した。
ちなみに退院直後に幼馴染と結婚した人妻で、荒々しい口調と態度は同業に舐められないための演技で普段はお淑やからしい。
「まあまあ、そう言わないであげてよ。これだけの面子が一堂に会するなんて、本当に珍しいんだから」
そして最後の一人。にこりと笑みを浮かべながらマリアを窘めるのは、炎のように鮮やかな赤の髪と完成された美を誇る女性。
ホムラ。株式会社シロナ所属のダンジョン配信者。本名、年齢、前歴、一切不明。
日本の一級探索者でもっとも知名度が高いとされ、まるで創作から飛び出してきたかのように美しいことから、探索者界の偶像と多くの者に呼ばれている。
強さは当然折り紙付き。一級のダンジョン配信者の中では、びっくりハンマーに次いで最強に挙げられるほど。
以上六名。国内に三十一人しかいない一級探索者のうち五名、特別二級探索者一名。
活動区域の異なる最上位探索者の邂逅など、平時であればまずあり得ず。
もしも集合写真でも撮って、その一枚に全員のサインでも書けばそれだけで相当の値が付くのは間違いない。この場に集ったのは、それだけの面々であった。
「皆々様。お待たせいたしました。どうぞ席へお着きください」
何だかんだ緩い空気の中、不意に会議室の扉は開き、中にいた探索者達の注目を集める。
入ってきたのは三人。
一人は堂々と先頭を歩く、紺色のスーツを着こなし細く鋭い眼鏡を光らせる男性。
その後ろに無言でつく二人は、熊のように大柄な男と後ろで髪を纏めた、知的さの窺える雰囲気の女性。いずれも黒スーツとサングラスで統一されており、一切の表情も推し量ることはかなわない。
「まず初めに、本日進行を務めますのはダンジョン庁未解明領域探索担当部室長、桂木と申します。皆様とはそれぞれ別の案件で面識はありますが、改めてよろしくお願いいたします」
一級探索者の前へと出た、紺色のスーツをビシッと着こなした男性。
桂木と名乗った彼が探索者達の前で九十度で頭を下げたのをきっかけに、各々で好き勝手していた一級探索者達は緩みきった空気を正し、それぞれが適当な席へと着いた。
「そして今日お越しくださった皆様には、心より感謝申し上げます。一級探索者。日本における探索者の最高峰。今回の招集に際し、五名もいらしてくれたのは何よりの──」
「なあ桂木さんよぉ。始める前に一つ訊きたいんだが、随分出席が少ないじゃねえか。せっかくの深層探索だってのに、肝心要な一級最強様はどうして来てないんだ?」
「……千歳氏は招集を拒否しました。他の一級探索者の方々も、配信は御免だと同様にです。また配信者として活動しているびっくりハンマー氏、ルンルン氏は一身上の都合で今回の参加は遠慮したいとのことなので、今回参加していただける一級探索者はこの場にいるみなさんで全員となります」
「……そうかよ。ったく、どいつもこいつも、危機管理上手でモラル立派な連中だな。利口なこって」
はっ、と桂木が言葉を詰まらせながらも答えると、気怠そうに吐き捨てるマリア。
一級探索者が五人も集まる。確かにそれは、それこそダンジョン庁の歴史においても数える程度しかないと言えるくらいには希少な事態ではある。
だがそれでも五人。一級探索者全三十一名のうち、たったの五人。半分は愚か四分の一にさえ満たない数は、お世辞にも多いとは言えない。マリアの反応は、正しいものだろう。
「……さて、日本のダンジョン探索界は今、重大な危機に瀕しています。瀬戸際、分水嶺。言い方は自由ですが、これだけは断言出来る。もしも次に世に出るニュースが不祥事や失態であった場合、探索者の黎明期を生きた先達が積み上げてくれた今は、呆気なく崩壊してしまう。故に──」
「故に探索者の印象向上を図るべく深層攻略を決定し、緊急に一級探索者を招集をかけた。わっち含め、過去多くの夢持つ一級探索者が何度も申請を出したものの、適当な理由をつけて一蹴してきたあのダンジョン庁が自分達の都合で。……すっす、椅子とお尻が接着剤でくっついてそうでありんしたのに、随分身軽で親切な申し出でありんすなぁ?」
はらはらと。
扇子で口元を隠し、言動に反して目を細めながら、一目瞭然な嘲笑を以て遮るありんす丸。
茶化すような、皮肉のこもった言葉。けれど氷柱のような鋭い眼差し。
笑いながらも笑っていない、そんなありんす丸の言葉に桂木が申し訳なさそうに目を逸らすと、彼女は自らの真っ白な尾を上機嫌そうに小さく揺らした。
今回の主題、深層探索の申請。
日本においては一級探索者のみの特権とされ、ダンジョン庁の認可が降りてようやく実行可能となるのだが、ダンジョン庁は通常その許可を出すことはない。
何故なら深層とは、一級探索者であっても命を落としかねない人類にとって未知の領域の総称。
黎明期末期。まだ特級探索者が一名、一級探索者が十名であった頃に行われた深層探索。
現在の下層の最深部まで到達し、そこから生還したものは僅か三名。つまり半数以上の最上位探索者を失う結果になった一件はまさに日本ダンジョン界における光と闇、快挙と失態の象徴とも言える。
つまりダンジョン庁、ひいては日本政府は恐れていたのだ。
再び深層を攻略しようと欲をかけば、同じように一級という国内屈指の戦力を失うのではないかと。
そしてもしも、その様を配信でもされるようなことがあれば、ダンジョンを危険視する反対派の意見が加熱してしまうのではないかと。
ありんす丸もまた、そういった意向によって深層への立ち入りを許可されなかった者の一人。
申請回数、実に三回。
深層への道さえ発見されていない北海道ダンジョンを離れ、遺書さえ用意し挑もうとした深層へ踏み入ることさえ許されなかった彼女とダンジョン庁の関係性は、これ以上なく最悪なのだ。
……或いはかつての伝説、特級探索者であれば許可は出たかもしれないが、それは現実的ではない。
二人目の特級探索者、小野寺たかしの引退から七年。
今の日本には一級を指標にしてなお突出している、深層を単騎で練り歩くことの可能な傑物は存在していない。
全体の質は向上していても、個という面では海外に比べて小粒と形容せざるを得ない。まさに黄金でありながら暗黒とされた、この上なく安定した停滞期なのだ。
そしてそれは、現一級最強とされる海原千歳であっても例外はない。
自己責任の下であえて規制を緩くしている海外とは違い、安定と安全を重視する日本で深層探索の許可が下りる可能性はゼロと、そう断言しても差し支えないのが現状であった。
「……返す言葉もありません。私如きの謝罪では足りないでしょう。ですがどうか、どうかこの場だけでも怒りを収めいただきたい」
「おお、存外素直。まったく嫌でありんす。こないな場合、そちらさんが一つ誠意を態度に乗せれば、あっという間に突く方が悪に様変わりするんでありんすから。なあ、ほんまいけずなお人でありんすなぁ?」
心の底から凍り付いてしまうと。
常人ではそんな錯覚で心臓さえ固まってしまいそうな、一級探索者の敵意を一身に受ける桂木だったが、彼は一切の反論さえせず、真っ直ぐありんす丸へ体を向けて頭を下げる。
誰が見ようと称賛せざるを得ない、それほど真摯で丁寧な謝罪。
そんな桂木の態度に、ありんす丸はよよよとわざとらしく体をよろけさせるも、欠片も動じない姿につまらぬとばかりに視線を外した。
「……はっきり言いましょう。今回の件、我々に断念も失敗も許されない。成果なき帰還は敗走と同じ。もしも得る物のない、犠牲と損失のみが結果であれば、日本における探索者という職のマイナスイメージは更に強まってしまう。そうなれば、ただでさえ揺らぎかけている土壌は一気に崩れ去り、探索者という職の権利は危うくなる。ダンジョン探索の暗黒期は、もう間近まで迫っているのです!」
ほっと胸を撫で下ろした桂木は、一呼吸置いてから、拳を握るほど熱烈に語り始める。
黎明期より度々起きる、名のある探索者の不祥事や過去の事件。
ここ数年の間にダンジョン配信者の登場。過激とも言える映像を流し、収入を得ることへの物議。
そして先の一件、ダンジョンの死神を名乗った探索者による、ダンジョン内におけるライブ殺人事件。
ダンジョンが出現し、探索者という職業が台頭してから少なからず存在していた反対意見。
それがここ数年に起きた急激な発展による変化、そして事件とSNSの普及によって急激に膨れあがりつつあるのだ。
未知への探求という夢は、暗い現実で押し潰されようとしている。
例え探索者が消えずとも、それに憧れ目指そうとする者がいなければ、業界は終わったも同然。
そしてダンジョン産業に経済への恩恵は計り知れないもので、最早なくてはならない。
その衰退は他国に望んで後れを取る愚行であり、国としては自ら資源を放棄するわけにはいかないと、何としてでも避けなくてはならない。
だからこそ、ダンジョン庁は重い腰を上げて賭けに出た。
日本が誇る一級探索者でパーティを組み、深層の公開探索を行う。その成果と成功を以て、昨今のマイナスイメージを少しでも払拭し、探索者という職に新たな光を持たせるのだと。
「……ありんす丸氏の仰るとおり、今更虫が良すぎる話だと重々承知しています。それでもどうか、どうか力をお貸しいただけないでしょうか……!! この国の進退は、最早貴方方にかかっていると言っても過言ではないのです……!!」
一通り話し終えた桂木は、三度探索者達へ頭を下げる。
ダンジョン庁に出来るのはこの会議までの招集まで。深層探索まで強制することは出来ず、頼み込むことしか出来ない。
仮に拒否したことで罰則、或いは探索者資格を剥奪したとしても、彼らの強さが揺らぐことはなく。
むしろ下手に押さえつけたことで暴れられてしまえば、それこそ甚大な被害とイメージの悪化は免れず。
愛想を尽かしたと海外へ渡られてしまえば、一級探索者という最上の人材をみすみす他国へ渡してしまうことになる。
一級探索者とダンジョン庁。
力と権力によって形作られる関係は酷く歪でありながら、けれど人間特有とも言うべきものだった。
「それで配信による公開攻略……はっ、お役所様が随分余裕のないこって。んで、どうすんだ? もし私らに断られでもしたら、それこそダンジョン庁は立つ瀬がねえんじゃねえのか?」
「……場合によっては海外からの招聘も視野に入れています。他国へ大きな借りを作ることになりますが、背に腹は変えられない」
「まさに崖っぷちってわけか。散々好き勝手してきたツケがようやく回ってきたようだな。ザマぁなくて結構だ」
苦々しげに答えた桂木を、マリアは失笑とばかりに鼻を鳴らす。
マリアもまたダンジョン庁とそれなりに因縁を持っており、それ故の反応であった。
「はいはーい! もちろん私は参加するよ! そんなに注目される配信してくれるんだから、沖縄の宣伝がいっぱいしたいからね!」
そうして起きた十数秒の沈黙の後、最初に声を上げたのは比嘉みつき。
うんうんと頷いた彼女は、会議が始まる前と変わらず快活に、真っ直ぐに手を挙げて了承を示す。
「……御意」
次に頷いたのは紫電夜叉。
沈黙を貫いていた彼はただ小さな一言、けれどはっきりと、深層探索への参加を口に出す。
「……元気でいいな。ま、私もちょうど金が必要なんだ。運が良かったな」
そしてマリア。
仕方ないとばかりに大きなため息の後、にやりと笑みを浮かべながら、参加を表明する。
「わっちはもちろん参加でありんす。そちらさんの手のひらの上は癪でありんすが、こない好機を逃すんは探索者の名折れでありんすから」
そしてありんす丸もまた、開いた扇子で口元を隠し、ゆらりと白の尾を揺らしながら肯定する。
特別二級である南雲クリスの参加は当然として、これで参加を了承したのは五人。
だが残り一人。会議が始まってから一言たりとも発さず静観していた赤髪の女──ホムラはゆっくりと、まとまりつつあった空気を裂くように、その手を上へ挙げた。
「……一つ、訊いてもいいかな? 今回の件とあんまり関係ないんだけど、それでも、一つだけ」
「……どうぞ、ホムラ氏。答えられる範囲であれば、どうぞ何なりと」
「ありがとう。それじゃあ訊くけど、死者を生き返らせるダンジョン宝具の情報。ダンジョン庁は何か一つでも、持ってたりしない?」
にこりと笑みを浮かべながら、ホムラがまるで配信のときと同じような気軽さで尋ねる。
その質問に桂木も、その後ろに待機していた黒スーツの二人も。
そしてこの場に集まった一級探索者達でさえも、ホムラの質問に、驚愕から息を呑んでしまう。
当然死者を生き返らせる物についてなんて、この場で急に突拍子もない質問が出たからでもある。
だが会議室内を戦慄させた一番の要因は、その質問をしたのがあのホムラだという事実。
清廉潔白、品行方正、配信者にあるまじき真っ当な偶像とされたホムラが、あまりにも唐突に、この場の誰よりも人の道を外れた質問をしたのだから、驚くのも無理はないだろう。
「へえ? よりにもよってあのホムラが、皆大好きホムラちゃんでさえ、禁忌を犯してでも取り戻したい何かがあるのかよ? 開いた口が塞がらないってのは、まさにこういうときのことを指すのかもなぁ?」
「……どうかな桂木さん? 別に完璧に生き返るなんて、そんな大層な物じゃなくてもいい。ただ昔死んだ人と少しだけお話出来たり、ちょっぴりでもいいから再現出来るとかそういうのでもいいから。あるかな?」
「……私の一存では、答えかねる質問です。理を超えるダンジョン宝具の情報など、その有無に関係なく、世界的にも最重要機密に分類されるものですので」
愉快だと面白がるマリアをよそに、ホムラはまっすぐ桂木へと尋ねる。
その名にそぐわない虚無の瞳は、ありんす丸の底冷えしそうな視線にさえ動じなかった桂木をしても身を強ばらせてしまう迫力を秘めており、辿々しく言葉を選んで答え終える。
だがホムラは頷くことも納得をみせることもなく、視線を外さず、ただジッと見つめるだけ。
今の自分はまるで蛇に睨まれた蛙だと、桂木の額に冷や汗が流れ、心臓は外に聞こえるんじゃないかってくらい激しく鼓動を鳴らしてしまう。
実のところ、ホムラは今回の探索に最も容易に了承してくれると、桂木はどこかで考えていた。
普段の仕事関係も去るとこながら、一級昇格時に為された一つの取り引きによって、彼女はダンジョン庁へあまり強く出られないだろうと踏んでいたからだ。
もしもホムラが参加しなかった場合、戦力もだが、何より影響力に大きく差が生じてしまう。
上からも「ホムラの参加は絶対」と。
そう念押しされている桂木は、最悪の事態を回避すべく必死に頭を回すしかなかった。
「……ですが、ですがそれほどの神秘が眠るとすれば、それはダンジョンの深部と相場は決まっています。今回の深層探索で、新たな伝説級のダンジョン宝具が発見される可能性は、十分にあります」
「すっす、三文でも売れないくらいに安っぽい挑発でありんすなぁ。わっちだったら一笑に付すでありんすが、心より求める物など人それぞれ。狐にはとんと理解出来ませぬが、まこと人の業というものは難儀極まりないでありんすなぁ」
刹那の熟考の末、桂木は自分でも迂闊だと思える言葉で、ホムラを繋ぎ止めようとしてしまう。
あまりに見え透いていると、ありんす丸は愉しげに嘲るが、肝心のホムラはだんまりだった。
「……うん。じゃあやっぱり、可能性があるなら行くしかないね。深層」
「……いいのか? 今は頭下げてるけど、仮にそういうもんを見つけたとしても、どうせダンジョン庁は難癖つけて回収してくるぞ?」
「ありがとうマリアさん。でもいいの。元々決心はしてたけど、ついでに聞ければいいなって思ってただけだから」
そうして数秒。誰もが彼女の次の言葉を待ち続けた後、ついにホムラは考えは纏まったと何度か頷きをみせる。
桂木への態度とは異なり、心配そうに尋ねるマリアへ、大丈夫だと笑顔で返すホムラ。
けれど、この中でただ一人、獣の耳を持つありんす丸だけが聞き取ってしまう。
もうちょっとで諦められそうだったのにと、ホムラのほとんど吐息でしかなかった寂しげな声を。
「うん、私も参加するよ。深層は何があるか分からないけど、それでもみんなで協力して頑張ろうね」
そうして、ホムラも参加を受け入れたことで、会議はようやく次の段階に進み始めた。
かくして、一級探索者による深層探索は決定した。
それぞれが目的と本音を胸に、東京ダンジョン未開の地、深層へと足を踏み入れることになる。
彼らの決断が勇気となるか、それとも蛮勇に成り代わるか。それはまだ、天ですら知らぬことだ。




