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時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず  作者: わさび醤油
時間停止系能力者とある季節の終わり
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父親と

 ショッピングモールで火村(ひむら)さんと出会って、早いもので一週間以上。

 あんなに寒かった外は少しずつだが春へと移り変わり、ニュースが言うには既にどっかの桜は開花したとのこと。つまりは早いもので、世間はもうすっかり春になったというわけだ。


 そんな春休みも終盤に差し掛かった頃、俺がなにをしているかと言えば何もしていない。

 東京の部屋に帰ることもなく、あれ以来実家でだらだらのほほんと、探索者であったことさえも忘れてしまうほどに現実から遠ざかっていただけ。それ以外する気になれなかった。


『これでおしまい! うーん、今日も絶好調だね! あ、スパチャありがとー!』

「まーたくつろいじゃって。いい加減にしなさいよね? ちょっと聞いてる?」


 手に持っているスマホに映るのは、中層の深部にて舞いの如き華麗に動き敵を屠る赤髪の美女。

 どれも時間停止がなければ、俺じゃ歯の立たないダンジョン生物。

 そんなダンジョン生物たちをバッタバッタと倒していくホムラの配信を、ソファの上でたまたまおすすめに出てきたから視聴していると、母さんがわざとらしく掃除機の音で邪魔してくる。


 ……あーあ、今いいところだったのに。

 しかしやっぱり強いなホムラ。一級と特別二級、どっちも化け物だけどどっちが強いのかな。


「あんた、いつまでいる気なの? 貴重な春休みなんだから、もっとやることあるんじゃないの?」

「……んー」

「……もう! 本当そういうマイペースさ、お父さんそっくり! いるならいるで部屋の片付けくらいしなさいよね!」


 煮え切らない返事をすれば、母は呆れたと大きく鼻を鳴らし、リビングの掃除を終えて去っていく。


 最初こそ歓迎してくれていた母もこの通り、ただただだらけているだけの俺にすっかりお冠。

 深く追求してくるわけでもないが、それでも態度はもうとっとと帰ったらと言わんばかり。

 昔からアクティブな母としては、息子が家にいてもスマホ弄ってるか漫画読んでいるかってくらいの出不精で、貴重な学生の休みをダラダラと過ごしていることに相当なご不満なんだろう。


 俺としても、そろそろ帰ろうかなとは考えている。

 というのも、もうすぐ部長の卒業式だから、最後にお祝いを兼ねて飲もうって話が出ているのだ。

 大学で一番……うん、一番にお世話になった先輩の門出を祝いたいのは本心だし、更に渡すべきだと思い出した物もあるから、部長が大学生であるうちに一回は会っておきたいんだ。


 そう、だから一度、明日にでも帰るべき。それは如何に阿呆な俺と言えど、十二分に理解しているとも。

 けれどそんなことは重々承知しているけれど、それでも、俺の重い腰は中々上がってくれない。まるで磁石が反発しているみたいに、俺の心が東京を拒んでならないのだ。


 ……理由なんて、そんなのは分かりきっている。

 あの歴史的最低的な破局から二週間。身勝手にも先輩へ悪魔のような言葉を浴びせて振った側のくせに、未だに後悔と未練を引き摺り続けているが故だ。


 当然と言えばそうだろうが、夕葉(ゆは)先輩とはあれ以来連絡を取っていない。

 当然だが、彼女から連絡が来ることはなく。

 そして俺から送る勇気も、送っていいのかも、そんなことさえまったく決断出来ていないのが現状だった。


 このまま時の流れが解決してくれると、残念ながら俺の半端な心は、そこまで振り切れることが出来ていない。

 このまま自然消滅させるには、俺にとって、あの人から与えられた物が多すぎた。

 だからせめて、与えられた高級品は返せる限り、その過程でどんな誹りを受けようと少しでも返すべき。理性、良心、或いは安心を得るためにそうすべきだと心のしこりが燻っているのだ。


 ネットで検索しても返す必要はない、むしろ傷つけるだけと書いてあったけど。

 それでも、だから一層悩んでいる。悩んでも悩んでも答えは出なくて、だから今日まで迎えているのだ。


「ごちそうさま。いやー、今日も美味しかったよ、母さん」


 そんな思考をひたすらグルグルさせていると、あっという間に夕ご飯を食べ終わっている。

 あとは歯を磨いて、部屋で寝っ転がっていたらそれで一日は終わる。また一日、無駄に浪費するだけだったと悔いながら、どうすることも出来ずに終えていく。

 


「……ああとめる。少し、父さんの晩酌に付き合ってくれないか」



 そのはずだったのに、その日父さんはいつもと違い、部屋へ去ろうとする俺を呼び止める。

 そのどこか穏やかな目からは、この長い逃避行の終わりが近いのだと、何となく察してしまえた。

 

 





 母さんはこちらを気遣ってくれたのか、それとも興味がなかったのか。

 いずれにしても、とっとと皿を洗い、長めのお風呂に行ってしまい、男二人で向かい合うという珍妙な絵面となってしまっていた。


 週に一度、大体の確立で必ず行われる父の晩酌。昔から変わらない、年季の入った徳利とお猪口を使い、毎回違う母特製のつまみと共に静かに酒を嗜むだけの一時。

 もうちょっと幼い頃は、酒の隣に置いてあった母の手作りおつまみが無性に特別な物に思えて、少し頂戴と願って断られていたものだ。懐かしいな。


「そういえば初めてだよな、とめると飲むのは。お前が二十になって最初に飲むのは父さんだって心に決めてたんだが……ちょっとだけ、残念だな」

 

 父さんはどこか感慨深そうに、けれども少し残念そうに視線を落としながら、お猪口に軽く呷る。

 ……そう言われれば確かに、父と飲むのは初めてか。まあ普通に考えれば、成人迎えて初めて家に帰ってきたから当然か。


 父のようなお猪口ではなく、酒を嗜むには不格好すぎるただのコップに注がれた透明な液体。

 父がずっと変わらずに愛飲し続けている日本酒を、少し分けてもらった一杯に、静かに口を付ける。


 ……なんか、辛いな。日本酒なんてあんまり飲まないけど、こんなもんなのかな。


「それで最近はどうだい? あまり聞いたことはなかったけど、大学、上手くやれてるかい?」


 少しお酒が進んだ後、父さんはまるで少しずつ手探りで、距離感を測るみたいに恐る恐る尋ねてくる。

 

 ……まあ、そういった質問をされるのは、分かりきっていたことだ。

 これだけあれば、東京で何かあったから帰ってきたなんてのは、それこそ猿にだって分かることだ。

 

「……別に、たいしたことはないよ。勉強もバイトも大変だけど、そこそこ充実してるよ」

 

 隠すわけではないが、余計なことまで言わなくたっていいだろうと。

 あくまで学業についてのみで、それでも父さんが聞いても困らない程度に。

 一瞬だけ過ぎった強烈な罪悪感を強引に振り切って、顔に出ないように抑えながら、当たり障りない内容だけを話していく。

 

 ……探索者資格を得てダンジョンに潜っていることは、実は父も母にも報せていない。

 母さんが探索者に否定的だし、言えば反対されると分かりきってるから、普通に飲食のバイトと偽っている。手続き等は十八であれば一人で出来たし、恐らくはバレていないはずだ。


 騙しているという罪悪感は、もちろんある。あるからこそ、年一でしか帰ってこないのだ。


「そうかそうか。……いやすごい、今時の大学生はほんとに偉いなぁ。父さんは大学行ったことないからあんまり分からないけど、父さんの頃はギリギリまで何もしないで行くのが基本だったって同僚が言ってたよ」

「……今時は出来の悪いやつは、二十超えたらすぐ準備始めなきゃ間に合わないんだよ。就職しやすい時代って言われてるけど、やっぱり向いてない人は頑張らないといけないんだから」

「そうなんだ。まあとめるは要領いいから、その辺は上手くやるんだろうなぁ」

 

 嬉しそうに頷く父さん。

 そんな見当違いな称賛を否定しようとしたが、そうする意味はないし、する勇気もないと。

 喉から出ようとした自身の否定を、コップに入っていたお酒を流し込んで無理矢理に呑み込む。

 

 ……要領がいい、か。そんなこと、あるわけがないのに。

 辛うじてでもそう思われることが出来ているのは、時間停止という他の人にはない力があるからで、俺自身の能力だけで大学に通用するかといえば、どう見積もったってそんなわけがない。

 

 周りはなくても上手く生きていけているというのに、能力に頼ってまともぶっているだけの卑怯者。

 能力がなければ今の大学に受かったかさえ疑わしい、取り繕っているだけの凡人以下。

 そんな程度の人間だと自覚しているのに、嘘をついてま、両親が安心出来る普通のアルバイトではなく、ダンジョンという場所での労働を選んでいる愚か者。


 嘘で塗り固めていくほどに、自分と矮小な存在の惨めさを一層自覚させられる。

 竜を狩れても、誰かを助けても、それは全部話せないし信じてもらえるわけがない。

 だから俺は、自分語りが嫌いだ。自分を自分で傷つけなくてはならない、この時間が大嫌いだ。


「……そろそろ部屋戻るよ。それじゃ」

「待ってくれとめる。──とめる、少し待ちなさい」


 けれどそんな醜い感情など、それこそおくびにも出すまいと。

 コップを持って父さん前から去ろうとしたのだが、呼び止められ、退散を許してはくれず。

 温厚で柔和。よく言えば優しく、悪く言えば少し弱い。

 そんな父の声とはいつもと違う、久しぶりに聞いた、説教みたいな真剣に話すときのもので、不思議と体が無視しようと、都合良く思ってくれなかった。


「……なに?」

「とめる。何か僕に……お父さんに、言うべきことがあるんじゃないかな?」


 改めて席につき、どこか確信めいた問いかけをしてくる父と真っ直ぐに目を合わせる。

 ……何を、なんて野暮なことは言うまい。

 話していないことは多いけど、両親が問いただしてきそうなことと言えば、それこそ一つしかない。


「これでも父さん、一家の主でとめるの父親だからな。税金とか保険とか、とめるが普通のバイト以上に稼いでることくらいは知ってるつもりだよ」


 書類届くのこっちだからね、と。

 お見通しだったとでも言うかのように、責めるわけでもなく、穏やかな口調のまま話していく父さんに、俺は少しだけ尊敬を抱いてしまう。


 どれだけ穏やかで、母の方が強く見えようと、やっぱり家の主は父さんなんだなって。


 ……というかやべっ、そういえば今年の確定申告、まだしてないじゃん。

 書類とか家だし急いでやらないと。あの特別報酬のせいで、またちょっと面倒臭そうだしな。


「探索者のこと、父さんはあんまり分からないから口出しはしないよ。なんで話さなかったかは大体分かるし、きっととめるなら、よほどのことがない限り、自分のこと考えてやっていけるだろうから」


 それでも、本当は言って欲しかったけどねと。

 少し寂しそうに微笑みを零す父さんの顔を直視して、ぎゅうぎゅうと、この胸の奥──俺という生命を支える心の臓が、どうしようもなく締め付けられるのを感じてしまう。

 

 どうしてか体内からこみ上げてくる、涙の気配。

 たまらず熱くなる目頭を手で顔を押さえながら、溢れ出さないように天井を仰いでしまう。


 ……やっぱり、嘘なんかついてまで何かするもんじゃないな。

 大事な人を騙して、負い目を隠して生きていけるほど、俺は器用で剛胆な人間ではなないんだから。


「ど、どうしたとめる? どうせ母さんが強く言うだろうから、そ、そんな強く言ったわけじゃないんだけどなぁ……」

「……うるさい。少し放っておいてよ、父さん」


 あわあわと、さっきまでの毅然とした態度などどこへやら。

 息子にどう声を掛けようかと悩む様は、いつもどおりの、よく知っている父さんのそれ。


 時に厳しさよりも、優しさの方が薬になるときがあると。

 夕葉先輩も、八代(ヤシロ)さんも、部長も、火村(ひむら)さんも、父さんも母さんも。

 みんなみんな優しいから、ここ一ヶ月、ずっとそれを痛感しっぱなしで、本当に嫌になるよ。


「それで、将来はどうするつもりなんだ? 探索者で食べていくつもりなのか、ちゃんと就職するのか。もう決まってたりするのかい?」

「……まだ決めてない。というか、分からないんだ。この先どうしたいか、どう生きたいか」


 少し経って、ようやく涙も落ち着いてくれたあと、父さんはそんなことを訊いてくる。


 部長や普通の人のように、真っ当に就職するのも一つ。

 火村さんのように、就職しながらもダンジョンに携われる道を選ぶのも一つ。

 いつか出会った老人のように、人生を趣味という道楽に振り切るのも一つ。

 ダンジョンで会ったイギリス人のように、いっそ他国へ繰り出して何かに挑戦するのも一つ。

 ……或いはかつての彼女、最近は配信さえ見られなくなった推しのように、内に抱く憧れへ向かって邁進するのも一つ。


 道なんていくらでもある。無限だからこそ、俺は何も選べず縛られている。

 いくつもの生き方を東京で見てきたからこそ、安易な答えで濁すことなく、悩んで悩んで悩み抜いて一つを決めたかった。だからこの場では答えるに足る答えを持っていないと、それが今の俺の答えだった。


「……そうか。もし本気で探索者でやっていきたいと言うのなら、そのときは父さんは応援するよ。母さんはきっと全力で反対するだろうけど……まあ、結局はお前の人生だ。法を犯さず、人に迷惑をかけず、健やかに人生を楽しんでくれるならそれでいいんだよ。口では色々言うけど、何だかんだ父さんも母さんも、それを一番に願っているからね」

「……なんか、えらく応援してくれるね。どうしたの?」

「ははっ。とめるも学業もしっかりやってるのは、大学からの成績表で知ってるからね。父さんは応援してるよ」


 ……見られてたんだ。ちゃんと見てたんだ、そういうの。


「……なんか説教臭くなっちゃったな。せっかく二人で飲むんだから、もっと軽い話をしたかったんだが……ははっ、やっぱり父親ってのは難しいなぁ」

「……じゃあ話題変えてあげるよ。父さんは、初恋っていつ?」

「ええ? そりゃもちろん母さん……あ、そういうのじゃないって? うーん……じゃあ母さんには内緒だぞ? あれは遡ること高校入学初日、あの桜並木の下で、それはもう美しい女性と出会ったんだ」


 お酒の力を借りてだけど。

 それでも少しだけ近くなった気がする父さんと、母さんには聞かれたくない、たわいのない男同士の会話を交わしていく。


 ちなみに父さんの話的に、初恋の相手は宏美伯母さん。つまり母さんの姉だった。

 正直に話してくれたのは嬉しいけど、そういう生々しいやつを息子に話すのはどうなのかなって、心の中でちょっとだけため息が零れてしまったのは内緒だ。

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