帰省
ガタンガタンと。
密集した都会のビルやら住宅街から、少しずつ田や道路に移り変わっていく景色をぼんやり眺めながら、電車に揺られしばらく。
向き合うべき問題から逃げるように東京を離れた俺は、別にそんなに遠くもなく田舎でもない、お隣の県にある実家へと向かっていた。
「……古巣って感じだ」
到着したのは昼と夕暮れの中間、ちょうどおやつの時間の頃。
電車から降り、改札を出てから駅前で、ぐぐぐと手を空へと伸ばして凝った体を解していく。
嗚呼、懐かしい。去年来たばかりのはずなのに、随分と久しぶりに帰ってきたような気分だ。
頬を撫でる冬風と田舎独特の臭い。周囲の雰囲気に、都会に比べるとないに等しい人気。
右手には寂れたハンバーガー屋に、信号越えた先にはいつ開いてるのか分からない寿司屋。そんでちょい田舎って感じの駅には派手すぎた、たまにお世話になっていたゲーセンがすぐそこに……あれ、服の店に変わってるじゃん。もしかして、潰れちゃったのかな。
たったの一年、されど一年。
短くもないけど長くもない、そんなどこか少し寂しくなる、残酷で風情ある時の流れ。
ほんの少しの景色の変貌に少しだけ寂しさを感じてしまっていると、見覚えある黒い自動車が駅前へちょうど停止するのを目にし、ほとんど同時にブルブルとスマホが震え出したので近寄っていく。
「久しぶり、元気してた?」
「まあぼちぼちよ……ってあんた、ちょっと老けた?」
「酷くない? 息子への第一声がそれかよ」
電話に出る必要さえなく、そのまま扉を開ければ運転手は相変わらず変わり映えのない母さん。
創作に出る親キャラのような特別美人ではないけれど、年の割には若々しい方で、妙に運転席の似合うそんな人。
久しぶりに会ったというのに、記憶にあるままの母さんに軽く挨拶して助手席へと乗り込み、シートベルトを閉めればすぐさま車は発進し、駅を離れ始める。
「迎えありがとう。急に言ったのに、良く来られたね」
「パートのシフト入ってなかったし、今日スーパーの特売日だから欲しかったのよ。荷物持ち」
運転手の鑑らしくこちらを一瞥さえせず、それでいて平然と答えてくる母さん。
しかしなるほど。昨日言ったのに対応してくれると珍しく疑問だったが、それが本命か。相変わらず母さんは明け透けなく、分かりやすい性格で助かるよ。
「……そういえば父さんは? 今日仕事?」
「平日なんだから仕事に決まってるでしょう? なに? 何か用でもあったの?」
「……いや、聞いてみただけ。そっか、そういえば今日、金曜日だったな」
頬杖を突き、窓から見える景色を眺めながらふと気になったので訊いてみると、母さんはいつも通りに荒い調子で返してくれる。
知らない人から見たら相当の塩対応に思えるかもしれないが、別に苛ついてるわけじゃない。
元々他人以外には言葉の圧が強い、子供泣かせの迫力を持った人ってだけなのだ。きっと若い頃はセーラー服で裏番でもやっていたのだろう。知らんけど。
にしてもそうか、父さん、今日は普通に仕事か。
別に用事はないけれど、あの人帰り遅いこと多いし、多分顔合わせるは明日になるだろうな。
「そういえばお父さんと言えば、残念がってたわよ? 成人式記念の写真、撮りたがってたんだから」
「……忙しかったんだよ。ていうかそれ、撮りたかったのは母さんの方じゃないの?」
「両方よ。馬鹿ね、どっちかってわけないでしょ。親なんだから」
やれやれと、母さんは実にあっけらかんと、心底呆れ果てたとばかりに否定してくる。
母さんは昔から、家族で写真を撮るのが大好き人間で、何かにつけて写真を撮ろうとしてくる。
旅行のときはもちろん、ちょっと外食するときも、何か行事がある度に必ず。
俺が一人っ子なのもあるのだろうが、それにしたって億劫になるほど集合写真を撮りたがるので、正直ちょっと面倒臭いと十を迎える前には思ってしまっていたほどだ。
本人曰く、記憶なんて当てには出来ないから、撮れるなら何でも撮っておきたいとのこと。
……昔はあんまり同意出来なかったが、今なら少しだけ理解出来てしまう。
結局夕葉先輩と付き合ってから一枚も写真を撮ったことがなかったなと、昨日ふとスマホのアルバムを振り返ったとき、そう気付いてしまって寂しくなったからだ。
忘れたい、目を背けたいのに、いざ何も残っていないと残るのは後悔だけ。
写真とは記録。忘れがたいことも、忘れてしまったことでも、鮮明に残してくれる客観的な補完手段。
それがなければ、胡乱で自分勝手な脳でしか覚えていられない人間は、正しく懐かしむことさえ出来ないのだ。
……成人式か。今となっては出ても良かったなと、ちょっとだけ申し訳ないな。
「なにしょぼくれちゃってるのよ。もうすぐ着くから出る準備しておいてね」
「……へいへい」
と、そんな感傷も、母さんの前ではまるで意味を成さず。
母さんの言葉から間もなく、車はスーパーへと辿り着き、店前に広がる駐車場へと入っていく。
……何か、ちょっとだけ妙だ。
このスーパーなら何度か来たことあるから客数も何となく知っているが、どうにもいつもよりずっと多い気がする。
普段ならそこまで混んでいないはずなのに、どうにも駐車場の埋まり具合がすごい気がするのだが、いくら特売日だからといってそんなに繁盛するものだろうか。
「……ねえ、なんか人多いけど何かイベントあるの?」
「ああ、ほらあそこ、あのクレープの屋台。半年前に出来たんだけど、なんかネットで流行って人が来るようになったのよね。おかげで買い物の邪魔だから、ほんと嫌になっちゃうわ」
車から降りて、スーパーまでの入り口まで到着すると、少し離れた位置に人集りが目に映る。
母さんに訊いてみれば、心底煩わしそうに話してくれるので、本当に邪魔なのだろう。
「にしても今日は一段と多いわねぇ……ってちょっとあれ、カメラじゃない!? やだもう、もしかしてテレビ? 誰か俳優でも来てる? とめる、私先に買い物してるから、誰が来てるか見てきて」
「……えー?」
「文句言わない! ほらハリーアップ! レッツゴー!」
こ、この、普段英語使わないくせにどうして無駄に発音いいんだ、このミーハーめが。
心の中で文句を垂れようと我が家の裏番に勝てる通りはなく、仕方がないとだらだらと人の集まってる、クレープ屋があるらしい場所へと向かうことにする。
しかし多いな、人。俺、人混み嫌いなんだよな……そうだ、時間止めちゃえばいいのか。
何をやっているのか確認しようと時間を止めようとしたが、ふと心が急ブレーキでもかけたみたいに塊、能力の発動を躊躇い、そのまま断念してしまう。
別に興味がないわけじゃない。ただ今はどうにも時間を止めて確かめる気にならなかった。それだけだった。
「……すみません。これ、何かやってるんですか?」
「ん? ああ、なんでもえらい別嬪さんが今、あのクレープ屋をテレビ撮影してるんだとよ。ほら、探索者のホム、ホム……そう、ホムラだったっけ?」
人混みの最後列、すぐ近くで背伸びをしていたおっさんに尋ねてみると予想外の名前が飛び出してくる。
……ホムラ、か。
あの夏のフェス以来、チラリと配信を覗いたり名前を聞くことはあったが、それでも随分と久しぶりな気がする。そういえば、夜に海で会って一緒に写真撮ったんだっけか。
彼女との写真はどこにもないのに、人気ダンジョン配信者との一枚は残っている。俺って男はつくづく彼氏としては最低だったと、事あるごとに痛感させられてしまうな。
久しぶりだし、滅多に見られない有名人を一目見ようかと思ったが、別にいいかと踵を返す。
俺にとってはあの夜は何にも変えがたい一夜だったが、きっと彼女からしたらフェス前夜にたまたま遭遇してしまった、一ファンへのちょっとしたファンサービスに過ぎないはずだ。
どうせ俺の事なんて覚えてないという当たり前の現実で、この弱っている心にしなくてもいい追撃かましてもいいことない。
だからそれ以上の追求は必要ないし、どうせこの人混みでは目を合わせることさえ不可能だと、時田とめるはクール……と言えないくらい負け犬思考で、尻尾を巻いて去ることにする。
スーパー内に向かう最中に吹いた冬の風は、何もかもが惨めな俺を、更になじるようだった。
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