一次試験
二月上旬。
学期末テストにレポート。体感夏より多かった大学の課題をどうにか形だけでも乗り切って、何とか春休みに入ることが出来たのだが、それでも苦労から解放されることはなく。
むしろピークを迎えた追い込みと、それでも夕葉先輩の誘惑を断り切れずに板挟み。
時間停止を利用してもなおクタクタになりながら、今日こうして一次試験当日を迎えてしまっていた。
「はあっ……」
せっかくの復習時間だったというのにうたた寝して過ごしてしまった電車を降り。
それでも一向に収まってくれない眠気に苛まれ、会場までの道のりを重い足取りで歩く最中、つい無意識に口から欠伸混じりのため息が零れてしまう。
目の前を少しの間だけ白く染めるそれは、まるで内に溜まった憂鬱さが可視化されているかのよう。
別にそんなことはないけれど、それでもへたった心がそうかもしれないと考えただけでそうとしか思えなくなってしまい、気付けば次のため息が零れてしまう負のスパイラルに陥ってしまっている。あのにっくき大学受験のときですらここまでの不調と不安はなく、もう少し余裕と程良い緊張感を持って本番を迎えられていたはずだ。
それもこれも、全ては小細工で乗り切ろうとした己の短慮は招いた事態。
流石に寝坊は出来ないと、今日は流石に自分の家で先輩との夜の電話を終えて、万が一がないように時間を止めて快眠したまでは良かった。
けれどそれから不安に苛まれながら最後の詰め込みをしていたら、気が付けばあんなに暗かった空は明るさを取り戻してしまっていたのだ。
もう一眠りしようにも、緊張からか目を瞑っても眠りにおちることはなく。
ならばもう仕方ないと。
時間を止めずに大人しく運命を受け入れ、コーヒーとエナドリで無理矢理覚醒して試験へ挑もうとして、今に至るというわけだった。
今回で改めて痛感したが、やっぱり時間を止めての睡眠は体と心によろしくない。
どれだけ寝ても時間が変わらないと体内と意識の時間感覚がズレて仕方ないし、起きても空が真っ暗なのは例え状況を理解していようが心臓に悪い。海外旅行の経験はないが、恐らく時差に対応出来ないとこんな気分が近いはずだ。
ともかく、もうこれ以上は考えたって仕方ない。
大体他の人は時間停止なんてなくたって頑張ってるんだ。俺だけやいのやいのと、これ以上インチキありきで泣き言言いまくるのはダサすぎる。落ちたら今回はそれまでと、腹を括る他ないだろうよ。
とまあ覚悟を決めたつもりでも、時間が近づけば近づくほどに焦燥は積もり。
せめて歩きながらでも参考書でも読んでいればというのに、そんなことさえ頭から抜け落としてしまいながら。
グルグルと後ろ向きな考えを巡らせ、せっかく初めて来る場所だというのに景色が朧気なほど胡乱な心のまま進んでしまい、ついに試験会場へと辿り着いてしまう。
試験会場はダンジョン庁ではなく、同じく春休みに入ったのであろう大学のキャンパス内。
うちの大学よりも大きく、校舎だって綺麗で、どうにも偏差値の差を感じずにはいられないほど居心地の悪い場所を誘導に従って歩いていき、そこそこ大きな部屋の指定された席までようやく到着する。
試験開始まで残り三十分弱。
ひとまずは休んでもいいだろうと、ドサリと恥も外聞もなく腰を下ろしてから眠気に流されてしまいそうになりながらも、すぐに緩んだ気を改めて試験の準備だけはと進めていく。
まずはシャー芯いっぱいのペンを二本と消しゴムを二個、それと試験を受けるための受験票を机に置く。
次にシャーペンが問題なく使えるかの書き試して、問題なければそれでよし。
そして最後に腕時計とスマホの時間が合っているのを確認すればひとまずは万全。トイレは直前に行くとして、これでしばしの猶予に浸れるわけだ。
あー辛い、まだ始まってもいないのに色んなものに押し潰されそう。
もう何もかも投げ出して、お家のベッドの上でゴロゴロと一日寝耽ってしまいたいくらいだ。
それにしても、まだ結構時間はあるというにもう結構席は埋まっている。
大半が俺より一回り、或いは二回りと歳上であろう人達。
更にはもうくたびれている俺とは違い、必死さはあるが初々しさのない慣れた様子で、最後の追い込みとばかりに参考書や自作であろう紙の束と無言で睨み合っていた。
「すみません。その消しゴム、拾ってもらえないでしょうか」
眠気はあるが、それでも少しでも復習しておこうかなと。
周りの雰囲気に当てられてしまった心で鞄から参考書を取り出そうとしたとき、コロコロと足下へ消しゴムが転がってきたので拾い上げようとした途端、どこからか声を掛けられてしまう。
誰だと顔を上げれば、そこには先ほどチラリと見たような……そうだ、通路挟んで斜め前の席に座っていた男の人。
顔は見えずとも、周囲と比べても人一倍熱心に復習していると背中で語っていた人だが、どうやらこの落とし物は彼の消しゴムらしいな。
「これですか。どうぞ」
「ありがとうございます。……あの、不躾な質問ですが、もしかして今回が初めてだったり?」
「?? ええまあ」
「やっぱりそうですか。……ああ、すみません。私は五回目なので周囲の顔にも多少覚えがあるのですが、見覚えないお若い方だなとつい尋ねてしまいました」
お互い頑張りましょうと、男性は軽く会釈してから、自分の席へと戻り勉強を再開する。
そんな彼の背中を見つめながら、先ほど聞いた五度目という単語が脳をグルグルと巡ってしまう。
二級試験の受験資格は最初に条件を達成し、申請が受理されてから五年の間のみ有効とされる。
つまり五回もチャンスはあるが、言い換えればたったの五回しかなく、それを越せば二級以上に昇格するチャンスは永劫失われるということ。その門を広いと思うか狭いと思うかは、きっと人それぞれだろう。
自分のような初めての受験者ばかりではないと。
そんな至極当たり前の事実を改めて突きつけられてしまい、胸の中がざわざわと、一層焦りに近い何かを訴えてくる。
きっと今ここにいる人達に比べたら、初回で就職活動さえまだな俺は楽観的に考えてしまっている浮かれ野郎でしかない。そんなことはないのかもしれないけれど、そう思えてならなかった。
「……勉強、しなきゃ」
湧いてしまった不安から目を逸らそうと、急いで参考書を取り出して復習を始める。
今更死に物狂いになったって仕方ないのに、遊んでいた時間を取り戻そうと、時間さえ忘れてがむしゃらに。
そんなことをしていれば、気付けばあっという間に時間は過ぎていて。
いつの間にか部屋へと来ていた試験官が始めた試験前の説明が、無駄な足掻きもここまでだと強引に現実へと引き戻してくる。
また一つ後悔を募らせながら説明を聞き、配られた問題と解答用紙を見て息を呑んでしまう。
制限時間は百二十分。たったの二時間ぽっちしかないテストの結果が、ここにいる多くの人の運命を分けるもの。
高校や大学の受験でも同じだったはずなのに、えらく異なる重圧を感じてしまいながら。
それでも時間は待ってくれず、試験官から始まりの宣誓が告げられる。
周囲から一斉に聞こえ出す、紙を広げてペンを走らせる音。
そんな音につられて焦りそうになるも、ひとまず大きく深呼吸し、それから自分のペースで問題へと向き合い始める。
……そういえば、トイレ行くの忘れちゃったな。ほんと、なにやってるんだろうな。




