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時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず  作者: わさび醤油
時間停止系能力者とある季節の終わり
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甘味も過ぎれば

 大学の成績も大事だが、今の俺はそれと同じくらいやるべきことがある。

 二月入ってすぐに行われる二級試験の一次試験。体感でも評判でもそこそこ難しい部類に入るであろう筆記試験に向けての追い込みである。


 はっきり言おう。このままじゃまずい。非常に、本当に、悲惨なくらいにやばやばである。

 日課のダンジョン探索などもってのほか。どれだけ甘く見積もっても、一次試験を通る可能性は五分くらい。

 例え夕葉先輩という極上の相手が目の前にいたとしても、イチャつきやセックスで時間気力体力を消費する暇があるのなら、一点のために一つでも知識を入れるべく勉強しなければならない。それだけじゃなく、大学の単位も落とすまいとテストやレポートに勤しまなくてはならない。それくらいにギリギリ、崖っぷちな状況なのだ。


「えっと、とめるくん? ここはですね、えへへ……」


 だというのに。

 そんな状況だというのに、俺が今いるのは夕葉(ゆうは)先輩の家。

 部屋にあるオンボロとは違う静かな暖房の効いたリビングで、隣で誘っているのかとばかりにちょっぴり胸元を緩めた夕葉先輩の誘惑に集中力を乱されながら勉強するという、天国のような地獄に陥ってしまっている。


 別に、人に勉強を教えてもらうことを否定しているわけではない。

 大前提として、一人で根を詰めるより、素直に先達に教えを乞うた方が格段に伸びる事実。

 というかそこを否定すると学校教育さえ否定しなければならなくなるわけで、近くに頼れる人間がいるのなら、いっそ利用してやるくらいの気持ちで頼る方が遙かに利口だと分かってはいる。


 だがそれでも、本当に追い込みたいときの勉強は一人でやりたいのが俺という人間の性。

 確か中学の頃だったか。機会があって一度だけ参加した、試験前の勉強会という名のじゃれ合いで苦手意識がついてしまったのもあるが、まあそんな過去はそこまで関係なく、所詮は根が陰キャぼっちの系譜というだけの話だ。

 

 ともかく、だから今日は、今日こそは一人で追い込むべく。

 そしてここのところ毎日会っているせいか、まったくと言っていいほどに取れていなかった互いの時間を作ろうとお誘いを断ろうとしたのだが、結果は情けないことにこの有様。


 何とか断りを入れた際、受話器越しに聞こえてしまった、夕葉先輩の沈んだ返事。

 まるでこの世の絶望を背負いながら、それでも気丈に振る舞うかのような声を聴かされてしまっては押し切ることなど出来ず。

 悲しい哉今日だけにあらず、結局冬休み以降もほとんど毎日と言っていいくらいほど、夕葉先輩にズルズルとお世話になってるもといお家デートになってしまっているわけだ。


 ……別に、別に先輩といることが嫌になったとか、そういう訳ではない。

 夕葉先輩は丁寧に勉強を教えてくれるし、料理も作ってくれる。頑張ったら頑張ったと褒めてくれて、一緒にいればいつも笑顔で、元気を与えてくれる。

 

 そして何より、夕葉先輩は甘やかしてくれる。

 一時間くらい勉強すれば良くやった、今日はもう十分と、勉強の空気なんて消すように。

 まるでそうしなければならないとばかりに全霊を以て尽くしてくれて、配信だって全然出来ていなくて、だけど俺はそれを断ることが出来ずに好意に甘えてしまう。


 もちろん断ればいいだけ、そんなことは分かっている。

 もしも誰かにそんな不満を口にすれば、それは断れないお前自身の責任だと、きっと誰もが惚気と後ろ指を指してくることだろう。そんなことは、重々理解しているとも。


 それでも俺は、彼女の提案を拒絶出来ずにいる。

 断り方が分からない。どう断れば傷つけないかが分からない。分からないから、頷くしか出来ない。

 先輩の善意が嫌じゃないはずなのに、受け入れる度に、酷く心が締め付けられてしまうかのようだった。

 

 そして今、胸を占める焦燥の理由はそれだけではない。

 もし試験場で時間停止を使えば、この能力の存在がバレてしまうのではないか。

 それは少し遡り、あの偽死神の女性をとっ捕まえ、ついでに擬態(ミミクリー)スライムっぽい緑を倒したときからずっと抱いている懸念である。

 

 あの日感じてしまった、偽死神への刹那の危惧。

 そしてあの変態男の娘──ナナシによって植え付けられた、人生で一番死神の鎌に迫られた感覚。


 かつて調子に乗ってダンジョンの中層まで乗り込んで痛い目を見た、あのときの恐怖。

 あの黒歴史を塗り替えるほどの、いっそ鮮烈なまでの脅威。

 結構な頻度で夢に出てくるほどのトラウマをたった一瞬で植え付けられてしまったのだから、悠長に考えるわけにはいかなかった。


 ダンジョン庁が特別二級なんて化け物を飼ってるのなら、試験のカンニングくらい簡単に対処されたりしちゃうほどの何かがあるんじゃないか。

 もしも心を読める魔法(マジック)を持った試験管がいたとして、この時間を止める力が断片的にでもバレたりしたら、それこそ人生を鎖で繋がれちゃうのではないか。

 

 もしもあんな恐ろしいやつらに本気でマークされて、四六時中俺の索敵範囲外から見張られ敵対でもしたら、例えその場だけ何とかなったとしても人生単位での対処なんてしようがない。

 だからまあ、要は大人しく不正せずにやれってことだ。

 周りの受験者と同じ土俵で、同じ条件で、同じ時間の中で、一年の研鑽をぶつけるしかない。……それだけでしかないのに、事実上の能力禁止という保険の喪失で、勝手に焦っているだけ。全部俺が弱いからというだけ、それだけだ。


 ……駄目だ。思い出したらまたちょっと体が震えてきた。

 あのときはそこまででもなかったはずなのに、ちょっと経ったこうなんて情けない。……次あの野郎に会ったとき、少しでも怪しまれないよう、平静に取り繕えるかな。


「と、とめるくん? だ、大丈夫ですか?」


 つい思い出してしまったせいで、固まってしまった俺に掛けられた声。

 あわあわと、風邪で顔を赤くした子供の額に手を当てる母親のような、そんな心配を孕んだ目を向けてくる。

 どうやら表情に出てしまっていたらしいと、何が分かるわけでもないのに、確かめるように軽く頬に触れてしまう。


 ……なにやってるんだ俺。一分一秒を無駄に出来ないってのに、あのクソ野郎が。


「……大丈夫ですよ。ちょっと嫌な過去を思い出してしまっただけですから。それより、続き──」

「だ、大丈夫じゃないです! とても顔青ざめて辛そうで……ともかく、今日はもう終わりにして休みましょう! 勉強なんかより、とめるくんの体調の方が大事です!」


 大丈夫だと呼び止めるよりも早く、夕葉先輩は立ち上がって寝室の方へと駆け出してしまう。

 夕葉先輩の憂いを打ち払える、そんな言葉が思いつかず。

 かといって時間を止め、一人で勉強を続けるほどの気力も湧いてくれず。手に持っていたペンを机に置いて、顔を手で覆いながら、ただぼんやりと天井を仰ぐことしか出来ない。


 嗚呼、まったく実に情けない。

 何もかも中途半端で、甘えていて、必死になりきれずに、自分が悪いのに八方塞がりとしか思えない。

 こんなんじゃいけないって、このままじゃ駄目だって、心の中では分かっているはずなのにな。クソッタレ。

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