二級探索者
ダンジョン庁、東京支部。
東京ダンジョンと地上を繋ぐ役所の中、人の行き交う東京ダンジョンゲート前にて、いつもはない緊張を胸に秘めながら柱に寄りかかっていた。
今日はいつも使う、戦闘と採掘で兼用しているツルハシは持ってきてはいない。
代わりに用意したのは腰に携えた鉄の剣と折りたたみ式の小型ツルハシ。そしてその他諸々と、俺がガチでダンジョンに潜るときの完全装備である。
今回剣を抜く機会があるかは分からないが、いつもみたいなバイトのノリで入る気にはなれない。
何せこれから向かうのは表層より先の上層。普段俺が活動する範囲を超えたエリアだ。
表層が遊園地だとすれば、上層からは自然豊かな地方の山。時間が止められるとしても、同行者が基本三級相当の俺ではちゃんと準備しないと心が安心してくれない場所だ。
……しかし待っている最中になんだが、本当に来るのだろうか。
あの誘い、実は夢だったのではないか。それとも勘違いかからかわれただけか、もしそうだったら傷つくな──。
「あ、時田くーん!」
スマホを取り出し、時間を確認していようとしたときだった。
俺の名を呼び、手を振りながら駆け寄ってきたのは黒縁眼鏡で黒髪の女性。リュックと大きな武器を背負った待ち合わせ相手、葵先輩だった。
「すみません時田くん。お待たせしま……どうしました?」
「あ、ああいえ、大学のときと雰囲気違うなって」
大学で話したときとは少し異なる、どこか生き生きとした雰囲気の葵先輩。
それに昼に見た普段着より、それとなく主張されてる胸が控えめに言ってえろ……げふんげふん、何でもない。
しかし……先輩が背中に背負っているのは戦斧か。女の探索者にしては随分珍しい得物だな。
無骨な黒い戦斧は、まさしく相手を断つためだけのもの。
この大きさ、この長さ。持つだけなら俺でも出来るだろうけど、武器として扱えるかと問われたら自信はないくらい。俺よりも小柄なのに易々と背負えているのはすごいな。
大前提として、戦斧はあまりメジャーな武器ではない。
ソロでは小回りの利く剣の方が人気だし、三級の活動範囲では必要ない武器だとダンジョン庁の研修でも教えられるからだ。
だが一方で使いこなせれば大剣に並ぶ、いやそれ以上の威力を発揮する素晴らしい武器なのは間違いない。
何せ切断という面で斧に勝る武器はない。表層ではほとんど無意味だが、上層以降へ挑む大多数の探索者であれば、パーティを組むからデメリットは補えることもあって有用な武器だ。
そんな戦斧をソロで自在に扱う女探索者……まるで青柳トワみたいだ。
まさか本人……なわけないか。そうだったら流石にコスプレしてるダンジョン配信者としてはあまりにうかつすぎる。
ああ、もしかしたら葵先輩も彼女と同じで、蒼斧レナに憧れたから戦斧を選んだのかもしれないな。そっちの方が納得だ。
「じゃあ行きましょうか。上層はあまり経験ないんで、今日はよろしくお願いします」
「はい。頑張りましょう!」
俺が改めて挨拶すると、葵先輩は任せてくださいとばかりに鼻を鳴らして頷いてくれる。
そうして二人でダンジョン内へ入り、二人並んで普段活動範囲にしている表層を抜けていく。
いつもならこの辺りで止まって採掘を始めるのだが、残念ながら今日はスルー。
何せ今回のダンジョン探索で用があるのは上層。よほどの何かがない限り命を落とすことはない人類安全域、表層の先にあるダンジョンの本当の入り口なのだから。
「しかし驚きです。まさか葵先輩が探索者、それも二級だったなんてすごいです」
「えへへ……」
移動の間、世間話がてらに改めて称賛すると、葵先輩は頬を赤くしながら口元をによによしてしまう。
そう。なんと葵先輩は二級探索者、つまり本物のエリートなのだ。
実際、学生の身で二級まで辿り着くなんて本当にすごいことだ。三級探索者資格が十八歳からしか取れないのだから、現役の大学生の中で二級まで辿り着く探索者なんて、それこそ両手の指だけで足りるだろう。
……あ、もしかして留年や浪人してたりするのかな。
そうして第十層を抜け、ダンジョン入り口にあったのと同じゲートを抜けて次の階層に入った途端、ダンジョンはガラリと変化してしまう。
普通の洞窟のようであった石壁は、血でも染みこんでいるかのような赤錆色へ。空気は少し重苦しく淀み、気配は心をざわつかせてくれる。
久しぶりの上層。表層とはまるで違う緊張でひりつき、つい剣の柄を手で撫でてしまう。
ここからは人類が安全と定義した域の外、いつものバイト気分じゃいられない場所。
いくら時間停止があるとはいえ、所詮三級な俺では場合によっては簡単に死に至るのだから、何かしら抱かずにはいられない。
まあ隣の葵先輩は流石二級と言うべきか、欠片も動揺せず表層を同じように歩き出してしまうので、頬を叩き気を引き締め直してから後に続く。
だが意外にも敵との遭遇もなく、しばらくしてから辿り着いた十二階層。
このまま今日の目的である十五階層へ到達するかなと、そう思った矢先だった。四足の獣が数匹、ひたひたと前方を歩いていたのを発見したのは。
「ダンジョンドッグですね。それでは時田くん、お願いします」
「了解です」
ダンジョンドッグ。
その名のとおり、そして見かけどおり大型犬みたいなダンジョン生物。速く、鋭く、獰猛な彼らは表層で慣れた三級の喉元を容赦なく狩る通称『洗礼の牙』だ。
こちらを捉えたのか、こちらへ駆け出したダンジョンドッグ。
焦ることなく戦斧を構える葵先輩の呼びかけに、俺は腰の剣──ではなく、ポケットからスマホを取り出して録画の準備をする。
これこそ今回俺が付き添った、というより誘われた理由。一言で言えばカメラマン役だ。
何でも実戦下での動きの確認をしたいらしいのだが、普段は一人で撮影スタンドを置いてやっているらしいのだが、あんまり上手くいかないので撮影に協力して欲しいのだとか。
なるほど。実によく分かる。
俺も一度はダンジョン配信者を志した身。ダンジョン生物と遭遇した際、一人でカメラを準備したり撮影の調整をするのは本当に大変なのだ。
実際、有名なダンジョン配信者はちゃんとした撮影スタッフやカメラを用意しているわけで、スタンドに置いてスマホで撮影……なんてのが成立するのは表層くらいだろう。
有名になったから予算をつぎ込めるのか、予算をつぎ込んだから有名になれたのか。
その辺りはダンジョン系に限らず、配信者という生業が生涯考えるべき問いかけだろう。
しかしすごい。圧倒的だな。
あのダンジョンドッグをまるで寄せ付けていない。まさに一撃一殺、撮る間もないほどの瞬殺だ。
「お見事です。撮る暇もないくらいでしたよ」
「あ、ありがとうございます。これでも一応、二級ですので」
瞬く間に打倒され、塵と化していくダンジョンドッグ。
スマホをしまい、彼らの落とした魔動石を拾い集めてから素直に称賛すると、葵先輩は少し顔を赤くしながら照れくさそうにも緩んだ笑顔をみせてくれる。
……多分だけどこの人、褒められるのに慣れていないんだろうな。かわいい。
「やはり十五階層に急ぎましょう。ダンジョンドッグでは練習に不向きですから」
そうして戦斧を背負い直した葵先輩の後に続き、再び歩みを再開する。
しかし本当にすごかった。
リアルで二級探索者の戦闘を見たのは火村さん以来だけど、まだ本気のほの字も出してないだろうに、こんなにも三級とは違うものなんだな。
もしも俺が複数体のダンジョンドッグを相手にした場合、時間停止抜きであんな簡単には対応出来ない。きっと負傷覚悟の死闘になるだろう。
上層は三級探索者にとっては大事な稼ぎ場であり、同時に絶対の壁でもある危険な領域。
どれだけ表層で力と自信を付けようと、多くの者はこの地に足を踏み入れてから、自らの過信を後悔しながら現実にへし折れる。温いなんて認識をされがちだが、上層はそういう場所だ。
けれども二級の彼らにとっては、上層なんてただの通過点。
今手に入れたダンジョンドッグの魔動石だって、それ一つで俺の並の日給に相当するだろうが、彼らにとっては拾わずとも困らない程度の石ころでしかない。
三級がバイトだとすれば、二級はいい会社の正社員。単純にスケールが違うのだ。
「二級はいつ頃なったんです?」
「ええと、確か去年ですかね? 実はちょっと嫌なことがあって、逃げるようにこもっていた時期があってですね……?」
つい尋ねてみれば、つらつらと話してくれる先輩。
……二級か。火村さんは買ってくれているが、このままやってて俺は辿り着けるのだろうか。
「えっと、それで……敵です」
話している最中、聞いているだけだった俺よりも早く何かに気付いた先輩は、立ち止まるよう告げてくる。
静止されて少し、やがて曲がり角から出てきたのは緑肌の人型、ダンジョンゴブリン。
表層にいる幼児サイズのミニゴブリンと違い、学生サイズで少し肉も付いていて、探索者が落としたであろう剣やら杖で襲いかかってくるダンジョン生物が複数匹、目の前へとやってきた。
……索敵能力も段違い、か。
まったく、どうしてここまで性能に差があるんだか。見た目はただの女性でしかないのにな。
「今度は俺がやります。せっかくなんで、アドバイスお願いしますね」
「……了解です。時田くんのお手並み、拝見させてもらいます」
珍しく、そしてらしくないと自覚しながら剣を抜き、葵先輩の前へ出ながら構える。
我ながら影響されやすくて困る。……さあて、せめて道中の露払いくらいは頑張ってみますかね。