どんな顔をしていたのか
しこたまエンジョイした三が日は瞬く間に過ぎ、あっという間に冬休みは終幕へ。
去年に比べて実に充実していて、恐ろしいほどに短い二週間だったと。
そんな何とも言えない感慨深さを抱きながら、どれだけ休みで弛んだ心が気怠かったとしても、単位のために大学へと趣かなくてはならないのだが。
「うにゅう……行っちゃうんですか、とめるくん……」
まだ一月と少しくらいしかお世話になってないのに、もうすっかりと慣れてしまった夕葉先輩のベッドの上。
ジリジリと響く、七時にセットしたスマホの目覚ましの音で目を覚まさせられた俺は、心底億劫ながら仕方なしに起き上がろうとした所、トロンとまだ眠気の中といった眼の夕葉先輩に服の裾を掴まれてしまう。
「すみません、起こしちゃいましたね。俺は一限からなんで、先輩は気にせず寝ててください」
「……やー」
一言断ってから優しく手を解こうとしたのだが、それよりも夕葉先輩の動きは早く。
俺をベッドへと引きずり込み、俺の頭を胸に寄せつつ結構な力で抱き枕にしながら、再び眠りについてしまう。
「今日も一緒、わたしが……むにゃ、すう……」
とても良い夢の中にでもいるのか、寝言を言いながら幸せそうな顔で眠る夕葉先輩。
そんな夕葉先輩と違い、今の俺は全面でおっぱいの感触を味わうという天国と地獄の両方を一変に味わわされてしまっている。
パジャマは着ているので直に触れることはないけれど、それでも朝勃ちという生理現象すらない性欲少なめな朝にされたとてあまり嬉しくはない。
鼻を少しの汗と、夕葉先輩の体臭の混ざった匂いがこう……あれだよねあれ、目が覚める。おっぱいに潰されて死にそうって、きっとこういうことなんだろうな。
結構な苦しさの中、先輩の微睡みを邪魔してはならないと時間を止める。
起こせばすぐに解決するのだろうが、それは忍びないし、起きた状態で行かないでとお願いされたら断れる気がせず。
だからこうして断腸の思いで毛布に俺の代わりになってもらい、大人しくだらけきった心に鞭打ち、一人寂しく冬の朝へと乗り出すしかないわけだ。
止まった時間の中で軽い朝の散歩ついでに寒い寒いと文句垂れながら、数日ぶりに自分の家へ。
時間停止を解除して、夕葉先輩の家とは違う、最早安心感さえ覚えるほどにちんけなユニットバスのシャワーで汗や何やらを流し、硬いだけのボロ椅子に座しながら、運良く冷蔵庫に残っていてくれた菓子パンと白湯でお腹を満たしていく。
……ふうっ、しかし何と質素で物寂しく、そしてしっくりとくる朝だろうか。
思えば最近は夕葉先輩と一緒に起きて、談笑を交えての優雅な一時を送っていたから忘れていたが、元々俺の朝はこういう適当な準備タイムでしかなかった。
時間停止がなかった頃なんて、それこそいつもぎりぎりで朝ご飯を味わう時間さえなかったくらいだ。その辺、母さんは自己責任と厳しかったもんな。まだ片手の指で振り替えれる程度の過去なのに、もう随分と昔のことみたいだ。
「……さて、そろそろ準備しなきゃな」
ガミガミ怒鳴る母さんの顔を思い出して苦笑しつつ、たまにはあの人の作った朝食でも食べたいなと感傷を抱いてしまいながら。
それでも気がつけば良い時間だとコップを片付け、ちょっとの暇で数日ぶりに再会した剣の手入れをしていれば、結構時間が押していたので時を止めて駅まで歩き、無理矢理に電車へと間に合わせる。
まだ今年が始まって十日程度しか経っていないというに、通勤時間帯の電車の中は大混雑。
社会で一回流行ったテレワークとかいう形式も大多数は終わりを迎えたらしいし、空飛ぶ車か何処でも行けるドアでも作られない限り、人類は永遠に混雑と痴漢冤罪に囚われたままなんだろうな。大学、卒業したくねえな。
将来への憂いと世知辛さを痛感しつつ、どうにか今日も満員を乗り切って大学へ。
一限は必修でこそないものの、比較的イージーそうなシラバスだったのに受講する人の少ない、穴場とも言える絶好の選択科目だ。
「ようとめる、あけおめ。元気してたか?」
「ああ篝崎君、あけおめ。まあそれなりに充実してたよ、正月だしね」
結構時間ギリギリに小教室へ入ると、そこには手を振ってくる篝崎君が。
どうやら髪を切ったらしく、マッシュからくたびれた舞台俳優のそれみたいになっていて、一瞬だけ着気付くのに遅れてしまったほどのビフォーアフターだった。
「大分イメチェンしたんだね。そっちの方がヤリチン感なくて似合ってるよ」
「ははっ、リナと同じこと言うんだな。そんなにチャラかったか?」
「俺みたいな陰キャじゃ話しかけたくないくらいにはね。そういえば、その星川さんは?」
「リナ? ああ、今日は朝一で何か服のイベント出るから来ないと思うよ。この講義は落としても問題ないって、始まった頃に言ってたくらいだし」
そうだった。こいつら落単一つなんて屁でもない、俺よりもGPAの高いリア充達だったわ。
「……お前らって、いつもべったりってわけじゃないよね。カップルってそういうものなの?」
「人それぞれじゃないか? 俺達の場合はいつも一緒とか疲れるだけだし、そもそも俺もリナも互いの趣味も違うからな。あくまでやりたいことはやりたいように……浪費多いからって、ダンジョンはちょっと遠慮して欲しいってのが彼氏としての本音だけどな」
あははと、困ったとばかりに苦笑しつつ、ちょっぴり顔をしかめてくる篝崎君。
まあ正直、気持ちは分かる。というか、俺も夕葉先輩という彼女がいるのだから共感せざるを得ない。
ダンジョンが危ないは当然として、どこまでいこうが探索者は肉体労働。つまりは体育会系メインの業界で、男女ともに積極的な人が多いのはよく知られた話だ。
人口にしても全体的な割合はやはり男の方に寄っていて、パーティ強制な昨今のご時世だと、彼氏としては例え相手が浮気するような性格じゃないとしても気が気じゃないはず。ダンジョン内という生存欲求で人の心が揺れ動き、パンピーにはまずバレない絶好の場所だからと、一時期ダンジョンは探索者のラブホテルなどとネット上で揶揄されるくらいだ。
……こうして考えると、やっぱり探索者ってまともな職とは言い難いよな。
というかそもそも、社会にある中でどれがまともな職なんだってのは、禅問答染みた曖昧な答えしかないレッテル貼りでしかない。
法を犯さず、税を納めてさえいればどんな職でもいいと言う者もいる。
バレずに金を稼げれるのなら、例え人を騙し陥れ、殺し奪おうとも正義だって宣う者もいる。
公務員以外はまともな職ではない、履歴書に書けない職はゴミだと、そんな事を声高々に話す人間だっている。
或いは何も考えず、働くこともなく、ただ面倒を見られていればそれでいいと存在を肯定される者だっていなくはない。
何が正しくて何が間違いなのか。お金の稼ぎ方に、生き方に正解や優劣はあるのか。
考えれば考えるほどドツボに嵌まり、ひたすらに脱線して、一生答えに辿り着けない究極の難問。
俺は一体、どうやって生きていけばいいのか。あと二年の間に、一旦の答えを出せるのだろうか──。
「ど、どうした? なんか難しい顔してるけど、今俺、そんなに変なこと言ったか?」
「……いや、ちょっと将来を考えてた。探索者、続けてもいいのかなって」
「はあ?」
そんな意味のない思考に耽っていると、ちょっと心配そうな顔で尋ねてくる篝崎君。
声を掛けられたおかげでやっと現実に帰ってこれたので適当に答えると、篝崎君は至極真っ当に、実に怪訝な顔で首を傾けてくれる。
それにしても、たかがカップルの惚気から、どうしてここまで思考が逸れてしまうのか。
こういうときの脱線なら、それこそお互いの趣味を尊重出来ているんだなとか、自分と篝崎君のカップル活動を比較しての感想とかそんなんだろうに。真面目かよ。
ともあれそんな久しぶりの、夕葉先輩以外との雑談に花を咲かせているとすぐに講義は始まってしまう。
別段語る内容でもなく、さして興味を抱けるような科目でもない教師の講義。
まさしく単位目的でしかない講義をダラダラと、再燃してきた眠気に支配されながら、それでもダラダラと頬杖突いて耳を傾けていた。
「……ん?」
そんなちょっと寝ちゃおうかなと船漕いでいたとき、不意にポケットの中で震え出したスマホ。
こんな朝っぱらに電話するやつなど母親くらいだと。
無視しようと思いながら、それでも一応誰かなと画面のお名前を確認すると、何と予想は外れて夕葉先輩の名前が書かれていた。
何かあったのだろうかと、ちょっぴり不安になってしまいながら。
ひとまず時間を止め、一旦暖房の効いた部屋から寒い廊下へ出てから、先輩の電話に出る。
「もしも──」
『あ、と、とめるくん! 良かった、良かったぁ……』
絞り出すような細い声。心の底から安堵したと、電話越しの模造音でさえ伝わってくる音。
まるで俺が死の淵から戻ってきたみたいな、それくらい涙ぐんだ先輩の声に一瞬思考が追いつかず、その場に固まってしまう。
「ど、どうしました先輩? 何かありました?」
『す、すみません。起きたらとめるくんがいなくなってて、久しぶりに一人になったせいで、ちょっとだけ不安になっちゃって……』
「……すみません。書き置きでもしておけば良かったですね。今度からそうします」
『い、いえ! わたしが悪いんです! こんなことで動揺しちゃわたしが全部悪くて、とめるくんは全然悪くないです! ごめんなさい!』
こちらに非があるのだからそんなに謝らなくてもいいだろうに、必死に謝罪してくる。
とりあえず何かあったわけでもなさそうだと。
ひとまずあとで掛け直すと電話を切り、大きく息を吐いてしまってから、再び教室へと戻っていく。
「あれ、とめるお前、いつ席立ったんだ?」
「さっきだよ。ちょっと雉打ちに行ってただけ」
「雉打ち?」
さっきまで爆睡していたというのに、たった数分の間に起きていたらしい篝崎君の質問に答えてから、吸い込まれるように席へと腰掛ける。
「……なんか、大丈夫か? 何か、さっきより疲れた顔してるけど」
「……何でもないよ。本当に、何でもないから」
篝崎君の心配に、俺はつい頬に触れてしまってから、出来ているかも分からない苦笑いで返すのみ。
今の自分がどんな顔をしているか、どうしてか、ちょっと見たいとさえも思えなかった。




