彼女と彼女
クリスマスも終わり、今年の終わりまで残り僅か。
街も目まぐるしいほど早く、仕事納めやら次のイベントへ切り替わっていく絶妙な時期の間だが、冬休みに入った学生の俺にとっては、特別何かあるわけでもない微妙な期間でしかない。
よってどう過ごすかと言えば一つ。やはりというべきか、探索者は探索者らしく、日々の稼ぎの場であるダンジョンであった。
「いやー、ありがとうございます。先輩のおかげで、ようやく条件を達成出来ました」
「いえいえ! とめるくんの役に立てるなら、このくらいお安い御用ですよ」
今日は先輩も配信を予定しているらしいので、ちょっと早めに切り上げながら。
それでも今日でついに上層活動、合計千五百時間を経過。
つまり二級探索者試験の受験条件を満たし、晴れて来年の試験に繰り出せるようになったわけだ。
いやー長かった。振り返れば色々あったけれど、何とか今年中に消化しきることが出来た。
日々の積み重ねは当然として、この前の擬態スライムの件でひたすら歩き回ったのも無駄じゃなかったちうわけだ。いやー良かった良かった、ソロ禁止になったときはどうなるかと思ったよ。
それもこれも全部夕葉先輩のおかげだから、もう足を向けて眠れないの大恩だ。
結局コミュニケーション問題なんて解決してない俺に頼れる探索者なんていないから、最近はずっと、それこそ青柳トワのダンジョン配信の頻度が減ってしまうくらい、一緒にダンジョンに潜ってくれていたからこそだ。
「……本当は危ないこと、して欲しくないんです。でも、どうしてもって言うなら、せめてわたしが一緒にいられればって」
「危ないって大げさですよ。上層なんて気をつけていれば──」
「でも! この前みたいな危ないことに巻き込まれたらって思うと気が気じゃなくて! ……あ、ごめんなさい。別に軽んじてるわけとかじゃないんです。ただ、本当に心配で……ううっ」
ついと、まだ施設の中にもかかわらず、取り乱して声を荒げてしまう夕葉先輩。
夕葉先輩の口からは初めて聞いた、ダンジョン庁のホール内に響いてしまうほどの大きな声。
すぐに落ち着き、段々と声を細くしていきながら、周囲の様子から申し訳なさそうに目を伏せてしまう先輩に、俺はどう反応すべきか戸惑ってしまう。
付き合いだしてからの夕葉先輩は、俺がダンジョンへ趣くこと自体に少しというか結構反対気味になってしまっている。
別に珍しい話ではない。大事になるほどダンジョンなんて危ない場所には行って欲しくはないと、そういう心配からの心境の変化は、例え現役の探索者同士であっててもよく聞く話だ。
身近な所でも篝崎君なんかは、今もまだ探索者を続けている星川さんにそう言った旨を伝えていたりする。もっとも篝崎君の場合は憂う程度で大分緩い方だが。
俺は自分に時間停止の力があるのを知っているが、夕葉先輩にとって俺は平均より少し動けるかどうかの三級探索者でしかない。
特別強くもない、何なら弱くすらある守るべき庇護対象。
擬態スライムの際、俺がナナシの制止も聞かずに入ってしまったせいで酷く心配させてしまったのも原因の一つだと思うが、それでも先輩にとっての俺は背中を任せたり肩を並べるレベルですらなく、地上で大人しくしていて欲しい程度の存在と、別にそんなこと言われたことはないが要はそういうことだ。
……ほんと、何から何まで施されてばかりで返せてない。情けないな、俺。
「お、なんだなんだ。若いカップルの痴話喧嘩かと思えば、マイ弟子のとめる君じゃん」
見下ろす夕葉先輩に、抱いてはいけない黒い気持ちが芽生えそうになった。そのときだった。
聞き覚えはあるのに少し懐かしく思える女の声と共に、肩を組んで耳元で俺の名前を呼んでくる誰か。
少し腕に当たってしまう、柔らかく大きな胸の感触にちょっとだけドキリと胸を弾ませながら、弟子と呼ばれたことですぐに正体に見当が付いた。
「あ、お久しぶりです火村さん。夏以来ですね、元気してました?」
「あー、まあボチボチかな。年末だってのに色々立て込んでたり何か忙しかったり、あの夏を思い出してため息を吐いちまうときもあるが、まあ頑張ってはいるよ。うん」
俺から離れつつ、曖昧に苦笑しながら頷く火村さん。
言葉どおりに相当忙しいのか、夏頃に比べて少し生気のない笑みを浮かべる火村さんからは、どうにもくたびれた社会人のような哀愁を感じてしまう。
「そんでなに騒いでたんだ……って、おお? お前の連れ、随分可愛い子じゃん。なんだなんだ、友達か?」
「あー、えっと……彼女です。俺の彼女の、葵夕葉さん」
「……あー、そか。そうかそうか、お前もついにそういうの出来ちまったか! なんだよ、いるならいるって言ってくれてもいいじゃんかこのやろう!」
一瞬、ほんの一瞬だけ、火村さんはどこか面食らったように呆けた後。
どういう感情なのかと首を傾げてしまっていると、火村さんもすぐに思考を取り戻したのか、何度も何度も頷いてから、面白そうな話題を見つけたと満面の笑みで俺の胸を肘で小突いてくる。
……別に、隠していたわけじゃない。
忙しい最中にわざわざ伝えることでもないかなと思ったし、からかわれるのも嫌だったし、何より夏からどうなったのか知らない火村さんの男女関係の地雷がどこか分からないせいで、こういう話を振りにくかったんだよ。
「おっと、名乗るのが遅くなったな。私は火村茜。二級探索者で、とめるとはまあそれなりの仲だ。よろしくな」
「……葵です。よろしく、お願いします」
火村さんは思い出したように気さくな笑みを浮かべながら、俺のそばにいた夕葉先輩手を伸ばして挨拶する。
けれど名乗られた夕葉先輩は、どうしてか少し警戒していると察せられるくらい、どこか恐る恐ると言った具合でその手を取る。
今まで経験したことのない、どこか気まずい空気。
戦闘中の張り詰めたそれとは違う、全身が沼の中に浸かってしまったみたいな、そんな感覚だった。
「……まいったね。そんなに怖いかね、私の顔」
「そ、そういえば火村さん。今日はどうしたんです? ダンジョンですか?」
「そうだ、聞いてくれよとめるぅ。実はダンジョン庁から呼び出されちまったんだよぉ。内容についてはまだ知らねえが、どうにも面倒極まりなさそうな案件に巻き込まれそうで参っちまう。今ナーバスだから、重いのやりたくないってのよ」
形容しがたい空気を少しでも変えようと、とりあえずの話題転換と火村さんに尋ねてみる。
すると首元に手を置き、珍しく困ったようにしていた火村さんは水を得た魚のように愚痴り始めてしまう。
……にしても、ダンジョン庁からの招集ってどんな立場なんだこの人。
まさか八代さんやナナシみたいな特別二級なんてこと……は、流石にないか。
少し特殊らしいとはいえ、真っ当な会社員やってる火村さんにダンジョン庁の犬やってる時間なんてないもんな。右を見ても左を見ても特別二級だと思っちゃうのは最近の悪癖だ、直していかなきゃな。
「それでよ……ってわりい、邪魔しちゃったよな。私はもう行くから、二人とも良いお年を。また落ち着いたら連絡すっから、また飲みにでも行こうぜ」
「ええ。次も美味しいの、期待してますよ」
「りょーかい。あー、ちょうど食べたかったし伊勢エビとフグ、どっちにすっかなぁ……」
怠そうにひらひらと手を振り、何やら期待できるワードを独りごちながら火村さんは去っていく。
相変わらず出会いと別れだけはまるで格好いい、そこだけ見れば漫画の師匠キャラみたいにな人だと。
夏から変わりないあの人の顔を久しぶりに嬉しくなってしまっていると、下げていた俺の右の手が、不意な感触を覚える。
「ふふっ、相変わらずだなあの人……って、大丈夫ですか夕葉先輩。どこか顔色悪いですけど……」
「とめるくん。あの人、なん、ですか……?」
「あの人? ああ、もしかして火村さんですか? 昔ダンジョンでお世話になった恩人で、たまに飲みに連れて行ったりしてくれるんですよ。ま、最近は忙しそうですけどね──って!?」
まるで冬のプールに飛び込んだ後みたいに声を震えさせ、俯きながら尋ねてくる夕葉先輩。
不意の再会に気を取られ、彼女である先輩を若干蚊帳の外にしてしまったことを申し訳なく思ってしまいながら、掻い摘まんで説明していったとき、段々と握る手の力が強くなっていってしまう。
こ……って痛い痛い痛い、超痛い、痛いって──!!
「先輩、すみません先輩、ちょっと痛い……」
「……あ、ご、ごめんなさい! だ、大丈夫でしたか!? ほんとに、ごめんなさい!」
流石にきついと少し声が歪んでしまったと同時に、我に返ったとばかりに先輩の手が離れる。
先輩に握られていた手は、見事にその部分が分かるくらいに赤くなってしまっている。
折れたとか痛めたとか、そういうわけでもなさそうなので大丈夫だが、だからこそ逆に痛々しいとも思えてしまう。
二級探索者の、それも一級寄りと言えるまでに強い部類であろう夕葉先輩の力。
これでも全然手加減の範囲内ではあろうが、もう少し強かったら流石にちょっと危なかったかもしれないパワーと、やってしまったと酷く狼狽える先輩がアンバランスだと、どこか他人事のように思えてしまった。
「……すみません。ちょっと力、入っちゃって」
酷く沈んだ声色、取り返しのつかないことを懺悔するみたいに謝ってくる夕葉先輩。
そんな彼女に大丈夫だと返しながら、まだジンジンと訴えてくる手の痛みの中で、ふとネットの記事を思い出してしまう。
『美女と野獣! 身体能力の違いは、些細な喧嘩から事故を生む!』
探索者との恋愛で注意すべき十の事柄なんて記事の中に記されていた項目の一つに、確かそんな項目があった。
身体能力の違う人間同士で接触していればこういうことはままあること。むしろ今日までこんな事故がなかったのは、上手くいきすぎていたとさえ思えることだ。
どういうわけか容姿の良い人間の集まりやすく、お金だって持っている探索者の上位層。
そんな社会的にも勝ち組であろう彼ら彼女らの結婚率が低く、するにしても同業の人間が多いのは、こういった身体能力の差によるすれ違いが少ないからとされているのだ。
けれど、例え身体能力に大きな差があったとしても、害する気持ちがなければそんな事故はそう起きない。
あるとしたら心の動揺。何かしら、先輩が平静を失ってしまい、力加減を間違えてしまう何か。普段との違いがあるとしたら……もしかして。
「……あの、とめるくん。今日、うちに泊まってくれませんか?」
「え、でも今日は配信するって──」
「いいんです。……駄目、ですか?」
思い当たりに至ったと同時に、夕葉先輩が震え声のまま、そんなことを提案してくる。
先ほどまでと明らかに違った、迷子の子供が大人へと縋り付くかのような不安げな眼差し。
まるで今断ってしまえば夕葉先輩が壊れてしまいそうだと、そんな漠然とした、けれども何故かそれが正しいと思えてしまう目に、どうしていいか戸惑ってしまう。
……もしかして、火村さんと話していて、不安にさせてしまったかな。
「……分かりました。今日も一緒にいましょう、夕葉先輩」
少しだけ震える先輩の手を、まだちょっと痛む手で握り直しながら、何とか笑顔と作って頷く。
断るべきだったのかもしれない。
心の片隅でそう考えてしまっていたけれど、こんな状況が初めてな俺では、それを口に出すだけの言葉が思い浮かんでくれなかった。