突然の誘い
一限と二限と今日の講義を終え、帰宅のために大学内を歩いていく。
久しぶりに火村さんに会い、二級云々の話をしてしまったからだろうか。今日は少しだけダンジョンへの意欲も強いし、帰って昼飯食べたら夜までダンジョンにこもっていようなんて気分だ。
しかしおランチ、何食べようかな。
これから帰るんだしおにぎりって気分じゃない。なんかこうたまにはリッチに、労働前の景気づけになりそうな……そうだ、ちょっと遠出して興味あったとんこつラーメンでも行っちゃおうかな──。
脳内にラーメンをイメージし、すっかりそんな気分になっているときだった。
またしても前から来た人とぶつかってよろけてしまうも、今度はどうにか踏ん張ることに成功する。
危ない危ない。これでも三級探索者、何度も転がされては立つ瀬がないからね。
「す、すみません……」
「ああいえ……あ、すみません。ちょっといいですか?」
少しくらいは文句言ってやろうかなと。
自分が大人げないのを自覚しながらも、そんな腹づもりで沈んだ声で謝ってくる犯人の方へ目を向けてみれば、目の前にいたのはこの前お弁当を空へと舞わせた黒縁眼鏡の黒髪女性だった。
「あ、え、何か用ですか……?」
去ろうとする彼女を呼び止めるも、借りてきた猫のように警戒を露わにしてくる。
まあ当然か。一見ただのナンパだもんな。イケメンならここからラブロマンスが始まるんだろうが、生憎俺の凡々フェイスが覚えられているかも疑問だ。
「人違いならすみません。実は以前お見かけしたのですが、これ落としていませんでしたか?」
「え、あ、わたしの……! わたしのです……! うそっ、もう見つからないかと……!」
リュックから取り出したキーホルダーを差し出せば、彼女は目を大きくしてすぐ、追い切れないほど俊敏に奪取し、じっと見つめた後で大事そうにぎゅっと握りしめる。
良かった。どうやら人違いにはならなかったようだ。
しかし速かったな手の動き。曲がりなりにも三級探索者な俺が捉えきれなかったんだが、この人何者だ……?
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
「いえ、俺も渡せて良かったです。……それ、蒼斧レナは戦慄かないの蒼斧レナで──」
「知ってるんですか!? 蒼斧レナ!」
まあ気になりはすれど、彼女についての詮索は失礼だしと。
その辺は流しつつも、気になっていたもう一つについて尋ねた。その瞬間だった。
ぐいっと顔を寄せ、眼鏡のレンズを輝かせながら、喰い気味に尋ね返してくる彼女。
あまりの勢いに押され気味になりながら、それでも「はい」と頷くと、彼女はパアッと花が咲いたみたいな可愛らしい笑顔を見せてくれるではないか。
こんな場所での大声は流石に目立つのでと提案すると、拾ってくれたお礼にと、奢ってもらうついで食堂で話をすることになった。
葵夕葉と名乗った彼女は、どうやら同じ学科で一つ上の先輩らしい。
「それでそれで! わたしは五巻の暗部五画抗争編の中盤、レナが七の混沌獣を前にして絶体絶命という場面で……あ、ご、ごめんなさい! 蒼斧レナのことを話せる人、大学でも初めてだったんでつい……」
「いえ、大丈夫ですよ。知っている作品を語れるとなったら猛っても仕方ないですって」
大学の食堂にとんこつラーメンなどあるわけがないので、妥協の醤油ラーメンを食べ終わってもなお続けられる、途切れることを知らないマシンガントーク。
ガチファンの圧倒的熱量にたじたじとしていると、葵先輩は我に返ったと頬を赤くし、縮こまりながら謝罪してきたので大丈夫だと伝える。
確かに最初こそ面食らったが、慣れてしまえばどうってことはない。
俺だってどこまでいこうが人間。好きなものがあるのだから、語りたい彼女の気持ちは大いに理解出来てしまうので責める気にはなれない。
俺も現在一番のマイブーム、青柳トワを布教したい気持ちはあるからね。まあ配信者、それもマイナーな個人勢というのは特に人に布教しにくいと理解してるからこそ、むやみに人前で名を出すことはしないけどさ。
「それに俺も話してみたかったんですよ。あまり有名ではないし、結構古い作品なので周りに読んでいる人もいなかったので」
これは相手に会わせたわけではなく、偽らざる本音である。
青柳トワに影響されて購入し、全巻読み終わって満足感のまま感想を調べてみたのだが、ほとんどヒットすることはなく。
語る場のなかった俺にとって、目の前で喜々として語ってくれるガチファンというのは、いつも掘ってる魔動石の当たりサイズより遙かに希少な存在だった。
「そ、そうなんですか……あっ、そういえば、時田くんはどこで蒼斧レナと出会ったんですか?」
「ああ、俺が推している配信者がモデルにしているキャラなんですよ。その縁から読んでみたんですけど、これが中々趣味に合ってまして中古で全巻買ってしまったって感じです。……ちょっと邪すぎますかね?」
「い、いえいえ! わたしも学校の図書室で見つけたのがきっかけですし、出会いは何でもいいと思います! はい!」
別に偽る理由もないと、多少苦笑いしながら素直に話してみると、葵先輩は両手を前に出して否定してくる。
ちなみに中古ショップで買った全十二巻、締めてお値段千五百と七十円。お値段以上に満足したので損はない買い物だったと断言しよう。
「あの、良ければそのダンジョン配信者のお名前を教えていただけませんか?」
「ええまあ。青柳トワっていうダンジョン配信者なんですけど、自分の理想をひたむきに叶えようとしている所が好きなんですよね」
訊かれてしまっては仕方がないと。
一度話し始めてしまえば俺も同類、するすると青柳トワについての説明もとい推しのPRの歯止めが効かなくなってしまう。
何せ青柳トワの名前をリアルで出すのは初めてのこと。ダン考でも濁しているのだから、大学内で話すなどとは想像もしていなかった。
「それに実は俺も探索者なんで、派手な立ち回りとかの参考にしてる部分もありますけどね。恰好から佇まい、戦法やしゃべり方なんかも蒼斧レナを参考にしながら、中層を一人で歩いているのはすごいなって、あははっ」
既に結構語ってしまった所で、ようやく葵先輩が固まってしまっていることに気付いてしまう。
まずい、失敗したか。多分したな。
つい流れで話してしまったが、さきほど知り合った男が有名でもない配信者を語り出すとかどん引きもの。これじゃ合コンで目当ての女性と仲良くなりたいから斜め上の趣味を挙げる痛い男みたいじゃないか。
「ああすみません。これ、ご馳走様でした。それではまた」
「あ、待って!」
あまりの失態に醤油ラーメンの余韻すら抜けてしまいながら、逃げるようにお盆を持って立ち去ろうとしたのだが、葵先輩の呼び声につい足を止めてしまう。
な、なんでしょう。
今日はもう家に帰って、この失態を忘れるためにダンジョンで掘りまくりたいんだけど。
「あ、あの! 一つ、お願いがあるんですけど……よ、よければわたしとダンジョン! 潜ってくださいませんか!」
「……え?」
思ってもいなかった提案に、つい振り向いてしまう。
立ち上がった葵先輩が人差し指をもじもじと合わせながら、俺を見上げながら、真っ直ぐに見つめてきていた。
読んでくださった方へ。
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