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おっさん二人、何も起きないはずがなく

 夜も佳境、ちょうど丑三つ時を回るか否かの頃。

 最早大半の労働者も家で眠りに就いているであろう、そんな時間だというのに、ダンジョン庁の一室には小さな明かりが灯ってしまっている。

 

 数人分のデスクといくつかの棚やら家電やらが置いてあるだけの小さなオフィス。そんな働くためだけの部屋に灯る白い光は、小さな部屋のデスクに置かれたライトスタンドによるもの。

 誰かの消し忘れと思えるほど僅かな明かりのみの、目が悪くなりそう程度に暗い部屋の中。

 そんな部屋の中で黒髪の、美少女よりも美少女であろう美青年──ナナシと呼ばれる男は一人で項垂れながら、虚無だと思えるほどの何の色もない顔で、じっとパソコンの画面を見つめていた。


「うーん、うーん? ……うーん?」

「何うんうん唸ってるんだ。部屋の暗さと相まって、最早軽くホラーより怖い絵面だぞ?」

「あ、おっさんちっすちーっす。いやー配慮っすよ配慮、ただでさえ騒がれてるのにこんな夜更けまで部屋に電気点いてたら、ダンジョン庁は労働環境もブラックだー……みたいな?」

「……よく言うぜ。基本的に配慮のはの字ねえ問題児が、暗いところが好きなだけだろ?」

 

 現在十五を超える連勤の最中、まさに真っ黒な社畜と形容すべきくたびれた目つき。

 そんな目をした彼しかいなかった部屋の真っ暗な静寂を引き裂くように入ってきた、熊のように大柄な男。八代(ヤシロ)は、お茶目にウィンクしてくるナナシへ呆れ果てた目を向けながらも部屋の明かりをつけ、手に持つビニール袋はナナシの前へと置いた。


「ほうら差し入れだ。経費でない、純度百の奢りだから感謝して噛みしめろよ?」

「へいへい。おっ、塩にぎりたぁ分かってる……って、おっさんはデザートっすか?」 

「いいじゃねえかよ。今日もカルボナーラの気分だったんだが、昨日みたいに臭い云々言われると面倒だからな。だから先にイートインで食ってきたんだよ」

「ふーん?」


 多少ばつが悪そうな八代の説明を、ナナシはどうでも良さそうに聞き流しながらおにぎりの封を解く。

 海苔の一枚さえ巻かれていない、真っ白で塩と米の味しかないおにぎりが二つ。

 味気ないのに味があるのが自分に似ていると、味より在り方が気に入っているらしい好物に顔を綻ばせたナナシは、先ほどまでの疲労感じさせない朗らかさで食べ進めていく。


「んでナナシ、あんな暗い部屋で何してたんだよ。サボって職場で雰囲気出してのAV視聴か?」

「セクハラっすよ。まあいい加減に報告書ポチポチするのも飽きたんで、ちっとばかり休憩に殺人動画見てたって感じっす」


 まるで同級生とからかうようにケラケラと、少年のように笑みを浮かべる八代。

 そんな歳上のおっさんの冷やかしにナナシはけっと軽く吐き捨て、モニターの頭頂部をコンコンと小突いて八代から視線を外し、再び動画を再生していく。


「……そういえば、外はどうだったんすか? うち最近外見てないんで知らないっすけど、お外は落ち着いたんすか?」

「ああ、クソだクソ。もう閉館時間飛んで深夜だってのに、正面の取材連中の目がスクープ欲しさにギラギラしててなぁ。夜のサバンナでも中々見られねえぞ、あんな獲物を狙う目は」


 よく真っ白なおにぎりを食べながら、人死の中でも屈指にグロテスクな映像を見られるよなと。

 ナナシの過去を知っている八代ですら、内心ちょっとどん引きながらも、ビニール袋から取り出したエクレアを持ったままお手上げだと両手を上げる。


 立ち退けと講義されているのに、ダンジョン庁の正面に張っている無数の撮影カメラと取材陣。

 意地でも退かぬと言わんばかりに彼らは安定のマスゴミか、それともジャーナリズムの鑑か。

 真実を暴く正義の記者と人の不幸を世にばらまくプライベート暴きは表裏一体で、今回はさぞ民衆に支持されているのだろうなと、ナナシは様々な物への呆れを一息に乗せて吐いた。


「人って本当に自覚のない畜生っすよね。……まあそれを加味しても、今回の上鈍重過ぎないっすか? こんな事態になったのなら、面子なんて捨て置いて、大人しく情報開示しちゃえばいいのに」

「それ、よりにもよってお前が言うのか? ……ま、スライムの方はひとまず収拾がついたからな。残りが犯罪者一人になっちまえば、我らがお上もいい加減に重い腰を上げるだろうさ。とはいっても、そっちの進展なんてまるでねえがな! ブッハッハ!」


 ゲラゲラと大袈裟に、そしてわざとらしく笑う八代。

 そんな同僚の冷やかしに、ナナシは呆れたように小さく首を横に振って動画に意識を戻した。

 

 実のところダンジョン庁の上層部は、「自称ダンジョンの死神」をそこまで重要視していない。

 個の命よりも探索者という職の保護を優先している彼らが本当に恐れていたのは、よりダンジョンを人から遠ざける恐れのある、人を喰らい化ける擬態(ミミクリー)スライムの方であった。


 彼らの想定する最悪は殺人事件とスライムが何らかの形で結びつき、その存在が露呈してしまうこと。

 ダンジョン内の安全が失われるのもそうだが、何よりはこの特殊個体が悪意を持つ誰かに奪われ、研究の果てに悪意で利用されでもすれば、間違いなく人類の安全を脅かすであろう。

 それ故にダンジョン庁は捕獲ではなく駆除を選択し、特別二級の中でも腕の立つ二人を酷使してまでこの一件を闇に葬るべきと決定したのだ。


 だからこそのダンジョン閉鎖であり、故に現在調査中で濁す他なかったというだけ。

 酷い言い方ではあるが、まだ一人しか犠牲者のいないただの悪趣味な殺人事件程度であれば、多少は厄介なれど、特別二級の中ではさして特殊でもない案件でしかないのだ。


「ま、これでスライムの方が何も解決してなかったら大問題……っておい、どうした?」

「いんや何もー? ただこの動画、やっぱり引っかかるんすよねー。なんていうか、言動との不一致がすごいみたいな?」


 カチカチと、ナナシは問いを投げた八代の方を向くことなく、マウスを弄りながら渋い顔をするばかり。

 黒髪の男の娘の視線の先、パソコンで何度も何度も繰り返される悪趣味な殺人配信。

 冒頭の演説部分は興味がないと振り返らず。死んでは巻き戻り、バラバラになっては巻き戻り、ただひたすらに見つめた結果、出せた結論と言えばそんな程度であった。


「あー、例えばここ。ちょうどバラバラになった直後なんすけど、死体を映すのが一瞬すぎるんすよ。こういう頭のネジが飛んだような愉快犯だったら、むしろ自分より成果物を見せつけると思うんすけど、派手に()った割には一瞬だけってのはどうも噛み合わないんすよねぇ」

「……そう言われてみたら確かになぁ。相変わらずよくそういうのに気付くよなぁ」

「しっかりしてくださいよ元刑事(デカ)。うちの誘惑を一目で見抜いて逆に嵌めてきた、あの頃のキレはどうしたんすか?」

「過去の話を持ち出すなよ。あの日は女に振られたせいで気が立っていたんだよ、マジで」


 エクレア片手に後ろへと回った八代は、ナナシのジロリと棘のある視線を一瞬だけぶつけられ、ばつが悪そうに肩をすくめてしまう。

 

 不都合故に抹消しろと、八代の存在を不都合に思った誰かにそう依頼を受けたかつての自分。

 そんな自分を性別まで看破した上で誘いに乗り、ベッドの上での完璧な誘惑さえ返り討ちにしておいて、ニヒルな笑顔で逆に手を差し伸べてきた生粋の変わり者。

 例え強くとも社会の歯車の一分でしかないだろうに、底なしの底に手を突っ込んで引っ張り上げてくれた恩人。それなのに恩返しの一つも許してくれない、本当に最低な男。

 

 そんな男も、今じゃただの同僚の小煩いおっさんでしかないなと。

 ナナシは自らを組み伏せたあの(おとこ)味を思い出しながら、やれやれと首を振ってしまうばかりであった。

 

「あーあ、せめて死体がちゃんと映っていれば、もういっくらでも考察し放題なんすけどねぇ?」

「あむっ、現物なしでもそこまで分かるもんなのか?」

「死体ほど雄弁に、そして素直に語ってくれる人はいないっすよ。ほら、生き物が死んだ直後って結構特徴あるじゃないっすか。ひっくり返った蛙がピクピクって動くーみたいに、筋肉の微細な痙攣やら血の流れ方やら色々と。蛙じゃなくて人間だったとしても、肉と神経が残ってる限りはバラバラでも変わらないんで、物がなくても絡繰りが分かるかもなって……」

「んな当たり前のように言われても、俺は死体の専門家じゃねえんだわ。それこそお前と違ってな」


 まるで日常会話のような平坦さで語るナナシ。

 そんな男の娘のスプラッタな常識トークに、八代はうわっと、若干引いているとばかりの態度を見せながら、けれど離れることなく近場の椅子を引っ張ってナナシの隣へと並んだ。


「しかしあれだよな。この派手さ、昔のアメリカのB級映画みたいな陳腐さだよな。ほらあれ、『バイオレンスボム』でヒロインが爆散するシーンみたいな」

「……何すかそれ。うちそういうの、まったく見たことないんすけど」

「まじかよ! じゃあ『マシンミュータント45』とか『ゾンビカーニバル』とか知らねえの!? そいつは人生半分、いーや七割は損してるな! ……そうだ、今の案件片付けたらうちで上映会やろう! こんだけ頑張ったんだから、そこそこごねれば特別休暇くらい貰えるだろうしよ!」

「ええ……おっさんの家おっさん臭いから嫌なんすけど……まあそれならコーラとポップコーン、あとピザの用意しておいてくださいね」


 大きくため息を吐きながら、仕方がないなと折れてやったと分かりやすく示すように、けれども少しだけ口元を緩めながら提案を受け入れるナナシ。

 そんな二十代後半を迎えた男には似合わない、素直じゃない肯定に「素直じゃねえな」と思いつつ、余計なこと言って拗ねられたくはないと口を噤む。


 ふと八代の頭を過るのは、ナナシと出会ったかつての一夜のこと。

 刑事を辞めて、特別二級になって数年の頃。

 急に入ってしまった任務の後、待ち合わせに間に合わなかったせいで付き合っていた女に愛想を尽かされ、珍しくバーのラウンジで一杯やっていたとき、まるでそういう画面でも被ってるような完璧な笑顔で一夜を誘ってきた美少女に化けた美少年がいた。

 

 誰だって惚れるような女の笑顔を見せながら、情なんて砂一粒分でさえも感じさせない虚無の瞳と透明な殺意を向けてきた暗殺者。

 後に知ることになった、不可思議たるダンジョンがこの世に現れるずっと前からある、世には出せないこの世界の裏。その中でもどん底の闇を体現したような、心も性も、そして名前にすらも持つことを許されなかった何でも屋。

 それが今ではアメリカ式B級映画鑑賞会に付き合ってくれるようになるのだから、人間分からないもんだなと感慨を抱く他なかった。


「しかし陳腐、陳腐ねえ……あ、あーっ!」

「な、なんだぁ?」

「そうか、そうっすよ、そうじゃないっすか! あーなんで気付かなかったんだろ()()、というか警察連中も気付かなかったんすかねこれ!? 節穴すぎるよまったくもう!」

 

 そうして隣に人が増えながら、頬杖を突いて停止中に動画へと視線を戻し。

 それに気付いてしまったナナシは、珍しく昔の一人称に戻ってしまうくらいの衝撃で、椅子ごと後ろへと飛び跳ねてしまう。

 

「……うん、やっぱりそうっす! だとしたら……キヒッ、フヒヒッ!」

「お、ど、どうした? 度重なる連勤のせいで、ついにおかしくなっちまったか?」

「生憎っすけど、最高に冴えてるっすよ! だからおっさん資料室、第二資料室行くっすよ! ほら早く!」

 

 八代の心配をよそに立ち上がったナナシは、乱れる髪を気にも留めずに再度動画を再生し、呼吸さえ忘れたようにジッと見つめる。

 そうして一周視聴を終えたナナシは、ついに確信を得たように頷き、先生トイレのノリで八代の手を掴んで部屋から飛び出していく。


 違和感はあった。それを拾い上げることも出来ていたし、頭を悩ませることも出来ていた。

 それでもその大きすぎる穴に気付けなかったのは、ある種死の専門家故に起きてしまった深読みのせい。

 特殊な死に方であれば、何かしらのタネを以てそう殺しているのだろうと。そんな前提を抱いてしまい、答えありきで繋げようとしてしまったが故の失敗であった。

 

「ちょい待て、待てってナナシ! 行くのはいいが、第二は上の許可ないと見られねえの知ってるだろ?」

「……そういやそうっした。じゃあおっさん、なる早で閲覧許可取ってくださいっす。あの偏屈眼鏡、うちには絶対に許可出さないだろうし、ほらハリハリー!」

「あーもううるせえ! 一応電話してみるけど、深夜真っ只中だし普通に室長寝てるだろうよ。あの人の機嫌損ねたくないし、別に朝でもいいと思うんだがなぁ」


 八代の制止で足を止めたナナシは、掴んでいた手をブンブンと振って許可の申請を急かす。

 このままじゃ腕が千切られそうだと、無理矢理振り払った八代は渋々とスマホを取り出して彼らの上司、正式には特殊案件課の室長へと電話を掛ける。


 足音と声が止み、スマホからのコール音だけが響く暗い廊下。

 仕事か下のダンジョンに殺された人間の霊でも出てきそうな雰囲気の場所で、数秒の待機の後、意外にも呆気ないほど簡単に電話は繋がった。


「あ、起きてた……ごほん、夜分にすみません室長。二週間くらいは家に帰れてない八代ですけど、実は第二の資料の閲覧許可をいただきたく……えっ、何の? あー少々お待ちを……おいナナシ、何覗きたいんだ?」

「特別二級の個人情報っす。第一被害者吾妻(あがつま)薫子(かおるこ)について、特別二級が加入時に必ず行う面接の記録が見たいっす」

「あー、吾妻ぁ? ああそうです、吾妻薫子の。出来ればすぐに確認したいんですが……ああ、マジっすか、ありがとうございます! 夜も遅いですし、室長はごゆっくりお休みください。え、そんな謝られても困りますって。あーもう泣かないでくださいって。ええ、ええ、では明日。失礼します」


 せこせこと、その場に相手がいないのに小さく頭を下げながら通話する八代。

 

 ナナシが見たいと言ったのは表の顔として登録されている通常のではなく、特別二級探索者となる際に必ず受けさせられる面接で得られた情報の記載されている、特別二級としての職員情報。


 ダンジョン庁秘蔵の嘘を見抜くダンジョン宝具と、偽りの詳細を暴く魔法(マジック)持ち。

 それらを通し、偽りを許さぬ形で収集された個人情報の塊。如何に特別二級と言えど、一介の職員には覗く権限のないそれをナナシはそれが見たかったのだ。

 

「……随分ネチネチしてたっすね。それで、結果は?」

「ああ、何かあの人相当に酔ってたっぽくてな? 途中でごめんな、ごめんなって泣き出されてもこっちが困るんだよな。……あ、明日書類作るから好きに見ていいってよ」

「無理もないっすね。室長も大分上にせっつかれてたらしいし、管理職ってのは地獄っすよねぇ」

 

 電話を終えた八代は、心なしか疲れたような表情を浮かべながらも親指と人差し指で指で丸を作ってみせる。

 無事に受諾されたことにグッと拳を握ったナナシは、今度は廊下を走ることなく、二人並んで資料室までの道のりを進んでいく。


「それで何で吾妻なんだ? 死んだやつの情報なんざ、そう必要でもないだろうに」

「忌々しいことに、その前提のせいでこうまで拗れちゃったんすよ。いやー、こうまで見事に踊らされた自分が恥ずかしくて仕方ないっすよ。穴があったら入りたいくらいっす」


 これじゃ三級少年のことをドヤせないと。

 両手で顔を覆い、自らの不手際を心の底から嘆いたナナシに、八代は要領を得ないと首を傾げてしまう。


「まあ説明は面倒だし、資料見ないと断言出来ないんで終わってからで。……ねえおっさん、上手くいけば来週には出来るかもっすよ。さっき言ってた、映画試聴会とやら」

「はあ?」


 訳が分からないと、大きく首を傾げる八代。

 そんな八代の疑問にナナシは、まるで悪戯を思いついた子供のように純粋な瞳で、歯を見せるほどにやりと笑みを見せつけるだけであった。

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