一件落着……?
かくして悪魔の擬態スライムは、ナナシの圧倒的強さの前に討伐された。
時間停止さえ必要ない、あまりに見事な手腕と戦闘力。
特別二級が特別とされる由縁の一端に驚嘆させられた後、しばらく経って合流した二人と帰路に就いていたのだが。
「……ブハ、ブハハハッ! それであんちゃん、ああして正座させられてたってわけか! そりゃ信じるに至らなかったお前の交流不足だな、ブッハッハ!」
地上への帰路の最中、片手で大きな魔動石を持ちながら前を歩く八代さんは、平時のダンジョンであればダンジョン生物が寄ってくるくらい腹の底から大笑いを上げる。
八代さんが笑うのは、つい先ほどまで俺がさせられていた醜態について。
合流するまでの間、ダンジョンの中で正座させられてのお説教させられていたのだが、そんな珍妙な光景がダンジョンにあるのは視聴者ウケを狙ったドッキリ動画の中くらいだろう。
「おいおっさん、笑い事じゃないっすよ! こちとらガキ相手だからって結構オブラートに包んでやったのに、それで疑われちゃ世話ない! こうまで舐められたのは久々で憤慨ものっすよ!」
「いやな、普通に探索者を甘やかす方が悪いに決まってるだろうが。若造でもガキではねえんだから、もう少し対等に見てやれっての。そういうところだぜ?」
心底不快そうに顔をしかめ、噛みつくように反論するナナシ。
そんな彼の背、ピチピチのボディスーツ一枚のみに隠された、ラインの見える背中を八代さんは容赦なくバシバシと叩いて窘めている。
まあ、十割非があるのは俺の方だからな。言いたいこともあるが、甘んじて受け入れる他ない。
どんな経緯であれ、俺がナナシを信用出来ていなかったのは事実。
不安に思うのは勝手だが、それで自分から危険地帯に飛び込むなんて愚の骨頂。
時間停止があったからの決行ではあったが、傍から見れば自殺紛いの蛮行に変わりないのだから、自己責任の世界で叱ってもらえるだけ大分良心的だろう。
……そんなことより。そんな過ぎたことよりも、だ。
「あ、あのー夕葉先輩? ちょっぴり恥ずかしいんです……けど……」
「……心配したん、ですからね。本当に」
「あ、はい。ごめんなさい」
隣を歩く夕葉先輩の温かな手でぎゅっと、少し痛いくらいに握られ続けるマイハンド。
離してもらえる気配はなく、恋人繋ぎではない、しがみつくような強い握り。
別にどこにもいなくなりはしないと思いながらも、まあやらかしたのは俺なので仕方ないと、もう片方の手で頬を掻きながらも甘んじて受け入れる。
「ブッハッハ、流石のあんちゃんも自分の女の前では形無しってわけか!」
講義を示すナナシの顔を押えながら、後ろを振り向いた八代さんは、まるで若者の浮いた話を楽しむ親戚のような厭らしい笑みを浮かべてくる。
クソ苛つく、おっさんっていうのはみんなあんな感じなのか。俺も歳を取ったら年下の恋路へこんな風に茶々入れるようになるんだろうか。ちょっと嫌だな。
「……しかしあんちゃんはあれだな。なんていうか、何かと向こう見ずな所があるな。直情的なのはまあいいんだが、他人を優先しちまう性分だったりするのか?」
「いえぜーんぜん、生憎まったくそんなことないですね。こんな事件だって、見過ごしても気に病まない状況だったらほっぽり投げてお任せしたいくらいです」
そうとも、俺なんてのはどこまでいってもそんな程度。
善人でも聖人でもない、一般程度の俗人でしかないのだから、命を賭して助けるなんて真似を進んでしたいなどとは思えない人間だ。
それでも他の人と違うとすれば、ただ手の届く範囲が他の人よりほんの少し広いだけ。
普通なら間に合わないと、力がないからどうにもならないと諦められる危機でも、時間を止めれば助けられてしまう。だから見ない振りして見捨てたら目覚めが悪いので助ける、それだけでしかない。時間停止を持つのが俺でなくとも、大体は同じ気持ちを抱いて火の粉を払うだろうよ。
……まあこの事件については余所など抜きで、夕葉先輩が巻き込まれたからってだけだけど。
「ま、ともあれ擬態スライムについてはこれで一段落ってことでいいわけか。いやー、ようやく肩の荷も軽くなるってもんだな」
「ま、騒ぎの大元である偽死神を何とかしない限り、ダンジョンの封鎖解除にはほど遠いっすけどね。あーあ、うちがこうしてスパッと解決したってのにおっさんは成果なしかー。なしかー」
「うるせえなこのクソガキ。
前でいちゃつく二人はただの仕事の同僚とは思えない、長年の連れってくらいに親しく見えてしまう。
会った頃から思ってたが、やっぱり随分と仲良いよなこの人達。
男同士故の近さなのは分かってるけど、片方の見かけが変態美少女だからインモラルな関係だと錯覚してしまいそうになる。ほんと紛らわしい容姿しやがってよ、けっ。
「……で、実際どうなんだ? 倒したって手応えはあるのか?」
「でっかい核を壊したら周囲のうねうねもなくなったんで、まあ完全に消滅したんじゃないっすかね。同じ色、同じ特徴のくせして別口だったらお手上げっすけど」
しかし振り返ってみれば、実に呆気ないもんだ。
別に俺は物語の主人公ではないから当然なのだが、巻き込まれた事件がほとんど干渉せずに終わってしまうのはどうにも胸がもやもやして仕方ない。
やはり俺も心のどこかで、この事件を解決するのは俺だろうと思っていたのだろうか。まったく、時を止められるからって思い上がりも甚だしいな。猛省しよう。
「……大丈夫ですか、とめるくん?」
「ああいや、大丈夫ですよ。なんか終わりは呆気なかったなって、少し追いついてないだけです」
どうやらちっぽけな悩みが顔に出てしまっていたのか、夕葉先輩は心配そうに見上げてくる。
散々心配を掛けた後だってのに、またそんな顔させてしまったことを恥じなければならない。先輩の善意に甘えて駄目なところばかり見せていたら、一月も経たないうちに愛想尽かされてしまいそうだ。
「本当なら打ち上げでもしてえんだが、生憎こっちはまだ仕事山積みでな。本当にすまん」
「あ、明日はお休みでいいっすよ。一段落ついたわけだし、ここらで少し休んでくださいっす」
そうしてちょっと辟易したような顔をした八代さんと、あっけらかんとそう言ったナナシの二人はダンジョン庁の奥へと去っていく。
まあ仕方ない。倒して終わりは外部協力者の特権、後始末までしてこその正規職員だ。
……それに、まだ全部が終わったわけではない。
先ほどナナシが言うとおり、所詮は一段落付いただけ。巷を騒がせる本丸、偽死神については何一つ解決していないのだから、本来何一つとて気を緩めていい状況ではないのは彼らが一番理解しているのだろう。
まあでも、お休みをいただけるというのならありがたく受け取っておくとしよう。
元よりスライム狩りに付き合うまでが俺達に課せられたミッション。乗りかかった船みたいな感じで両立していたが、偽死神云々は強要される謂われのない彼らの仕事でしかない。
それに俺はこんなときであっても、中層へは入れないからこれ以上協力しようもない。三級なんてそんなものでしかない。つまり俺は実質お役御免でもあるのだ。
明日かぁ。久しぶりの休日、どうしよっかなぁ。なにしよっかなぁ。……大学行きたくないなぁ。
「……あの、今日は、どうします?」
取材の連中が張っているからと、裏口を使わせてもらって帰る最中。
未だに手を離してくれず、ギュッと掴んでいる夕葉先輩がそう問うてきたので少しだけ悩んでしまう。
何をなどと、そんな野暮なことを訊くほど察しは悪くないつもりではある。
その上でだが、付き合い始めてから毎日ご飯付きでお泊まりさせてもらってるし、流石に今日もというのは如何なものかと思ってしまうのだ。
いくら付き合い始めたとて、先輩も自分の時間が必要だろうし、何より配信だってある。
気にしなくていいと言われても、女性の個人配信者に男の影などあってはならない大スキャンダル。何かの偶然から露呈して、せっかく駆け上がっていたのに瞬く間に転落なんて大いに想像ついてしまう。
そして何より、さっきも言ったが、甘えすぎは間違いなく印象に悪い。
かつて歳上のお姉さんのヒモになりたいなどと邪なる欲を抱いたこともあるが、そんなの所詮は童貞だった過去の自分の妄想でしかないわけで、そんなヒモみたいな真似してたら破局は秒読み間違いなしだ。
「えっと、今日は流石に家に帰って休もうかと……はい」
だから冷蔵庫には碌な食材が残っておらず、風呂も狭く、ベッドだって悲しいほど硬いけれど。
それでも今日こそは遠慮しておこうと、断腸の思いで決意して謝ろうとしたのだが。
「……そう、ですか。そうなん、ですか……」
「……あ、あー! そういえばうち、帰ってもご飯ないんですよね! だから、今日も泊めてもらえると嬉しいかなって……」
「っ!! は、はい、もちろんです! 実は今日はグラタンでも作ろうかなって思ってて……えへへっ」
この世の絶望みたいに落ち込んでしまう先輩を見ていれば、むしろ罪悪感を抱くのはこっちの方で。
食材がないのなら帰りにパスタでも買えばいいのに、思い出したように提案してみれば、先輩は勢いよく顔を上げ、満面の笑みと共に目をキラキラさせながら頷いてくれる。
自分から破滅の道を歩んでるなぁと思ってしまいつつも、まあ先輩が喜んでくれるなら別にいいかと一旦は気にしないようにしながら、変わらず手を繋いだまま先輩の家へと歩いていく。
にしてもグラタンかぁ。冷え始めた秋にはいいよねグラタン、マカロニ多めだと嬉しいね。