駆除完了
お古のツルハシを渡されて幾星霜……は盛ってるけど、結構な時間が経過した。
傷つかないダンジョンの壁の例外。ダンジョンがここ隠し部屋だからはよ開けろと言わんばかりの小さな穴、スライムが逃げ込んだヤサの入り口をひたすら広げ、ついに人が通れる程度まで。
頑張った。時計も見ず、スマホの力に過信もせず、雨にも風にも負けずそれはもう頑張った。
東京ダンジョンに天気ないけど、そんなことはどうでもいい。俺はこの数日の間で一番だと、そう自覚できる程無心で頑張ってついにやり遂げたのだ。嗚呼、歌でも歌いたいほど清々しい気分だなぁ!
嗚呼、もう腕が上がりたくないって文句言ってくるほど疲れたけど、それでも結構楽しかったのは何故だろう。
最近同じ景色を歩いてグルグルしているだけだったか。それともせっせと掘り続けるのが俺には向いているのか。
まあ思い返してみれば、春頃まではこんな風に表層で魔動石を掘って日銭を稼ぐだけの人間だったからな。お似合いっちゃお似合いではあるのか。
「はあっ、はあっ……終わりました、けど……?」
「あ、ご苦労様っす。いやー、やっぱり持つべきは労働力っすね。若い燕、最高っす」
そんな俺の奮闘をよそに、影から取り出した本を片手に寛いでいた変態的恰好をした男の娘。
連絡を終えてもまったく手伝ってくれなかったナナシに返すと、彼はツルハシを受け取りながら、頑張った功労者へ掛けるべきでない称賛とウィンクを贈ってくる。
なんてやつだ。今こいつ、頑張った人間に最低な言葉向けやがったぞ。
誰がてめえみたいな愛人だって? 大体そうだったとしても、お前男なんだから使うべき言葉じゃないだろうが。
「手伝ってくれても、良かったんですよ?」
「生憎とツルハシは一本しか持ってないんすよねぇ。ま、中にはうち一人で行くんで、おっさん達来るまで見張りついでに悠々と休憩してるといいっす」
まだ八代さんや夕葉先輩も来てないし、ちょっとだけ休憩させてと。
そう提案しようとした矢先、影にツルハシを呑み込ませたナナシは、散歩でも行くみたいな気軽さで穴へと入ろうとしてしまう。
「……え、ひ、一人で行くんですか!? 危ないですよ!?」
「おっさんがいないんだからそりゃそうっすよ。中の脅威が未知数な以上、足手纏いを抱えるのは御免っすから。ほんじゃま、伝達よろっす」
俺の制止にこちらへ振り向くこともなく、淡々とそう告げるだけで告げて進んでしまうナナシ。
客観的に俺が足手纏いなのは事実なのでそこはいいのだが、それならそれでせめて合流してくる二人を待つべきではと。
そう打診しようとしたのだが、ナナシは俺に有無を言わせず、そのまま一人で穴の中へと姿を消してしまう。
穴の前に残されるは三級が一人。音もなく、襲ってくるダンジョン生物だっておらず。
さて自己判断で追いかけるべきか、言われるままに残るべきか。……ま、残るべきなんだろうな。常識的に、普通の人間だったら。
──へい時間、いつものように止まっちゃって。
合図と共に時間は止まり、やがて世界は完全なる静寂に包まれる。
誰にも汚されることのない自分だけの世界。俺だけが干渉と入場を許されている……と、現状はそう言わざるを得ない世界。
この世界の中でなら、ナナシの気を損ねることもなくちょっと覗くなんてことも可能なわけだ。
そんなわけで、レッツ探検。
彼の邪魔しない程度に、下見ついでに中がどうなっているのか確認しちゃおっと。いえい。
どこまで理性的に振る舞おうとも、やはり俺とて探索者に変わりなく。
非常時においても抑えられない好奇心という業のままに、一応の警戒だけはしつつ、懐中電灯片手に穴の中へと踏み込んでみる。
中は洞窟。第五や十五階層の隠し部屋と違い、人工感のないダンジョンの続きと思える暗い一本道。
懐中電灯がなければ早々に引き返そうと思えるほどの道だが、まああるので問題ない。
大いに気になる点があるとすれば、壁の所々に緑の粘菌のようなものがへばりついており、進むごとにどんどんと増えていっていることくらいか。
……これ、もしかしなくてもあのスライムだったりするのかな。
何か怖いから触らないようにしよっと。時間を止めていようと、温度は変わらなかったり変な液体株ったら溶けたりはするからな。何が止まって何が働くのか、つくづくよく分からない世界だよ。
そうして洞窟道を歩いていき、ついにはスライムの体内みたいになってしまった壁を心底気味悪がりながらも、ようやく最奥へと到達したのだが。
「う、うわぁ……」
恐らく隠し部屋の入り口であろう、そんな扉を覆う緑の壁。
液体のような固体のような、或いはどちらでもありそうなほどに曖昧な状態の何かが、まるで招かれざる客を断固として拒むかのように道を阻んでしまっている。
例え止まった時間の中であろうと触れたくはないと、剣を抜いて扉のそれをツンツンしてみる。
感触は想像通りのスライム。壁の粘菌共とは違い、はっきりとスライムだと言える突き具合。
燃やしてみる……は、こんな狭い道でそんなことしたら間違いなく酸欠になるか。没。
剣でなんとかしようとしてみる……うーん、時間解除したらナナシが追いついてきそうで嫌だ。没。
いっそ手で引き千切ってみる……ないな、大体なんで壁に触れたくなかったと思ってるんだ。論外。
……ま、退却でいいか。どう見たって俺の出る幕ではない。
まあこんなにもガチガチに固定されていたら流石のナナシも下手に通ろうとは思わないだろうし、大人しく一度引き返し、八代さん達と合流してから何らかの手立てを考えるだろう。
そんなわけで早々に諦めて、止まった時間の中で引き返して入り口まで戻ってきてから時間の流れを戻す。
一応念のためにスマホで現在時刻を確認してから、適当に腰を下ろし、ご指示のとおりに八代さん達を待ち続ける。
あと三分もすれば、ひとまずは戻ってくるだろう。……戻って、戻って……戻って?
「……帰って来ねえな、あの人」
体感で結構な時間が経過し、スマホを見て十分超えているのに気付いてようやくおかしいと気付く。
──え、まさかあの人、入り口ぶっ壊してそのまま奥へ進んじゃったとかある感じ?
十分。もしも危機が生じたとして、それだけあれば人が死に至るには充分過ぎるほどの一時。
ちょっと死亡フラグぽかったナナシの言動を思い出して、ものすごく嫌な予感が過ぎってしまい、悩む間もなく穴の中へと飛び込んでしまう。
再び隠し通路に入ると、大きな音が耳を揺らし、近づくごとに大きくなってきている。
もしかしなくとも戦闘中だと、すぐに察して時間を止めてから駆け足で入り口まで戻れば、案の定扉にはっついていた緑の塊はなくなっており、奥の部屋を覗けるようになっていたので確かめる。
──そして部屋の中に広がっていたのは、熾烈としか言い表せない人外の戦闘の光景であった。
「あーもうかったりい! うちは裏方、正面戦闘はおっさんの領分だってのにもうぅ!」
先の入り口とは比較にならない、大部屋を埋め尽くすように室内の至る所に存在する緑の塊。
中央には大きな核があり、部屋に存在している膨大な緑の塊は、ただ一点──黒いピッチピチのボディスーツを着た黒髪の男の娘、ナナシを狙い続けていた。
「ナナシさん!」
「っ!? 邪魔だから入ってくるんじゃないっすよ! 入り口確保に専念して!」
来てしまった俺に、ナナシはこちらを一瞥さえせず、迅速且つ的確に指示を出してくる。
……なんだあれ。
強い。あの人、はっきり言って強すぎるだろ。
確かに緑の触手やダンジョン生物、人の形を模したものが間髪入れずにナナシへと襲いかかり続けていて、一見するだけでは怪物側が有利に思えてしまう。
けれど彼にその脅威を届かせるものはいない。その領域にさえ踏み込むことなく、目前で消失してしまっている。
力を入れすぎたアニメの戦闘作画、と。
月並みではあるが、そんな風に例えるのが一番分かりやすいのだろうか。
地を蹴り、壁を飛び交い、天井を地面と変え。
戦場を無数に跳ねる彼の移動の軌跡は弾丸のようで、辛うじてだが通ったことに気づける程度。
注目せしはナナシの速度。
反応、動作、その他いずれの速度も尋常を超えており、速すぎるせいで時間を止めれば手に持つ刀で切っている一コマだけは確認できても、どうやってその動きを成立させてるのか理解が出来ないのだ。
もしもこのレベルを正面から相手にした場合、時間停止は初動の一撃に間に合う気がしない。
これが特別二級。ダンジョン庁が秘密裏にでも保有する価値のある、一級とは異なる特別探索者か。
一瞬、時間を止めてでも助けに向かうべきか逡巡したが、すぐにするべきでないと見学に徹する。
『もし上の探索者が戦闘をしている場面を目撃したとしても、手を貸そうだなんて思い上がるなよ。向こう見ずな善意ってのは、時に吐き気を催す悪意よりも足を引っ張るもんだ』
俺が今よりもずっとひよっこだった頃、火村さんはそう教えてくれたのを思い出す。
探索者同士の獲物の奪い合いがNGというのもあるが、それ以上に格上の探索者の組み当てている戦闘に足手纏いが割り込んでしまえば、必ず邪魔になるだけなのだと。
あれほど高速かつ多機動な戦闘スタイルだ。
仮に割り込んで何か一つでもズラしてしまえば、それがどんな影響を及ぼすか分かったもんじゃない。下手をすれば踏もうとしていた足場を狂わせ、致命的な隙を産み出すことにも繋がりかねないのだ。
だから時間停止で割り込んでいいのは、あくまで一発で全部片付けて終わりに出来るときだけ。
何より、多分このままやってもあの人勝てそうだからな。こっちはせめて不測の事態に備えてるくらいがちょうどいいだろう。
「はい終わり。久しぶりの楽しい運動、中々斬り甲斐あったっす」
やがて部屋の中央に置かれた大きな核を一刀にて斬り伏せたナナシは、満足げに納刀する。
核を失い、連鎖するように崩れゆく緑の塊。
魔力や生命力でも干涸らびたように活きを失い、やがては通常のスライムと同じく霧散していき、大きな魔動石だけが残される。
完全勝利。実に危なげなく、大番狂わせのない、純然たる実力の結果が目の前にはあった。
「す、すげえ……」
「さて、撤収……と言いたいっすけど、その前にお説教からっすね。君、そこに正座っす」
黒く艶やかな濡羽色の髪を靡かせ、満面の笑顔を浮かべながら親指を下に向けてくるナナシ。
人間一人の笑顔一つ、なのに先ほどの化け物より怖いなと、苦笑いしながら従うほかなかった。