浮かれポンチ
結局あの後も進展のないまま時間は夜を迎え、今日は切り上げという形で解散となった。
時間が足りないのだから、泊まり込みで捜索に励んだ方がいいのではと。
そう八代さんに質問してみたが、「こういうときは無理をせず一度出直した方が効率も上がる」と一言で説き伏せられてしまえば黙る他はない。
それが本音なら良いが、俺達に気を遣ってというのなら申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
夕葉先輩はともかく、俺は時間停止なんてチートを持っていようと、周りから見たら凡庸な三級探索者でしかなく。
頭脳、ひらめき、思考力、戦闘力。どれを取ってもこの案件には実力不足。
先輩が絡むのなら見て見ぬ振りは出来ないと息巻いたくせに、いざこの事件では明らかに足手纏いな現状に自己嫌悪が泊まらなかった。
そんな俺の気落ちを知ってか知らずか、夕葉先輩は今日も優しく家に招いてくれて、温かい手料理を振る舞ってくれる。
今日のメニューは肉じゃが。きっと彼女も疲れているだろうに、温かみのある優しい味付けとホクホクとしたじゃがいもが俺の心を酷く慰めてくれた。
「えっと、本当にいいんですか? もしものことがあったら……」
「気にしないで大丈夫ですよ。……あ、でもなるべく音は立てないでくださいね。お願いします」
人差し指を唇の前で立て、子供に言って聞かせるみたいに優しく微笑んでくれる夕葉先輩。
人によってはあざとく見えるかもしれないが、俺にとっては可愛いとしか思えない。
仕草もさることながら、あの唇を注視してしまうと昨日のキスを思い出してしまい、自分の唇をつい触りそうになってしまうくらいだ。
実はここに来る前一度家に帰ったのだが、当初は自宅で適当に夕食を摂り、先輩の配信が終わってから家に来る予定だった。
けれど先輩が「三十分だけの予定なので気にしなくていいし、今日もご飯を食べてもらいたい」と手を握りながら強く頼み込んできたので、断ることが出来なかったのだ。
……いや、断れなかったというより、断ろうと出来なかったと行った方が正しいか。
『やあみんな。前の配信からちょっと期間が空いちゃったかな。青柳トワ、今宵も参上したよ』
ちゃんと事前にトイレを済まし、リビングのソファに仰向けで寝転がりながらスマホを眺める。
嗚呼、耳のイヤホンから先輩の声が聞こえてくる度、画面に映る青柳トワが視聴者全員に愛想を振りまく度、どうしようもない優越感に背徳感、そして僅かな罪悪感がこの胸を締め付けて仕方ない。
まさか最推しの配信者とリアルで知り合いになれるだけではなく、手料理を振る舞われ体を重ねるほど親密な関係となり、配信中のすぐ隣の部屋で配信を視聴させてもらっている。こんなにも他の青柳トワファンに優越感を抱ける瞬間があるだろうか。
大分下世話な話ではあるが、少し前に読んだ配信中に隠れて行為に耽るなんてアホの極みみたいな中身の薄い本を思い出しながら、共感は当然としてやってみたいという欲求さえ抱いてしまう。
どれだけ罪深くとも極上の甘美であろうその行いは、まごうことなく楽園に実る禁断の果実。
もしも誘惑に負けて一度でも味わってしまえば、きっと取り憑かれたように何度も求めてしまい、いつかは楽園から追い出された人間のような取り返しのつかない事態に陥ってしまうだろう。
……頑張って律していこう。それにしても、嗚呼、俺ってこんなに醜い人間だったんだな。
「──い。とめるくん、おーい?」
そんな自己嫌悪と決意に苛まれていると、いつの間にか配信も終わっていたらしく。
画面の中にいたはずの彼女は、スマホを胸の上に置き、ぼんやりと天井を眺めていた俺の顔を上から覗き込みながら優しく肩を揺らしてきた。
先ほど一緒に夕食と共にした素の夕葉先輩ではなく、青柳トワの特徴である青色の髪とセーラー服。
ついさきほどまで配信していたのだと、一目で分かる恰好。
擬似的にとはいえパーティを組んだこともあるし、配信は基本毎回見逃さないようにしているが、それでもこうして日常の中で本物が目の前にいるというのは一味違うと見入ってしまうな。
「えっと、とめるくん? そんなに見られると、照れちゃいますけど……」
「……改めて考えると、青柳トワが俺の彼女なの、ちょっとすごいことだなって」
つい思ったことをそのまま口に出してしまうと、夕葉先輩は顔を真っ赤にし、頬に手を当てながら恥ずかしがる素振りを見せてくれる。
夕葉先輩だと珍しくはないが、配信中のクールなキャラが印象的な青柳トワの恰好でそんな風にされると結構というか新鮮でグッときてたまらない。
やはり夕葉先輩と青柳トワの両側面を楽しめて、人気急上昇中の配信者と付き合えている俺は、世界でも一二を争うほどの豪運持ち。いつかどこかで揺り戻しが来ないことを願うばかりだ。
「えっと、お疲れ様でした。やっぱりいいですね、青柳トワの配信は」
「そ、そうですか? なんか、こうして面と向かって褒められると、ちょっと恥ずかしいです。えへへっ」
俺が体を起こして普通に座り直すと、夕葉先輩はそう言いながら隣へと腰を下ろしてくれる。
混同してしまうのもあれだと、今まであまり配信について話題に出さなかったのだがそれも過去の話。
一番推しているダンジョン配信者である青柳トワが画面の奥ではなく、こうして目の前にいて、配信中とは違うあどけない素の笑みを俺だけみせてくれるのだから、こんなにも滾るものはないだろう。
「……とめるくん」
「……夕葉先輩」
しばらく見つめ合った後、言葉もなく、互いに考えることは同じとばかりに唇を重ね合う。
優しく啄い、触れ合いを楽しむようなキス。
夕葉先輩は目を瞑り、俺はそんな彼女の顔を細めた目で見つめながら、昨日のように情動に身を任せる貪るのではなくキス自体を目的とするような、そんな時間だった。
「えっと、えへへっ。ごめんなさい、つい、しちゃいました。はしたなかったですよね」
数度のキスを終えて、夕葉先輩はひとまず満足と目を開けてへにゃりと口元を緩める。
今の今までキスしていたので当然だが、先輩の──否、青柳トワの唇は俺の唾液と部屋の照明で艶やかにてかり。
舌を交えずとも、体をまさぐらずとも、欲望を刺激する言葉を使わずとも。唇だけでこんなにも人を心を奪えるのかと、人間の単純さに感嘆する他なかった。
「えっと、このまま、します……?」
「え、でも先輩、その恰好が──」
「え、あ……ごめんなさい、着替え忘れてました。ちょっと着替えて、お風呂入ってきますね!」
言葉とは裏腹に、ゆっくりとソファに手を付きながら顔を近づけ、再び唇を奪おうとしてくる夕葉先輩。
俺の指摘を受けた先輩は数秒の停止の後、顔を真っ赤にし、ソファから跳び上がって寝室へと駆け出していく。
……どうして青柳トワのままいたのかなと思ったが、よもやただの着替え忘れとは。可愛いな。
あそこで何も言わなければ、青柳トワの恰好のままエッチなことが出来たのかなと。
到底真っ当なファンとは思えないが、ある意味ファンの欲望としては定番であろう後悔と残念心を抱いてしまうも、それはいけない欲望だと首を強く横に振って邪念を払う。
いけないいけない。青柳トワは先輩にとっての夢であり理想、そして憧れの結晶。
そんな尊いものを汚すなんて真似は、彼氏としても古参ファンとしても越えてはならない一線だ。
でもああ、やっぱり残念だと思わずにはいられないのは、男として間違っているのだろうかと。
邪なる私欲を正当化してしまう自分が嫌になりながら、再びソファに横になり、先輩が戻ってくるまでと目を閉じた。