怪我の功名か、それともスペシャルハプニングか
全ての話が終わって、ひとまず解放とのことでダンジョン庁から帰路に就く俺達。
だがせっかく隣同士にいながら会話は起きず、通る車や人の音をBGMにして歩くばかりだった。
「……なんか、すごい話でしたね。さっきの」
しばらくして、先に空気に耐えきれなくなった俺が葵先輩の方へ顔を向け、苦笑しながら口を開いてしまう。
そんな俺の反応に顔を上げた葵先輩は数秒の間の後、くすりと笑みを浮かべて「そうですね」と返してくれる。
つい先ほど、八代さんから聞かされた話。
割と考えずに首を突っ込んでしまった案件。あの取調室みたいな部屋で聞かされた、思い出す度に滅入ってしまうほどとんでもない話を振り返っていく。
『ダンジョン生物って、先ほどの急にバラバラになったイケメンさんが……?』
『バラバラ? そこまでは見てないんだが、まあさっきの人型に間違いはない。とはいっても、あれは人なんかじゃないんだがな』
葵先輩の疑問に首を傾げながらも、懐から取り出し俺達の目の前に置いてきた一枚の写真。
二人で覗き込むとそこに写されていたのは赤でも水色でもない、緑色のダンジョンスライムらしき生き物だった。
断言は出来ないが、周囲の壁の色的に恐らく撮影場所は東京ダンジョンの上層のどこかのはず。
だとしたら少しおかしい。東京ダンジョンの上層に出現するダンジョンスライムは基本水色、例外としては特殊個体として赤が発生したのが数件確認されている程度。少なくとも、緑色のダンジョンスライムなんて国内じゃ生息していなかったはずだ。
つまり、写真に写るダンジョンスライムは新種。
特殊個体と定義していいのか。それとも既存のダンジョンスライムとはまったく異なる、言うなれば類似しているだけの個体と考えるべきなのか。いずれにしても、未知の存在として扱うべき何か。そう結論づけるのが妥当か。
『こいつはつい最近、東京ダンジョンの上層で発見されたという報告が複数入ったダンジョン生物だ。いずれも強さ自体はそこまでではなく、撮影された後に討伐を確認されている。残念なことに生け捕りされた個体はいないけどな』
写真に写る謎の生物を指で突きながら説明していく八代さんの顔は、とても苦々しげであった。
まあダンジョンスライムの生け捕りは、他のダンジョン生物の生け捕りに比べると少し特殊ではあるし、特殊な個体となれば成功例がないのは仕方ないと思う。
まず普通のガラス瓶では強度が足りず、専用の瓶に上手く核である魔動石を詰めなければならない。
そして瓶を用意したとしても詰め込む作業というのが困難で、雑に核だけ取り出すとあの美男子スライムみたいに一瞬で絶命してしまうし、かといってゲル状の肉体を残しすぎると瓶をぶち破ってくる。その見極めが非常に難しいのだ。
俺も昔表層で何回かチャレンジしてみたものの、火村さんも専門外だからと教えてくれず、我流でやろうにも割に合わないとすぐに止めてしまったのは良い思い出だ。
そういえば、せっかく買ったあの瓶は何処へ……ま、帰ってから探せばいいか。
とにかく詳しく知りたくば、ダンジョンスライム専門のダンジョン配信者を見ることだ。意外と広い業界で、一番有名なやつだと論文まで提出してるくらいだしな。……なんで誰かへ宣伝するみたいに思考を飛ばしてるんだか、こういうの友達少ないとやりがちだよな。
『ダンジョン生物が人を殺す。俺達だって連中を狩る生業をしている以上、それ自体は受け入れるべき摂理でしかない。表の連中が不謹慎だなんだとわめき立てようが、探索者は命を懸ける覚悟を持ってダンジョンに踏み入っている。そうだろ?』
八代さんはお前達はどうだと、こちらの意思を試すような口振りで言葉を投げてくる。
『──だがこいつは駄目だ。こいつの特異性は探索者の脅威で収まらず、放っておけば必ず人類の害になる。もしも存在が露呈してしまえば、何かの間違いで地上に出てしまえば、或いは人の悪意が利用しようと企てれば、それだけでダンジョン探索という人類の三十年の積み重ねが無に帰す。故に上はこいつを擬態スライムと命名し、存在が公になる前に駆除しろと命令を下した。それが今回の仕事ってわけだ』
忌々しいほど面倒だがなと、最後に不満げな舌打ちと共に話を締めくくった八代さん。
擬態スライム。
あの八代さんが、特別二級なんて特殊な立場にある強者があってはならないと断言するほどの特異性。それはつまり──。
「人に化けるダンジョンスライム。それも姿だけでなく、言葉も、強ささえも」
──擬態。
つまりはその名のとおり、人間に化ける能力をあのスライムは有しているということらしい。
なるほど、確かに厄介この上ない相手だ。
もしもそんなのがいると世に知られれば、確かにこの世は隣の人間さえ疑う地獄に変わるだろう。公になる前に駆除せんと秘密裏に動く者達がいるのも納得出来てしまう。それほどの脅威だ。
先ほど遭遇したときは時を止めて対処したので分からなかったが、どうやら八代さんの話によるとあの擬態スライム、捕食し吸収した人間の姿や言葉だけじゃなく強ささえも奪えるらしい。
あの燕尾服の美男子は、最近話題の配信事故で被害者で二級のダンジョン配信者とのこと。恐らく捕食されたことにより姿と言葉、そして力を奪われたのだろう。
……恐ろしいことだ。二級相当の怪物が、人間の姿と言葉を持って上層を彷徨っているなんてのは。
「葵先輩はどう思いました? あのスライムについて」
「……恐ろしいと思いました。でもわたしが一番怖かったのは、もしも今回巻き込まれずに八代さんの話を聞けなければ、何も知らないままダンジョンへ潜り続けていたことです。秘匿すべきというダンジョン庁の言い分も一理ありますが、それでも情報の欠如は探索者にとって危険すぎます」
葵先輩は秘匿を憤るわけでもなく、少し悲しげな顔をしながら沈んだ声で憂いてくる。
実質的に必要な犠牲と切り捨てられたというのに、まったく随分と人の良い先輩だ。俺はと言えば納得してこそいるものの、腸煮えくり返ってるってのにさ。
探索者にとって、ダンジョン内の情報の一つ一つが大事な生命線に他ならない。
現代は情報を共有しやすいSNSや配信こそあるものの、それらで公開される情報など所詮は誰に知られても不利に傾かない程度の情報でしかない。
三級の範囲では縁はないが、本当に必要な情報は時に情報屋をやっている探索者から金で買うことさえあるなんて聞くほど。それを一つ知っているか否かで他の探索者へのアドバンテージへと、収入や実力の差へと繋がるのだ。
その情報を意図的に隠蔽するということは、つまり犠牲を許容すると宣言しているようなもの。
要はダンジョン庁はこう言ってるのだ。大義故、解決するまでの犠牲は割り切ろうと。
……ま、心底腹は立つが、知っている側になってしまった以上とやかく言うのも筋違いか。
どうせ秘密なんて今回だけの話でもなし。こういう裏工作はいくらでも行われて、そうしてダンジョンは表面だけでも平和を保ってきたのだろう。そう考えれば、もしかしたらこの前のダンジョンタウロスも何かしら特殊な案件だったのかもしれないな。
……それにしても完全駆逐とは大きく、そして無謀なほど強く出たものだ。
確かにこの三十年、世界のいずれのダンジョンにおいても生態系が変わることなどなく、新種が発生したのであれば何かしらの要因があると推測するのが道理ではある。
だがそれでも、発生した個体の撃退と種単位での駆逐では難度は言葉どおり桁が異なる。
いくら多少人の生活に組み込まれたとて、ダンジョンなんてものは未だ馬鹿みたいに広い上に未知の場所でしかない。
そんな未解明の場所の一異常の原因解明なんて困難で、仮に自然発生するようになっただけだったら駆逐なんてまず不可能。つまりどうしようもないってわけだ。
ま、それだけダンジョン庁がこの一件を重く見ているということなのだろう。
いくら進入に制限があるとはいえ、全部を伏せられてダンジョンに潜らされてはたまったものではない。背中を預けた仲間の姿をした生き物に喰われて終わるなど、正直考えたくないものだ。
人に化けられるということは、即ち隣にいる人間さえ疑い続けなければならないということ。
一度湧いた疑念というものは恐ろしいもので、例え真偽が確定しようと信用すること自体が難しくなってしまう。疑心暗鬼はある意味では直接的な悪意よりも根深く、そして簡単に人を壊せる毒なのだから。
「大丈夫ですか、時田くん?」
「ああはい大丈夫、大丈夫です。そういえば先輩、以前もみたいな話してましたけど、特別二級について知ってたんですね」
「あ、はい。冬頃に中層でちょっとありまして。あんまり詳しいことは言えませんけどね」
ついつい長考してしまっていたのを心配され、ばつが悪かったので話を変えるように尋ねてみれば、葵先輩は珍しく硬い、苦い思い出を振り返るような笑みでそう話してくれた。
あの葵先輩がこんな顔するほどとは。……そういえば八代さん、青柳トワの正体が先輩だってことも知ってたし本当に何があったんやら。
「……ご飯どうします? 時間も遅くなっちゃいましたし、食べに行くって雰囲気でもなくなっちゃいましたけど」
何があったか気になるが、どうせ機密だろうしそれ以上の深掘りするのは無理だろうと。
ひとしきり話すことを話し終えて、再び無言になった十数秒の後、そういえばと思い出したのでどうしようか尋ねてみる。
確か最後にダンジョン庁で見た時計は二十一時手前を指していた。
いこうと思えば全然いける時間ではあるが、迷ってしまう程度の時間帯。仮に俺が店員だったら、ラストオーダー直前に客が入ってきて嫌な顔するだろうなって絶妙な塩梅だ。
とはいえダン考の先輩達でもないし、牛丼屋みたいな二十四時間空いてるような店で済ませるのはな。
先輩をあんまり遅くに帰すわけにはいかないし、ここは大人しくお開きにして、美味なるイタリアンはまたの機会に持ち越すのが利口か。
……持ち越しかぁ。チーズたっぷりのマルゲリータピッツァ、一口でも食べたかったなぁ。
「あ、あの! なら、わたしの家! わたしの家で、何か食べていきませんか……?」
上げて落とされたからか、頭の中で手招きしてくるパスタの姿に辟易してしまいながらも。
ひとまず先輩を駅まで送る以外を考えないようしようとした、その瞬間だった。
俺の手を掴んだ葵先輩が、数秒の合間の後に何かを決意したように、頬を赤く染めてそう提案してきたのは。




