学祭……うっ、頭が
美人家庭教師の葵先輩と別れ、クソ怠い講義を終えてから向かったのはダン考の部室。
とはいっても、滅多にまともな活動をすることのないダン考なので、例によって部室で各々で時間を潰すだけの今日を送っていた。
「……そういえば、なんか最近大学内が騒がしいですよね」
「学祭間近なのだから当然だろう。まさかとめる、お前は去年の激務を忘れたのか?」
パラパラと、紅茶を傍らに何やら難しそうな本に目を通していた坂又部長。
その正面で参考書を広げていた俺がつい吐いてしまった疑問に、信じられないと言わんばかりにじとりと視線を送ってくる。
学祭……そうか、そういえば確かにそんな行事もあったな。最近充実していたから、そんなイベントのことなんてすっかり忘れていたよ。
うちの大学の学祭は、十一月と比較的遅い時期に設定されている。
入学して始めて知ったときは遅すぎだろと首を傾げたが、まあ最近の気温的にはちょうどいいとさえ思えてしまう。
この時期にならないと秋を感じられないんだから、子供の頃との違いってやつを感じて仕方ないね。
「今年は……何かやるんです?」
「やりたかったのなら申し訳ないが、そういった予定はないぞ。俺も卒業間際で忙しいし、お前も追い込みに励む時期だろう? そこの馬鹿一人じゃやる気など起きないだろうし、必然的になしだ」
部長の返事にどこか安心したような、残念なような、やっぱりほっとしたような。
あれは遡ること一年前、つまり俺が一年の頃の話。
まだこのダン考が三人だけのちっぽけなサークルではなく、このダン考を設立した先輩達がいた頃に強制参加させられたあの学祭……駄目だ、忘れよう。自分の尊厳のためにも思い出してはいけない、うん。
「そ、そういえば今年はミスコンやるんすかね?」
「それがな、どうやら廃止されたらしいぞ。昨今の風潮とやらだ」
ほっ。残念なような安心したような。
まあ出店出さないなら行くかわからんしいいか。準備期間は休みになるのが地味に嬉しいよね。
「……で、あの人なんでひしゃげた蛙みたいに潰れてんです?」
「知らん。だがあいつがああなっているときは大概女絡みに他ならん。おおよそハニーが元ハニーにでもなったんだろうよ」
忌々しいコスプレ屋台の記憶をぶんぶんと振り払いながら、話題を変えようと床で潰れている哀れな男を指差してみるが、坂又部長もケロッとした顔で両手を上げて首を横に振ってくる。
普段のうざ……自信に満ちてチャラチャラした態度とは雲泥とばかりに消沈している叶先輩。
ぐすぐすと嗚咽を漏らす、見ているだけで哀れにも思えてしまう男に首を傾げていると、部長が顎で行けと命令してくるので嫌だと首を振って抵抗するが、ならばと手を片手を伸ばしてくる。
……仕方ない。──最初はグー、ジャン、ケン、ポン! 相子でしょ! しょ! しょ!
「おーい先輩、叶せんぱーい。もしもーし、今回はどうして破局したんですかー?」
「……この前のホムラのサイン貰ったんだけど、それあげたらどうして誘ってくれなかったのーって喧嘩になって。それから拗れてたら、好きな人出来たからって追い出されたの。ぐすん」
無言の攻防の末、見事出したVサインが握り拳に打ち砕かれたので肩を落とし。
仕方がないと立ち上がり、ひしゃげた蛙先輩のそばにしゃがんで肩を叩いてみると、先輩は待ってましたとばかりに泣きながら理由を話してくれる。
誘わなかった先輩が悪いような、一応交際中なのによそで男作った元ハニーさんが悪いような。
うーんようわからん。恋愛経験皆無のこの俺には、どっちが悪かなんて見当が付かないや。
というかこの先輩、あのフェスの合間にちゃっかりホムラにサイン貰ってたのかよ。
あのクソ忙しい合間にいつ接触出来たんだよ。……いいもん、俺はサインの代わりに二人で海で遊んだんだもん。ホムラ本当にいたんだもん。
「まあどんまいっす。でも先輩、先輩が落ち込んでるなんてらしくないですし、さっさと次に切り替えていきましょうよ。そうだ、学祭で誘ってみるとか──」
「クハッ、とめるも随分と酷な事を言うものだ。そいつは学内でも札付きの人気者だからな。一度女口説きを始めれば、すぐさま黄色い声と怨嗟を持って追い回されるだろうな」
そういやそうだった。確かこの人、学内でやらかして痴情のもつれで死にかけた人だったわ。
「こうなりゃ切り替えのために街に繰り出して誘ってやるぅ。おう付き合えよ、とめるぅ……!!」
「ああすみません。俺この後ダンジョンで待ち合わせしてるんで。葵先輩と」
普段散々惚気られてうざかったので、ちょっとだけマウント取ってみれば先輩は見事に沈没する。
……勝ったな。いやなに、我ながら実に気持ちの良い勝利だ。ふふんだ。
「ぐぐぐ……お前も、お前にも女と上手くいかない呪いをかけてやるぅ……!!」
「残念、俺彼女いないんで。そんじゃ先輩、精々お大事に」
負け犬……もとい、叶先輩の呪詛を胸の内にちょっとだけ優越感を抱きながら。
どっこいせと立ち上がり、部室内の薄汚れた時計を確認してみればちょうど良い時間だと、机に広げた教材共を片していく。
「なあとめる。……いや、何でもない」
「え、怖い。部長が歯切れ悪いなんて槍でも振りそうなくらい珍しいっすね」
「……お前は俺をなんだと思ってるんだ。物騒な世の中だから精々足下掬われるなよと、上から目線で忠告してやろうと思っただけだ。そら、とっとと行ってしまえ」
部長にしては珍しい、言い淀んだ何かを呑み込むように切り上げてくる。
絶対何か誤魔化したのは分かるが、部長はどんなに突いても腹の底を割ってくれないだろうなと諦めながら手を振って、改めて部室を去っていく。
それにしても、叶先輩にはああ言ったが、振られるってのも贅沢な悩みだよな。
だって誰かと付き合うこともない、告白する勇気さえ持たない俺には縁のない話なんだから。