お酒は口も目も、心だって緩ませるらしい
縁日から帰宅し、シャワー浴びさせてもらったりして一息ついた後。
昨日と同じくらい満天の星々が宿る夜空の下で、小さな軒下に無理矢理ホットプレートを引き出し、買ってきた食材でバーベキューをしていた。
「プハァ! あー美味い! ホットプレートってのが唯一締まらねえが、やっぱ夜空の下での酒と肉は最高だなぁ!」
缶ビールをごくごくと喉へ流し、焼いた高い肉に舌鼓を打ちながら歓喜の声を上げる火村さん。
俺の財力では半額にされても容易に手を出せないお肉がポンポン焼かれていく様に唖然としながら、遠慮なくおこぼれに預かり味わっていく。
うーん、やっぱり高い肉は素晴らしくデリシャスだ。
その美味具合は思わず言葉よりも味わうのを優先してしまうほど。やっぱり普段買う肉とは蕩け方が違えわ、そもそも肉なんて高いから滅多に買わないけど。
「……酒もいいですけど、やっぱり肉だと米が欲しくなりません?」
「とめる青年はお子ちゃまだなぁ。別に米を否定する気はないが、やっぱり肉には酒が一番。それが大人の楽しみ方よ」
やかましいわ。人の趣向で大人子供関係ないだろうが、この飲んでばっかなうわばみめ。
大体口には出さないけど、そんなバクバク肉と酒食べてたら三十になったら一気に太りますよ。肉と酒だけじゃなくて野菜も食え野菜も。
「……にしても蚊の一匹すら止まりませんね。今って何か虫対策してるんです?」
「……ごくりっ。いんや、今は何もしてないぞ? でもほら、聞いたことくらいあるだろ? 強い探索者には地上の虫と動物が寄りにくいってやつ。私ほどの探索者になれば、例えアマゾンの密林の中でも快適に過ごせるってわけだ」
同じ肉へと箸が伸び、苛烈な争奪戦の末に敗北を喫した後、ふと気になったので尋ねてみる。
すると満足げに、大人げなく見せびらかすように肉を頬張った火村さんはドヤ顔で、そのでかい胸を誇示するかのように張りながら自慢してくる。
どうにも強い探索者ほどその傾向にあるというのは、随分昔からそこそこの信憑性を持つ定番の話だ。
何でもダンジョンに長く潜り、力を付けた者を本能的に生物的強者と恐れるとか何とか。
職業柄独身が多いとされる探索者でもペットを飼う割合は少ないのは歴とした事実らしく、実際二級以上のダンジョン配信者で飼っている人は限りなく少ないらしい。
ちなみにだが、俺にみたいな並の三級探索者相当だと一般人とほとんど変わりない。
まあ普通に蚊に刺されるし部屋にGが出たりするし、今の俺では虫一匹にも恐れてもらえないってわけだ。寝ている間の口へ虫が入るなんて悲劇を迎えないために、もっと精進していかないとな。
「あー食った食った! ……ん、もうなくなっちまった。おい弟子、師匠命令でビール持ってきなー?」
「……なんて横暴な。そこの肉、育てるんですから食べないでくださいね?」
「食べられたくなきゃとっとと行って戻ってくるんだなー。そらいけいけー、わっははっ!」
そうしてバーベキューは終盤に、もう三本目だというのにあっという間に飲み干した火村さんは、よろしくとばかりにひらひら手を振ってくる。
何本も飲んで飽きないのかと呆れながらも、やれやれと立ち上がって冷蔵庫まで取りに行って開くと、あんなにあったというのに、冷蔵庫の中には僅か数パックしか残っておらず。
縁日でも買い食いしたのによくもまあ食べた方だと逆に感心してしまいながら、中からビールとコーラ味のチューハイを回収して戻ると、案の定育てていた肉はホットプレートの上から消失していた。
……おんどりゃこの酔いどれ女め。手前の金仕方ないが、舐めた真似しくさってからに。
「……どうぞ」
「さんきゅ。……プハァ!あー、やっぱりキンッキンに冷えたビールは最高だなぁ!」
とめるは激怒した。それ故報復代わりに、このビール缶を振ってから渡してやろうかなと。
そんな仕返しを脳裏に思い浮かべはしたものの、何もせずに渡した自分を心の中で褒めながら座り直すと、悪戯が成功したかのような笑顔で育てていた肉の載った取り皿を差し出してくる。
……本当にこの人はさぁ。まったくもう。
どこまでも一枚上手な美人師匠に口元を緩めながら、上手に焼き上がった肉を口の中に放り込んで。
しばらく食べ進めていけば、いつしかホットプレートの上にあった肉もなくなり、星々彩る夜空へ良い匂いの煙も上がらなくなった。
「あー食った食った。もうこの夏は肉いらねえってくらい食べた気がするわ」
「ごちそうさまでした。美味い肉、一生分食べたと言っても過言ではないです」
「ははっ、そこまでじゃねえだろ。探索者続けるのかは知らんけど、お前の人生はまだまだこれから。大学出たらいっぱい稼いで、その金で美味いもんいっぱい食うんだろうからよ」
デザートに俺はプリンを、火村さんはエクレアを食べながら。
へへっ、と満腹なのであろうお腹を押さえながら、火村さんは楽しげに笑ってみせてくる。
火村さんは簡単に言ってくれるが、そんなわけがない。
少なくとも、こんな風に高い肉をたくさん食べる機会なんてそうあるものじゃない。年に一回、今日食べたのと同じランクの肉を自分へのご褒美に買えたらそれで幸せ、そんな人生であれれば十分幸せなはずだ。
「ん、どうしたとめる青年? 畏まったように背筋正しちゃって」
「火村さん。改めてですがお礼を言わせてください。今回誘ってくれて、ありがとうございました」
今し方食べ終えたプリンの容器をそばに置き、火村さんへと姿勢を正してから深々と頭を下げる。
今まで一度も言えなかった、思っていても口に出そうとは感謝の言葉だが、こんな機会に言うべきだと思った。
「……よせやい。人手不足で困っていたのは私達の方で、むしろ随分と助けられちまったんだ。だからお礼を言うなら私の方だよ」
「そんなことないです。この三日……いや、出会った日から本当にお世話になりっぱなしです。俺にとって貴方は一生の恩人で、尊敬すべき探索者の師匠です」
火村さんは急に畏まられたことに珍しく戸惑いながら、気にしないでいいと言ってくれる。
それでも、俺は頭を上げられない。いつまでもいつまでも、今までの感謝全部を吐き出すようにずっと。
まだ右も左も分からず、時間停止があってなお窮地に陥った間抜けな俺を助けてくれた。
助けてくれただけでなく、研修では教えてもらえない探索者のいろはを叩き込んでくれた。
そして再会してから今日まで、こうしてちょくちょく世話焼いてくれたり色んな物を奢ってくれている。
連絡先を交換して以降、駄目な部分もちょこちょこ見えてきているけれど。
それでも俺にとっては大切な恩人であり、これからも尊敬していきたい探索者の師匠的な人。そして今はそれに加えて、事あるごとに堕とされてしまいそうなほど魅力的な歳上の女性だ。
「ひ、火村さん……?」
「ああ、なんだろ、なんだこれ? なんでか涙出てきやがった。……ははっ、おっかしいなぁ。私はそんな立派なやつじゃねえってのに、お前が変なこと言い出すから……」
十秒を超えてなお、ずっと続く無言の時。
近くにいずともどこかで鳴いているであろう夏の虫の声の中で、やがて火村さんは自身の瞳から落ちる涙に気付き、困惑したように指で触れて確かめる。
……別に自分の子供がサプライズで誕生日を祝ってくれたとかでもないのに、そんなに泣くほどのことだっただろうか。
「……なあとめる青年。少しだけ、昔の話をさせてくれないか?」
「……どうぞ」
火村さんが落ち着くまで、少しの時間を要してから。
どうにか少しだけ平静を取り戻した火村さんは、持っていたビール缶を静かに置いて語り出した。
「ゆう……弟が死んだのはさ、私が高校卒業してすぐのことだよ。……結構仲良かったんだよ、たまにゲームで対戦したり漫画の貸し借りしてたくらいにはさ」
「弟とは喧嘩別れだった。今思えばどうでもいい、ちょっとヒートアップして蟠りが残った姉弟喧嘩。数日経って落ち着けば、それだけで解決する程度の些細な言い争い。それがあいつとの最後だったんだよ」
空を見上げながら、ぼんやりと話していく火村さん。
その顔はいつか仏壇でみてしまった、どうしようもない後悔に苛まれていたあの顔だった。
「今でもたまに思うことがある。あの日しょうもない喧嘩なんてしなければ、私が怒鳴って送り出さなければ、ゆうはまだ生きていたんじゃないかって。ダンジョンでがむしゃらに剣を振っても、遊んで暮らせるほどの金を稼いでも、酒でしこたま酔っても、未練と後悔だけはずっと離れてくれないんだ」
空を見上げる火村さんに顔に力はなく、けれど握る拳は血で滲んでしまいそうなほど強く震えている。
人生経験の少ない小僧でしかない俺では、そんないつもより小さく見えてしまう恩人にかける言葉さえ思いついてくれず。
そのまま口を挟まず、耳を傾け、隣にいることしか出来ない。胸の奥に溜まる無力さが、どうしようもなく歯痒かった。
「とめる青年を気に掛けるのもそれが理由さ。初めて見たとき、どこかゆうに似ていた気がしたから手を貸した。助けた後、顔も似てないのに何故かゆうの面影を見た気がしたから、お前を放っておけなかった。師匠とか抜かしておいて、ずっとお前にゆうを重ねていたのかもしれない。……な、どうだ? 軽蔑しただろ?」
そうして火村さんはこちらに顔を向け、にへらと、頷いてくれと願うように力なく笑ってみせる。
……何か、嫌だな。
火村さんの、尊敬している探索者の、何よりこんな美人のそんな顔を見たくはないな。
「……ま、ショックじゃないとは言いませんよ。代替品扱いで嬉しい人なんてのは、頭のネジが何本か飛んだマゾヒストくらいだと思います。俺はそこまでの変態ではないつもりです」
彼女の告白を全部を聞いた上で、ぽつぽつと、自らの胸に燻っていた思いを言葉に変えていく。
言葉を選ばず、オブラートになんて欠片もせず、ゆっくりと、ありのままに。
生憎性行為をしたことなんてないDTなんで、そっち方面で変態かどうかは知らないけど。
それでも、少なくとも精神面ではそれを嬉しいと思えるほどの被虐趣味は持ち合わせていない。そういう人だったんだなとか、そういうのは隠し通して欲しかったなとか思うのは間違いではないはずだ。
「でも、やっぱり半分だけです。結局助けられたのも、お世話になったのも、こうして肉奢ってもらっているのは事実ですもん。むしろなんでこんな構ってくれるんだろうって疑問だったんで、理由が分かってすっきりしたくらいですよ」
けれど、それでも。
そんな小さな失望よりもずっとずっと大きな感謝と、これまで築いてきた親愛と、ほんのちょっぴりの憧れにも近い一目惚れのような想いの方が遙かに勝っている。
傍から見たら都合のいい男なのかもしれないけど、それならそれでいいとさえ思えるほど。俺にとって火村さんはそういう人だ。
大体そういう何かを重ねるなんて、善意の裏に打算があるなんてのは往々にしてあることだ。
死んだペットにそっくりな生き物がいれば、つい重ねて涙を流してしまってもおかしくない。
二度と手に入らない思い出の物がテレビに出ていたのを見てしまったら、つい昔を思い出してしまうこともあるだろう。
……それに、どうせ俺じゃ慰めたり悩みを解決したりは出来ないからね。
それらの感情の果てにある発狂や暴走なんかは肯定出来ないけれど、それでも勝手に思って少しの支えになっているならそれで構わない。
俺達は別に、秘密を話し合う恋人でも終生背中を預け合う相棒でもなんでもない。
ただの師匠と弟子、先輩探索者と後輩探索者でしかないんだから、無償の善意より打算ありきの方が心地良くて健全な関係なはずだ。
もちろんそれなら最後まで隠し通すか、暴露するなら今は違うって話の前置きにするくらいの配慮が欲しいけどね。そこは弟子の我が儘ってことで、思うくらいは許して欲しい。
「だからまあ、あんまり自分を責めることないと思いますよ? 俺は甘やかされて得してる、火村さんは自分を慰められるから得してる。ま、最近流行りのパパ活ってやつですよ……いや、この場合はママ活? 師匠活?」
「……なんだそりゃ、お前都合良すぎないか?」
「でしょう? たまたま拾ったにしては良い弟子拾いましたね。……あ、でも罪悪感とかあるならこれから少しずつ改善してくださいね。あと、いい加減その呼び方やめて欲しいです。控えめに言って、かなりクドいし恥ずかしくなるくらい厨二的でクサいと思ってます」
「くさ……お前なぁ。仮にも女に言うことじゃねえだろ?」
「生憎男だと思われてない小僧なんで。あープリン美味しい、超美味しいー」
これを機にと言いたいことを言い終えてから、拗ねた素振りだけしながらプリンに舌鼓を打つ。
まあちょっとした仕返しだ。……実は初めてそう呼ばれたときから、人前だと本気で恥ずかしかったからちょうど良かった。
「でもあれですよね。こういうのって弟子より彼氏にやるべきイベントですよね」
「クソほどデリカシーないなぁお前。……あいつをこの家に連れてきたことはないよ。あいつに、他のやつにだって家族の話をしたことはない。だからお前が初めてだよ、良かったな」
冗談半分で口に出してみると、癪に障ったのかむにむにと両頬を引っ張られてしまう。
「……はっきり言ってな、彼氏とはもう上手くいってねえんだ。多分というか間違いなく、そう遠くないうちに別れると思う。どうだ、身近な美人なお姉さんがフリーになるぞ? 実は嬉しいんじゃないか?」
「……だとしても、そんな顔で言われたら、素直に嬉しいって言えないですよ」
「ははっ、どんな顔してんだよ私。お前にそう言われるんだから、さぞ酷い面してんだろうなぁ」
まあそうですね。まるで泣きたいのに泣けない子供みたいな、そんな顔ですよ。
「最初の頃は上手くいってたんだけどなぁ。……ほんと、どうしてああなっちまったんだろうなぁ」
「寝相と酒癖の悪さ、それと金遣いの荒さが想像以上で嫌になったんじゃないですか?」
「ははっ……いや、私寝相が良い方だぞ。ベッドから落ちたことも布団からはみ出したこともないんだぞ? 本当だぞ?」
冗談とばかりに適当に二つ三つ挙げてみると、火村さんはぶんぶんと手を振って否定してくる。
適当に言ってみただけなのに、どこに引っかかってるんだこの人。
別に寝相なんて関係ない……ああ、彼氏彼女なら同じベッドで寝るだろうし関係あるのか。俺は布団で良いから一人で寝たいけど、だから彼女出来ないんだろうな。
「絶対寝相悪くねえし……そだ、そういやさっき線香花火も買ったんだ。せっかくだし勝負しようぜ、とめる?」
「っ! ……ふふっ、負けたらどうします?」
「明日の昼食を選ぶ権利をやろう。ちなみに負けたらそばで確定な」
唇を歪めながらぶつくさ呟いていた火村さんは、無理矢理話題を変えたいのかそんなことを提案してくる。
面白そうだと乗り気を見せればにやりと笑みを浮かべ、缶に残っていたビールを全部飲み干してから立ち上がり、よろよろと千鳥足で家の中へと取りに行ってしまう。
……そばか。最近がっつりしたものばかりだったし、この旅行の〆としては悪くない。
つまり勝っても負けても損のない勝負だが、まあ負けるつもりは毛頭ない。こういうしょうもない勝負ほど燃えるタイプだよ、俺はさ。