イギリスからきた灰かぶり
ついに夏休みが始まった。
とはいえ俺のやることは変わらない。大学生の本分がなくなっただけで、ダンジョンへ潜り、空いた時間で試験勉強をしたり適当にだらける。モラトリアムとはそういうものだ。
「ひーふーみーよー……多くない」
今日も今日とて二級試験の条件を満たすため、そして生活費を稼ぐために訪れた十二階層。
本当の意味で一人探索なのは久しぶりだと思っていると、囲んできたのは上層お馴染みダンジョンゴブリン。ただし数は十数匹と、ちょっと上層にしては可愛くない数ではあるけども。
この数が同時に囲んでくるなんて一年に数度あるかないかだが、まあ別段問題はない。
春終わりならともかく、今の俺は上層でもやっていける玄人三級探索者。数がいようと統率なんてまるでない、烏合の衆でしかないダンジョンゴブリンなど恐れるに足らずだわ。
とはいえ事故が怖いので、油断することなく危なげなく対処を続けていき、向かってきた次の一匹の首を刎ねた。
そのときだった、パキンと音を響かせながら、剣を持っていた手が急に軽くなってしまったのは。
……やべっ、剣折れた。
残りは五匹ほど……しゃーない。ここはつまらない意地は捨てて、大人しく時間止めて片付けるか──。
『ちょっとどいて! 邪魔なんだけど!』
ここは素直に敗北を認め、時間を止めて片付けようとした。その瞬間だった。
突如邪魔だと吹き飛ばされるダンジョンゴブリン。今し方俺が相手にしようとしていた五匹が同時に空を舞う、その瞬間を目撃したのは。
『ねえそこの君! ここら辺で落とし物見なかった!? ネックレス、銀のハートのやつなんだけど……!!』
「あ、あー……そ、ソーリー? あー、アイムノットグッドアットイングリッシュ……お、おーけー?」
ドサドサと落ちてくるダンジョンゴブリンになど目もくれず、俺の肩を揺らし問い詰めてくる美女。
ダークブロンドとでも言うのだろうか、暗めの金髪と碧い瞳にすらりとした長い手足。
俺よりも頭一つ分背の高い火村さんよりも高身長であろうハイパースタイル美女。初めて見るモデルみたいな外国人美女を前に、当然のようにしどろもどろになってしまう。
辛うじて英語であることは分かったものの、だからどうしたという話。
カタコトにしても情けなさ過ぎる、日本人としてすら恥ずかしい英語もどきで何とか対応しようとしてみるが、焦っていたはずの相手は逆に冷静になってしまう。
まったくなんて様だ、今時の小学生ならもっと上手く話せるぞ。何せプログラミングも義務教育で習うらしいからな。俺ってば本当に馬鹿。
「……オーケー。私も悪かったわ。そういえば、日本人って英語苦手だものね。忘れてたわ」
そんな俺の様子に金髪美女は顔に手を当て、もう一方の手を伸ばして謝ってくる。
おう。ジャパニーズ流暢ね、ベリーベリーワンダホー。
あと一応心の中で弁明させていただくけど、俺の英語力がカスオブカスなだけで、日本人全体が英語使えないわけではないからね。俺が馬鹿なだけ、オーケー?
「まず自己紹介ね。私はシンディ。シンディ・グレイよ。よろしく、君」
「あ、はい。時田とめるって言います。よろしくです」
名乗りながら右手を差し出してきた金髪美女ことシンディ。
初めての外国人と挨拶に戸惑いながらも流れで右手を差し出し、そのまま軽く握手を交す。
た、確か握手ってどっちの手するかみたいなマナーあったよな……?
差し出された方に合わせたから間違ってない……はず。いざこういう場面に直面すると、日本はガバガバだなって実感するわ。
「えっと、グレイさん? 慌ててましたけど、どうかしたんですか?」
「シンディでいいわ。えーっとね? 実は落とし物をしちゃったのよ」
お花を摘める場所についてかなと思ったけど、彼女が語ったのは思いの外普通の悩み。
何でも今日は二十三階層まで潜ったらしいのだが、その帰りに大事な物を落としてしまったことに気付いたらしい。
「一回戻って確かめてみたんだけど、やっぱりどこにもなくてね。行きで落としたのかもって調べている所でゴブリンがいて、鬱陶しいから蹴散らしたらあなたがいたから聞いてみたってわけよ」
なるほどな。つまり助けは偶然だったというわけか。ま、そこは別にいいけど。
しかしダンジョンでの落とし物とは災難だな。……あ、そうだ。せっかくだし、いいこと思いついちゃった。俺ってば天才か?
「あの、ここからでよければ手伝いましょうか? 一応二人の方が見落としも減ると思いますけど」
「え、いいの!? ……あー、でもごめん。悪いんだけど、これにかこつけてディナーしたいとかなら遠慮するわ。そういうの、もう間に合ってるんで」
我ながら実に妙案だと自画自賛しながら提案してみれば、何故かシンディに訝しげに疑ってくる。
失礼なやっちゃな。今回はそんな下心なかったわい、本当だい。
まあでもこのレベルの美女で日本にいたら、承認欲求満たすを通り越してうんざりするレベルでやられて辟易してるんだろうな。
「まあ打算はありますよ。実は今ので剣折れちゃって、安全に帰るために連れが欲しかった所です」
「ふーん? ……じゃあお願いしよっかな。よろしくね……えっと、とめる」
こういうときは下手な善意よりも互いの利を訴えるのが効果的だと。
見せびらかすように手に持っていた剣の残骸を上げながら説明すれば、納得したのかシンディは了承し、臨時パーティとして帰路に就く。
あー良かった。これで一つ面倒事が減った。
落とし物探し手伝うだけでむしろ好都合。俺もそろそろ狩ろうと思っていたし、いちいち時間止めて倒すの面倒臭かったから、二級以上が協力してくれるなら帰りは楽できそうだ。
「にしても日本語お上手ですね。そこらの日本人より上手いんじゃないですか?」
「そう? 大学生の頃、短期留学で来たときにステイ先の家族が熱心に教えてくれたの。私が優秀なのも相まって、帰る頃にはペラペラのお墨付きよ。」
落とし物とやらを探す道中、つい気になったので聞いてみればシンディは待ってましたとばかりに話し始める。
喜々とした顔で、留学時の思い出を途切れることなく語ってくれるシンディ。
日本人の留学話は数回聞いたことはあったけど、外国人が日本に来た際の話は初めてだったので相槌以外せずに耳を傾けてながら歩いていると、周辺の気配が濃くなっているのを察知する。
「ダンジョンゴブリン。今日は随分と多いな」
「私がいるからかしら。ちょっと待ってて、すぐ終わらせてあげるから」
ひたひたと足音を立て、俺達を囲んで襲いかかってきたダンジョンゴブリン。
この数を一人はちょっときついかと、折れたとはいえ一応剣である剣を抜こうとしたのだが、それより早くシンディは駆け出したと思えば、次の瞬間にはダンジョンゴブリンは空へと舞い始める。
長い足を巧み操り、まるでバレエでも踊っているみたいな華麗さながら、嵐のような激しさでダンジョンゴブリン共を蹴散らしていく。
……やはり速い。そして恐ろしいほど鋭い蹴りだ。
武器を持っていないから体術メインであるとは推測していたが、足技メインでここまでとはおもわなんだ。
もしかしたらこの前の青柳トワよりも……いやいや、俺の最推しが負けるわけないって。なしなしっ。
「……本当にお強い。二級探索者って言ってましたけど、日本で取ったんですか?」
「違うわよ? 元々は母国でG2……こっちで言う二級相当の資格を取って活動してたんだけど、お金が貯まったからこっちに越してきたの。こっちの食事に舌が慣れちゃったから、あっちのがどうにも……ね?」
食事の話へ変わると何かを思い出したのか、途端にげーげーと苦い顔で舌を出すシンディ。
へえ、イギリスのランク2か。そりゃすごい。
探索者資格はどの国でもランクの基準が異なっていて、国内にダンジョンが一つしかないイギリスは日本以上に厳しく設定されていたと記憶している。
その二級相当ともなれば、日本の平均的な二級とはレベルが違うはず。断言なんか出来ないが、もしかしたら一級とさえ並ぶかもしれないな。
……にしてもそんなにあれなのか、イギリスの料理って。
いや、最近は美味しいものも多いって聞くし、日本の料理が特別気に入ったってだけだろう。きっと、恐らく、メイビー。
「あれ、でも日本って確か、外国人は中長期の在留資格だけじゃダンジョンに入れなかったはずじゃ……?」
「ああ、それはあくまで通常の場合よ。一部の国で一定ランクが認められている者に限り、国に申請が受理されればエクスプローラーライセンスはゲット出来るのよ。もちろん色々制約は付くけどね?」
イギリス料理についてはいつかきっと、人生の中で一回は食べて答えを出すで片付けるとして。
シンディの話の中で気になる点があったので尋ねてみれば、途中無駄に良い発音を挟みながら答えてくれる。
探索者の基準もそうだが、ダンジョンへの進入もまた国ごとに違う規則が定められている。
日本の場合は基本的には国内で取得した探索者資格が絶対必要で、それを取得する際に国籍が必要だったはず。十数年前、その辺りの制度によって起きた事件は二級試験の定番らしいと勉強したからそこは覚えている。
確かアフリカのダスラーンって国が一番フリーダムなんだっけか。
ダンジョン出現前は碌に名前すら挙がらない発展途上国だったからけど、出現したダンジョンを簡単な手続きで誰でも入れるようにした結果一気に発展したって国。高校の頃、世界史の資料集に載ってた気がするわ。
にしてもこういう例外はまず試験で出てくるだろうし、ここで実例と出会えて良かった。
残念ながら俺の頭はそこまで賢くないし、参考書とか読んでるだけじゃ入ってこないことも多いからな。こんな美人と紐付けられるなら、そう忘れることはないだろう。
「それで今更なんですけど、ダンジョンの中で落とし物なんて……何落としたんです?」
「……そうね。あえて言うなら心、かしら?」
「はあっ、そうっすか」
さして興味はないし、踏み込む度胸もないし、どうせ聞いても無駄だろうなと。
不敵に笑いながら濁してきたシンディを前に、色んな諦観でそれ以上深入りすることをやめ、たわいない話をしながらゆっくりとダンジョンを遡っていくが、残念ながら落とし物とやら見つからず。
そもそも何を落としたのかなと考え、気がつけば五階層辺りにまで差し掛かったときだった。
地面にきらりと光る、小さな光る銀のハート、その右側のネックレスを見つけたのは。
「シンディさーん。これっすか?」
「サンキューとめる! そうこれ! これなの、良かった……」
シンディさんを呼んで確かめると、それはもう大事そうにギュッと握りしめながら肯定する。
彼女の様子からそれだけ大事なものだったと察せられる。誰か大切な人に贈られた物だろうか。
「今日ここら辺でしつこいナンパされたんだけど、そのときに落としちゃったのね。我ながら不覚だわ」
なるほど、そういうことか。
さしずめ上層である十五階層とは違い、今なお客の途絶えを知らない五階層の隠し部屋。ナンパスポットになりつつあるこの辺りを彷徨いていた三級探索者に絡まれたって感じか。
……正直俺もうざいと思っていたしダンジョン庁、何かしら手を打ってくれないかなぁ。
「えっと、半分欠けてましたけど……いいんですか?」
「ええ、いいの。もう半分はずっと昔に盗まれて、あの日に置いてきてしまったから」
右半分しかないことを尋ねると、シンディは首を横に振ってから含みがありそうに呟く。
「本当にありがとう、とめる。……でも驚き、本当に誘ってこないのね? 正直熱烈に口説かれたら、食事くらいは奢ってあげるつもりだったのに」
「それは本当に残念。俺もこの後予定がなければ、無謀でもお誘いしたんですけどね」
シンディのからかうようなお誘いに、珍しく動じることはなく言葉を返す。
とても魅力的な挑発ではあるけど……残念、この後青柳トワのゲーム配信があるんだよね。
俺としては金髪美人との食事よりそっちが優先。外野に語ればもったいないと糾弾されるかもしれないが、ワンチャンすらなさそうな相手への対応なんてこんなもんだろうよ。
『……へえ、案外いけずな坊だこと』
何かしらの愚痴であろうことは分かる英語を口に出すシンディ。
最後の最後で気を損ねたかなとちょっとだけ後悔していると、シンディは懐から紙を取り出したかと思えば、軽く唇を落としてからこちらへと差し出してくる。
……キスマーク付きの名刺。なんていうか、ベタだなぁ。
「困ったことがあったら連絡して。それじゃ、縁があったらまた会いましょう?」
「いえ、こっちも助かりました。縁があれば、またどこかで」
別れの挨拶と共に軽く手を振って、軽快な足取りで去っていくシンディ。
闊歩する様を後ろから見ると、まるでファッションショーを歩く一流モデルみたいだなと。
そんなくだらないことをつい考えてしまって、こうしちゃいられないと首を横に振って切り替え、名刺をしまってゲート前を後にする。
スマホの時計を確認すれば、残された猶予はあと一時間と少しだけ。
今から帰ってシャワーを浴びてギリギリ。どうか何事もなく、間に合うことを願うばかりだ。
今話は番外編兼日常回くらいのノリです。次回から三章に入る予定です。