帰還
突然現れた第三の乱入者。
それがこの前銭湯で会ったヤシロだと理解し、ピンと張っていた緊張の糸が一気に緩んでしまいなるのを堪えながら、彼の一挙手一投足を窺い続ける。
青柳トワもとい葵先輩も警戒を解いてしまっている状況。
ひとまずは助かった……でいいんだよな? 以前銭湯で勝てるとか思ったからって、こっからフラグ回収のもう一バトルとかまじで勘弁だぞ。あの牛ぶっ飛ばせる相手とか、殺さなきゃ止められないだろうからな。
「……やあ、相変わらずだね。八代さん」
「おうよ、今回も現場判断で割り込ませてもらったぜ。そんでわりいな青柳の嬢ちゃん、例によって配信は止めてくれや。前も言ったが、俺ぁカメラ嫌い且つNGなんだわ」
「え、あ、はい。……みんなごめんね、一旦配信止めるよ」
ヤシロさんに言われるがまま、若干素が出ながらも配信を止める青柳トワ。
ふとスマホを取り出して見てみれば、確かに配信が終了している。切り忘れということはなさそうで一安心だが、これで俺達は外部との繋がりを断たれたわけだ。まあでも、時間を止めても映像が残らないと考えれば好都合かもしれないな。
……にしてもヤシロさん、青柳トワを知ってるのか。もしかして、リスナー?
配信なんかよりも筋トレを趣味にしてそうな容姿だけど、そういう人にも知られてるなんて流石俺の最推し。知名度も着々と上がっているようで鼻が高いよ。
「は、はい。と、止めましたけど……」
「おう、さんきゅ。……で、どんな状況だこりゃ? ただ特殊個体に出くわした……ってわけでもなさそうじゃねえか。何かあったか?」
青柳トワが止めたと伝えると、お礼を言いつつ状況について尋ねてくるヤシロさん。
命を助けられた立場ではあるし、流石に全部を誤魔化すことは出来ないと。
例によって先輩の秘密関連は省きつつ、俺がここに至るまでの経緯を一通り説明していく。
「……なるほどな。ダンジョン内での喧嘩ぐらいを想像していたが、思ったよりずっとヘビーな話題で驚きだ。ブッハッハ!」
外野から見てもそこそこ重たい話題を話し終えたというのに、大きく笑い飛ばしてくるヤシロさん。
風呂で見たときからそういう人だよなと、若干諦めて肩を落としていると、ヤシロさんはストーカーの方へと歩き出す。
「そんでどうするんだ、ストーカーさんよぉ? いくら便利な魔法を持ってるって言っても、流石に三人に囲まれて逃げられるとは思ってないよな? それともワンチャン賭けて奥へと潜って潜伏してみるかい?」
今なお立つことが出来ず、尻もちをついているストーカーの肩へぽんと手を置くヤシロさん。
よく推理もので自首を勧める探偵みたいんだなと、どうでもいいことを思っていると、今度は青柳トワがストーカーの真ん前へと立って見下ろす。
「……わたしは、あなたを許すつもりなんてないです。今すぐにも殺してしまいたいほど、あなたが憎くて怖くて仕方ないです」
強く戦斧を握り締めながら、それでも刃を向けることなく声を絞り出す青柳トワ。
……いや、今は葵先輩としてだろうか。いずれにしても、今の彼女の震えながらもはっきりとした声は、様々な想いが込められているのだろうと察せられるものだった。
「だから自首してください。撮った写真は全部消して、刑務所できちんと罪を償って、出所してからも一生悔いながら生き続けてください。二度とわたしの前に現れないでください。それでギリギリ、わたしも納得しますから」
それだけ言ってから、これ以上は顔も見たくないと視線を外し。
俺のそばへと寄ってきた彼女は、にへらと力ない微笑みを浮かべた後、力尽きたようにこちらへ倒れてしまう。
……良かった、眠っているだけか。
まあ無理もない。ダンジョンタウロスの乱入もあったせいで、心身共に疲れ果てただろうからな。
「どうすんだ加害者? ここまで被害者に譲歩されて、それでも言い逃れすんのか?」
「……自首するに、決まってんだろ。命救われたってのに、そこまで無様晒せるわけねえだろうが……」
眠る葵先輩を抱き留めつつ、俯きながら嗚咽を漏らすストーカーへ冷めた目を向ける。
もしかしたら勇気を出して決めたと称賛すべき場面なのかもしれないが、賢明な決断だと褒めるつもりは一切ない。何かを褒めて欲しいなら、そもそも犯罪なんかやるなって話だ。
「よしっ、これにて一件落着ってな! いやー良かった良かった! んじゃ帰ろうぜ!」
ともかく、この場は全て解決だと。
一度手を叩き、大きな音をダンジョンへ響かせたヤシロさんと共に十八階層を後にしていく。
俺は先輩を背中に、夜魔斧を手に。
ヤシロさんはたった一人でダンジョンタウロスの尾を掴み、恐るべきパワーでズルズルとで引き摺り。
そしてストーカーは逃げないように兼斥候として一人先頭に立たせながら、ゆっくりと地上への帰路に就く。
……そういえばこの場合、討伐者の権利は先輩とヤシロさんのどちらに渡るのだろうか。
予め取り分を決めてから組むパーティと違い、緊急時につき乱入という対処は揉め事が起きやすい。
特殊個体は人類の発展とダンジョンという未知の解明に繋がる故、生け捕りが推奨されているが、死んでいても相応の価値はある。
角こそ欠けているものの、このクラスの特殊個体が五体満足であれば数千万は下らないかもしれない。俺達の取り分がないのは当然だが、二人が揉めなければいいのだが。
「ん? どうしたよあんちゃん。俺の顔に何か付いてるか?」
「いや別に、とんでもないパワーだなって思っただけです。にしてもまさか銭湯で会ったマッチョが二級の探索者で、こんな場面で再会するとは思いませんでしたよ」
「俺もあんなヒョロいあんちゃんが探索者だとは思いもよらなかったぜ! 上も下もサイズアップした方がいいぜ、その方が貫禄つくからな! ブッハッハ!」
若干の下ネタにどう返していいか分からず。
葵先輩が聞いてなくて良かったなと思いながら内心で思いながら、あははと苦笑いを返すしか出来なかった。
しかしこの人、あの強さで二級なのか。
青柳トワの全力さえ不明ではあるのだが、それでもこの場の誰よりも強そうだと思ったんだが、どうなんだろうな。
「しかしあんちゃんよぉ、随分と褒められたもんじゃねえ作戦で犯人釣ったなぁ。もしも予想が一つでも外れてたらよ、嬢ちゃんの秘密ってやつがネットに出回ってたんだぜ? 例えば秘密ってやつがどっかのサイトで予約投稿に設定されていて、あいつが帰らずに時間差でばらまかれでもしたらどうするつもりだったんだ?」
ヤシロさんは先ほどまでの笑いを引っ込め、急に真面目な大人の口調で窘めてくる。
……一応、そういう脅しをしてきたらみたいな想像をしていなかったわけではない。
持ってる身分証から自宅を割り出し、そのまま止まった世界の中で自宅へ突入してパソコンやら何やらを全部壊してくる……なんて強攻策も考えてはいた。
とはいえやはり、行き当たりばったりすぎたことは否めない。
ヤシロさんの指摘はもっとも。坂又部長だって、きっと言おうと思えばいくらでも言えたのだろう。終わりよければそれで良しで済ませてしまえば簡単だが、やはり俺はまだまだだと痛感させられる。
「俺なんぞでもそこそこ思い浮かんだ。おめえも十八超えてんならよ、せめてもう少し慎重に行動しようや! ま、俺個人としては好いた女を守りたいって男気自体は買ってやるがな! ブッハッハ!」
「……返す言葉もないです。せんぱ……青柳トワは俺にとって、そういう人じゃないですけどね」
先達から注意は粛々と受け止めながらも、先輩の、そして最推しの名誉のために後半は否定する。
先輩のことはとても魅力的だと思うけど、それとこれとは別の話。
例え非常時とはいえ、この数日の同居でそんな雰囲気の片鱗すらなかったのだから、そもそも男として意識されてるのかさえ微妙な所だ。
「そういえば、ヤシロさんこそ何してたんです?」
「ん? ああ、俺はこいつの捕獲依頼を受けてたんだよ。この前ダンジョン庁が調査したんだし、いねえもんはいねえだろとは思いはしたが、それでも一応上層で調査していたらたまたま情報もらってよ。そんで駆けつけてみたらあの状況ってわけだ」
とはいえこの話題を続けられると気まずかったので、話題逸らしのついでに気になっていたことを尋ねてみれば、ヤシロさんはあっけらかんと答えてくれる。
情報ねえ。配信を見ていた人が通報でもしてくれたのだろうか。
いや、そうだとしてもどこか引っかかる。喉に小骨が支えてるような何とも言えない不快さ。
……まあいいか。どのみち助けられたことに変わりはないんだ。もう疲れたしひとまずは置いておくことにして、必要になったらまた考えるとしよう。
「そんで青柳の嬢ちゃんとは……まあ、結構前に中層でな。その辺話すと長くなるから、興味があるなら後で嬢ちゃんに聞いといてくれ」
運が良いのか、それともダンジョンタウロスの死体やヤシロさんの存在感のおかげか。
とにかく一度も敵襲のないまま上層、そして表層を越えて入り口にまで戻ってくることが出来た。
「あ、八代さん! 全然元気そうじゃないですか! なら連絡くらいくださいって!」
「ブッハッハ! すまねえな佐藤、すっかり忘れてた!」
「忘れてたじゃないですよ! 管理不行きで怒られるのこっちなんですからね! まったく!」
ダンジョン庁内の照明と、周りのざわざわとした喧騒でようやく戻ってきたことを実感していると、ピシッと黒スーツを着こなした男が数人取り囲むようにやってくる。
まるで映画に出てくるその道の人みたいだと思って警戒しようとしたとき、一人前へ出てヤシロさんへ喰い気味に追求し出すも、ヤシロさんは大笑いして流してしまう。
……知り合い、のようだな。
まあスジモンといえど、こんな往来の場で喧嘩売ってくるやつはいないわな。取り越し苦労で何よりだ。
「あ、あのー……?」
「あ、失礼いたしました。私ダンジョン庁、特殊課所属の佐藤と申します。どうぞお見知りおきを」
俺が戸惑っていると、ヤシロさんへ詰め寄っていた黒服が身を正し、丁寧に一礼しながらこちらへ名刺を渡してくる。
ダンジョン庁の特殊課。聞いたことのない部署だが、普段どんな仕事をしているんだろうか。
「それじゃ佐藤、俺は外すからこいつ運ぶの任せたぜ。細かいことは明日にでも話すから、討伐者はそこの嬢ちゃんで登録しておいてくれ」
「え、え……えっ!? だ、駄目ですよ八代さん! まさかあんた、また仕事ほっぽって帰る気じゃ──!!」
「ばーか違えよ。こいつ警察に届けてくっから、それまで頼むわってだけだ。ったく、どんだけ信用ねえんだ」
掴んでいたダンジョンタウロスを放し、ストーカーの背を叩いてからこの場を去ろうとする。
当然佐藤と名乗った黒スーツの男は説明を求めるも、軽く流してそのまま進もうとしてしまう。
「そんじゃなあんちゃん達。そんで一応警告だ。今回の件といい、最近どうにもダンジョンがきな臭い。これは俺の勘だが、外も中も荒れ始めると思うぜ」
「は、はい?」
「んじゃな。……あ、それと嬢ちゃんのウィッグは外してやんな。その髪色は目立つからよ」
思い出したように最後にこちらへ向いたヤシロさんは、軽く頭を小突いた後、にかりと笑みを浮かべて今度こそ去っていく。
……何だか嵐のような人だったな。
「……あ、ええっと、申し訳ないんですが、詳しい事情の方窺ってもよろしいですかね……?」
「あ、はい。分かりました」
嵐が去り、生じた数秒の沈黙で俺と佐藤さんは目を合わせる。
いつもヤシロさんに振り回されているんだろうなと同情していると、佐藤さんが大きくため息を吐いてから、話を聞きたいと提案してくる。
こんな状況で断るわけにもいかないし、仕方ないと諦めつつ。
ヤシロさんに言われたとおり、先輩のウィッグを外そうとしたがやり方が分からず。なおもぐっすりな先輩のあどけない寝顔を羨ましいと小さく息を吐いてから、そのままおぶって佐藤さんの後へと続いていく。
あーあ、明日もテストあるじゃん。
明日起きれるかなぁ。今日めっちゃ疲れたし、思い出したくなかったなぁ。大学生と探索者の兼業って辛いや。