彼女こそが
ようやく相対した青柳トワ……いや、葵先輩をストーカーして脅すゲス野郎。
実際に見た犯人の姿は、ぼさぼさ頭と少し窶れていると思える頼りなさはあるものの、ダンジョンの上層にならどこにでもいそうな普通の探索者の風貌だった。
「な、なんのことだよ。ストーカーだなんて人聞きの悪……えっ、はっ?」
突然声を掛けられたから、或いは声を掛けられるとすら思っていなかったのか。
咄嗟にカメラを隠し、愛想笑いさえ浮かべる余裕すらなく。
まるで自らが不審者だと教えるかのように動揺に、如何にもストーカーって感じだと思いながら時間を止めて、男の懐から探索者ならば必ず持っているライセンス証を拝借してやる。
「あ、言い訳なんていいからさ。えーっと、名前は厄木次郎。俺と同じ三級で年齢は三十一……へえ、見かけより若いね。もうちょっと身なり整えればましに──おっと」
「ふ、ふざけんなてめえ! ぶっ殺されたくなかったら返せ──えっ?」
「連れないなぁ。散々パシャパシャ俺達を撮ってたんだろ? なら成果物くらい見せてくれたっていいじゃないか」
探索者である証明、ダンジョン前のゲートを通るために必須なライセンス証。
そこに書かれている個人情報を順に読み上げていると、逆上した男は剣を抜いて向かってきたので、再び時間を止めてから冷めた気持ちで見つめてやる。
うっわ、すっごい怖い顔しちゃってまあ。
こちとら平和的に話そうとしているだけだってのに、人間相手に剣なんか抜くとか探索者失格だろ。振り回されると危ないし、適当に離れた場所へ捨てちゃおっと。
固まる男の手から剣を弾き、床に転がしてから首から掛けていたデジタルカメラとスマホを回収。
どっこいせと抑え付けるように背中へ乗ってから男の手を掴み、指先を借りたスマホの画面に押し当てながら時間停止を解除する。
「ぐっ!? なっ、なんだこの、どけよ──え、えっ!?」
「暴れない暴れない……うん、ありがと。……あー、やっぱり消してないんだ。まったく、万が一スマホ落として中見られたらどうするんだよ。迂闊だなぁ」
必死に身を捩り、脱出しようと懸命に暴れる男を押さえつけながら指を借りて無理矢理にスマホの鍵を突破。
開いたのを確認してから再び時間を止め、立ち上がって間合いを取ってから再び時間を動かし、スマホの中身を確かめていけばすぐにお目当ての画像──葵先輩と青柳トワ両名の画像を発見した。
現代の指紋認証ってのは便利だけど怖いよね。
確かに手軽で安全ではあるけれど、こんな風に相手の指を借りれば簡単に開けられちゃうんだからさ。大人しく暗証番号で守っておくに限るよな。
……にしても、随分とまあ撮ったもんだ。
この画角とかどうやって撮ったんだろう。苦労が窺えるね、まったく褒める気にはならないけど。
「配信を見れば青柳トワが東京ダンジョンで活動してるのは簡単にわかる。そんで盗撮のタネも単純だ。断言は出来ないけど、大方隠密系の魔法って所だろう? 効力がそこまで強いものでもないから外でコソコソ写真を撮るしかなく、だから写真だけを材料に脅していた。違う?」
「は、はぁ!? ふ、ふざけんな! いきなり好き勝手言いやがって!! そんなの全部言いがかりじゃねえか!?」
「こんな証拠があってもまだ喚くんだ。……ところでさ? 実は俺には頼りになる先輩がいるんだけど、その先輩の知り合いに中の人の顔が分かる……なんてぶっ壊れた魔法を持ってる人がいるんだって。すごくない?」
途中飛びかかってきたり、剣を拾おうしたりする男を時間を止めてあしらい続け。
それを聞いてなお、動揺しながらも声を荒げて否定してくる男に思わずため息を吐きながら時間を止め、鞄から巻いた紙を引っ張り出してから時間の流れを戻す。
驚く男へ見せつけるように紙を開いてやれば、そこに鉛筆で描かれているのは一人の人間の顔。
坂又部長に渡された人相書き。目の前で息も絶え絶えに、鬼の形相でこちらを睨み付けている男と瓜二つな絵を見たストーカ-野郎は、ようやく声を失わせて息を呑んでくれた。
「はあっ、はあっ、なっ、なんだよそれ……!!」
「ほんと、魔法ってのは怖いよな。俺の軽い認識阻害もそうだけど、自己申告でしか発見出来ないんだから、現代の法や技術ではほとんど対応出来ない。科学が発展したこの現代で、魔女裁判さえ許容しようって過激派がいるのも頷けるよ」
一応今後のブラフのために、この状況を作った魔法を虚偽申告しておきながら。
くるくると、広げた紙を巻き直しながら、深々と自嘲のため息をついてしまう。
はっきり言って、俺に魔法の使い方云々でこいつを糾弾する権利はない。
こっちだって時間停止で好き勝手やっている、謂わば同じ穴の狢。どんなに説法垂れ流したとしても、時間停止を日常で有効利用しているのだから説得力なんてあるわけがないのだ。
そも現代の法で裁ける材料を証明出来ないのなら、悪であっても罪だと糾弾し裁くのはお門違い。
どこまで理不尽で、誰かが苦しんでいたとしても。
バレなきゃ犯罪じゃないが罷り通ってしまうのが法の現状で、魔法持ちの悪を証明して裁く手段が乏しいのが現実だ。
──だからこれは、どこまでいこうと売られた喧嘩を買っただけ。
ダンジョン出現により生じた革命と変化、その闇の部分の一端。相手がたまたま証拠を残しているだけで、そういう醜い争いだ。
「先輩の話を聞く前から、ずっと考えてたんだ。俺程度ならともかく、二級探索者であるあの人の索敵から逃れながら写真が撮れるのに、どうして脅迫材料が外での写真だけなんだろうって」
諦め悪く襲ってきたら、その都度適当に地面に転がし。
消せるのは気配だけなのだから、魔法を使って逃げようとしても時間停止の前では意味を為さず。
抵抗なんて許さないと何度も追い込みながら、淡々と授業をする教師のように一方的に話していく。
「鍵を壊すわけでもない。彼女の家へ侵入するわけでもない。本気で青柳トワを害したいのなら、知った秘密はさっさとネットにばらまけてまえばいい。なのにお前はそうせずに、金さえ求めずただ脅すだけ。そこがどうしても引っかかっていたんだ」
心底吐き気がするほど最低な発想だが、仮に俺が脅す立場だったらもっと容赦なくやる。
金や体を寄越せと強欲に強請って搾り取り、飽きたらとっととバラして炎上させる。俺程度でこれくらい思いつくのだから、本気で悪意を持っていたならもっと非道な行為だって可能なはずだ。
だというのに、こいつは手ぬるい脅迫しかしていない。
決して短くない期間脅していたというのに、盗撮して脅す以外のアクションを起こさない。
まるでそれ以上をする気はありませんよと、脅せればそれだけで満足とでも言うかのように。
「お前は青柳トワ個人への恨みなんてなく、ただストレス発散で脅していただけ。直接的な要求や被害を出さず、秘密を握っていると脅すだけなら警察に通報されることはない。そう踏んでいたんだろう?」
「……っ!!」
俺の推測が図星だったのか、膝をついて見上げながら歯噛みする男をじっと見下ろしてやる。
こいつの目は憎悪にも嘲笑にも、そして狂気にだって染まっていない。それどころか、熱さえ感じられない腐っているだけの目だ。
脅してストレス発散して、それで満足するだけでそれ以上は何もできない臆病者。
身勝手で醜悪な正義を語りながら、そんなものにすら酔いきれない半端者。せめて自らに正当性すら見出せない、悪の中でも最低のゲス。そんなやつが、葵先輩を散々苦しめたストーカーの正体だ。
「で、どうするんだ? こんな所まで来て何をする気だったのかは知らないけど、特定されて証拠も握られた。降参して自首するなら、今のうちだと思うけど?」
「……え、……るせえよ」
「はい?」
「うるせえって言ってんだよ! 働いたこともねえ大学生のクソガキが、一丁前に講釈垂れてんじゃねえぞ!」
話したいことを話し終えて、相手の選択を問うてみれば男は怒号をダンジョンへと響かせる。
ゆっくりと立ち上がり、激昂してながら捲し立ててくる男。
額には血管が浮き出て、光なんてなかった瞳には火が付いたように怒りで染まり、唾が飛ぶことさえお構いなしに怒りを露わにしてくる。
「ああそうだよ! あんなコスプレ女どうだっていい! たまたまヅラが取れた配信を見て、こいつならチョロいと思ったから尾行して脅した! それの何が悪い!!」
「……」
「どいつもこいつも正義面して舐めてやがる!! あの糞女に嵌められて会社クビにされて! クソガキに痴漢冤罪押しつけられて! どこも雇ってもらえない俺は家賃さえままならねえってのに、容姿と若さだけで簡単に稼いでやがるのがむかついたからやったんだ! 文句あるかよクソガキがッ!!」
醜く、愚かで、哀れむべき生き物の姿。けれども、俺はどうしても目が離せない。
これは俺だ。目の前に叫ぶこいつは、いつか辿り着いてしまうかもしれない可能性そのものだからだ。
もしかしたらこの男も、かつては品行方正で良識溢れた大人だったのかもしれない。
もしかしたらこの男には、仕方ないと同情したくなるような苦しい事情で闇堕ちしたのかもしれない。
俺だって将来社会で躓くことがあり、そのまま立ち上がれなくなるかもしれないし、二級や一級に羨望や憧憬ではなく嫉妬を抱いて呑み込まれるかもしれない。
どんな人間にも動機があり、今に至る過去がある。
未来が分かる魔法を持つ者でもなければ、誰がどうなるかなんて分かりっこない。こいつの言うとおり、社会に出たことのない大学生でしかない俺は、決してこいつの言葉を一蹴してはいけないと思う。
「……どんなに苦しかったとしても、お前が先輩の秘密を侵していい理由にはならないだろ。どんなに辛くとも、他人に手を出したらそこに正しさはなくなるだろ?」
それでも、何の関係もない他人に迷惑掛けたのなら、それはもうただの悪人でしかない。
こいつの悪意が葵先輩を傷つけて、彼女の一番大事なものを奪おうとした。それだけは、譲っちゃいけない。
最後に訊いた。男は答えた。
決裂だと、ゆっくり踏み出そうとした。
──その瞬間だった。
「驚いた。まさか本当にいるとは思わなかったし、よりにもよってこっちに現れるとはな」
止まった時間の中で、ほぼ寸前まで迫っていたそいつに驚愕するしかない。
轢き潰されそうだった男を回収し、少し距離を離した辺りで時間を戻しながら、乱入してきたそいつを睨んでやる。
後ろ足で地面を擦りながら、荒い鼻息を噴き俺達という獲物に狙い定める血を被ったみたいに赤い大牛。
ダンジョンタウロス、特殊個体。
つい先週報告こそされたものの、存在を確認出来ず調査を終了されたダンジョン生物。今回青柳トワのタイトルに使ったものの、いるわけないと高を括っていた獣がそこにはいた。
「なんて脚力だよ。通常種だって三級の手に余るってのに……配信のタイトル、フラグになったかな」
跳ねようとした獲物が突然消え、壁にまで飛び込むことなく勢いを殺してこちらへ向いてくるダンジョンタウロス。
戦闘系ダンジョン配信者にとっての定番ネタの一つ。ダンジョンタウロスを紙一重で回避し、壁にぶつからせてふらついた所を叩くという攻略法さえ通じなさそうな事実に舌を打ってしまう。
どうする。どうすればいい。
初動に対応出来た以上、時間を止めれば逃げるも倒すも容易だが、それではさっきついた認識阻害の嘘は絶対にバレてしまう。
保身なんて今更過ぎるだろうが、今ならまだ認識阻害の魔法で誤魔化せる。
この後警察に突き出すのは確定として、事情聴取で俺に関して変なこと話されるのは勘弁願いたいんだが……どうしようか。
「な、お前どうして、どうして俺を助けた……!? 今見殺しにすれば、それで解決だっただろう……!?」
「うるさいな。お前のことは心底嫌いだけど、別に殺したいわけじゃない。……それにお前を殺す権利があるとしたら、それを持っているのはこの世界で一人だけ、だろっ!!」
隣でわめく男に悪態をつきながら、再び迫ってくるダンジョンタウロスを時を止めて回避する。
お前を殺すのが目的ならば、犯人という確証を得た時点で殺して終わりにしてるっての。
ダンジョンの中は法なんて意味を為さない人類の領域ではない場所。時間を止めて中層や下層の目立たない場所にでも捨ててしまえば、誰にバレることもなく完全犯罪を成立させられるんだからな。
だけど、それをする権利があるとして、それを持っているのは一人だけ。
時間停止を持っているだけの俺ではなく、目の前のちょっと色が特殊なウシ野郎でもなく、犯人であるストーカー自身でもない。
「……ははっ、俺達は死ぬんだ! やっぱり現実はクソだな! ハハハッ!!」
ともかく、これ以上は躊躇している場合じゃないと。
隣の汚い笑い声を煩わしく思いながら、再度時間を止めて再び避けようとした直後だった。
「待たせたね。あとはわたしに任せて欲しい」
その必要はないと気付き、剣に手を掛けることなくその場で止まる。
刹那、俺達へ声を掛けながら追い抜き、そのまま一人の女性が俺の手へスマホを握らせながら、大牛から守るかのように前に立つ。
青柳トワ。
深い蒼の髪と紺色のセーラー服を靡かせ、華奢な身で戦斧を軽々と振うダンジョン配信者。
三級探索者みたいな凡人ではない、二級探索者が華麗に参上した。