どんなやつにも苦労はあったり
どんな困難に脅かされていようとも、それまであった日常がなくなるわけではない。
社会人であれば労働。親であれば育児。そして俺達学生であれば、当然学業がそれにあたる。テスト前であればなおさらだ。
「じゃあ先輩、ひとまずここで。講義終わったら連絡ください」
「は、はい! 時田くん、また後で!」
大学内のとある教室。
そこそこ人の入っている部屋の前にて、先輩はぺこりとお辞儀をしてからその中へと入るのを見届けてから、自分の教室へと向かっていく。
葵先輩も、そして俺も暇じゃない。
取るべき単位があり、そして受けるべき講義がある。どれほどの非常時であれど、単位を落として日常をないがしろにすることなど出来ないのだ。
ま、来週に入ればテスト期間。それが終われば大学生お馴染み、無駄に長い夏休みに突入する。
就活も視野に入り出すであろう先輩はともかく、未だ二年な俺は完全フリー。バイトなんてやってないし、ダンジョンに潜るかゴロゴロするかの二択。日中酒を飲み浸ったとしても文句を言われる筋合いなんてないのだ。
移動時間で講義が始まってしまい、教室へと到着し、
顎髭の強い教授に睨まれながらもカードリーダーにて出席を通してから、何処に座ろうかと手頃な席を探していた俺だったが、ちょうど後方にいた黒髪マッシュの男──篝崎君が小さく手を振っているのが目に入る。
手招きする篝崎君の隣の席は空いており、どうやら席を確保していてくれたらしいと。
おありがたい限りだと、声に出さずとも感謝しながら、彼のいる教室後方へと足を運んでいく。
「やあとめる。珍しく遅かったね」
「まあね。おはよう篝崎君、それに星川さん」
「うん。おはおはー、時田君」
篝崎くんともう一人、彼の隣から手を振ってくる黒髪姫カットな小柄少女こと星川さんに小さな声で挨拶しながら着席し、ハンカチを取り出して汗を拭いていく。
星川リナ。量産型地雷系服を着た彼女はかつて篝崎君と共に十五階層の隠し部屋探索に挑み、紆余曲折の後にびっくらハンマーに救出されたパーティメンバーの一人であり、俺に気付きかけたあの女性だ。
ダンジョンの中で見たときとは全然恰好が違い、また同じ学部で同じ講義を取るほど近い関係だったとは思っていなくて、それらを知ったときはつい表情に出してしまわないよう注意したほどだ。
ちなみに本人曰く、この前の十五階層で俺の存在を気付いたのは『直感』と命名した感覚の鋭くなる魔法によるものらしい。
ピンからキリまで相当なムラはあるらしいが、調子の良い日であればその日の大まかな運気やラッキーアイテム、ギャンブルで何が勝つかなんてのもぼんやりと感じ取れるとのこと。
ぶっちゃけダンジョンで探索者やるよりも、直感を駆使してマネーゲームでもしていた方がずっと稼げそうな便利魔法だと思ったが、基本的には漠然とし過ぎているため過信できないらしい。残念。
「あんまり元気なさそうだね。どうした、飲み明けだったりするのか?」
「あはは、まあそんな所だよ」
「……嘘、直感が言ってる。女、それも美人絡みだって」
テスト直前でも変わらずと、淡々と講義を続けていく教授。
ハンカチでひとしきり汗を拭いた後、もらったレジュメを眺めながら軽く流そうとしたが、星川さんは少しだけドヤ顔で指摘してくる。
「……実は、昔の友人から相談を受けてさ。そうだ、ちょっとだけ相談に乗ってよ」
彼女の直感は絶対ではないので誤魔化すこと自体は出来る。
だが第三者にちょっと相談したかったのも事実なので、教授にバレないよう小さな声で、なるべく葵先輩とは結びつかないよう心がけながら事のあらましを説明してみた。
「……なにそれ。たち悪い話過ぎる、女の敵」
「だよね、俺もそう思う。本当に酷い話だよ」
「……ストーカー、か」
「どうしたの篝崎君? 何かあった?」
「ああいや、昔ちょっとね。実は俺もされたことあるんだ、ストーキングってのをさ」
誰にも聞かれたくないと。
そう言わんばかりにただでさえ小さかった声を絞りながら、篝崎君は表情に少し陰りを店ながら、こちらを向くことなくゆっくりと話し始めた。
「あれは高校一年の秋頃だったかね。当時の俺といったら、今でも頭を抱えるくらいの黒歴史そのものでさ。容姿も運動能力も成績も全部が高水準、どんな障害が来ようとも俺ならどうにもで出来るって全能感を鼻に掛けた嫌味なやつだった」
黒歴史というよりかはかつての淡い青春を、どこか懐かしむように話していく篝崎君。
全部が高水準と言ってのける辺りに片鱗が残っているなと、自然と想像出来てしまう彼の高校時代を同じく正面を向きながら、頬杖を突いて耳に入れていく。
「……簡単に想像出来る。名残あるから」
「リナは手厳しいな。……その日は確か部活の帰りで、友達と別れて静かになった帰路だったかな。視線を感じてふと振り返った先、電柱の陰から垣間見た背中を舐るような、ヘドロみたいに粘ついた気配は一生忘れないだろうね」
篝崎君は星川さんの鋭い意見に苦笑したと思えば、途端に声を一つ低くして話す。
「殴り合ったら絶対に俺の方が強かった。撒こうと走ればいくらでも振り切れただろう。それでも、ああ、心を占めたのは恐怖だけ。不自然なまでに口が渇き、足が鉛みたいに重くなってしまうくらいに怖いを振り払えなくて、文句すら言ってやれず、その日どうやって家まで帰ったすら思い出せないくらいだ」
教授に負けず劣らずな淡々とした口調ながら、どこか引き込まれそうな迫力で語られた体験談。
さては音読の才能があるのではと、聞き終えた俺はそんな場違いな称賛を抱いてしまう。
「そんな過去があったなんて。ちょっとびっくり」
「……ほんと、イケメンも苦労してるんだね。ところでそれ、どうやって解決したんだ?」
「俺の様子がおかしかったのに気付いていた両親に問いただされてね。そこから警察に通報してもらって、あとはとんとん拍子で特定から逮捕までいって終わり。……思えばあのときほど、親に感謝したことはないかな」
恥ずかしかったから、妹には内緒にしてもらったけどねと。
照れくさそうに笑って誤魔化してくる篝崎君だが、果たしてそんな風に笑えるようになるまでいくら掛かったのだろうか。
……けどやっぱそうだよなぁ。とにかくまずは警察に相談すべきだよなぁ。
そういえば、葵先輩の親御さんってどうしてるんだろう。一般的にはこの篝崎君のように、いの一番に相談すべき人達だと思うんだが違うんだろうか。
「思えばあのときだったかな。大人になったら、困っている人に手を差し伸べられる人になりたいって夢を抱いたのはさ」
「……大層な志だね。そんな人間が探索者なんて始めるのは迷走な気がするけど」
「元々は心身を鍛えるためって名目だったんだ。……いつの間にか、目的がすり替わってたけどな」
痛いところを刺されたと、そんな困ったような表情で苦笑してくる篝崎君。
まあ確かに、結局は欲に流されてたもんな。心を鍛えるつもりが心の弱さを突きつけられるなんて、ダンジョンってのはつくづく残酷な場所だ。
「まあ俺の場合は脅迫なんてのは一切なかったし、経験者面して言えることなんてないよ。精々追い詰められると全部が敵に見え出すから、頼る勇気を出せるように整えてあげてってことくらいかな」
「……いや、相談受けただけなんだけど?」
「ははっ、そうだったね。ま、とにかく困ったら相談してよ。愚痴の聞き手くらいにはなるからさ」
そこまで関与するつもりはないと否定するも、篝崎君はこちらへ顔を向け、まるで全部分かっているとでも言うかのように笑みを浮かべてくる。
果たしてこの男は俺をどのくらい過大評価しているのか。運動能力からGPAまで、大体のことが君より低いってのにさ。
「……二人って急に仲良くなったよね。……まさか」
違うよ。そういうのじゃないよ。変な勘ぐりしないで欲しい、まじで。
「……でも、ストーキングされるくらいの愛ってのは魅力的だよね。両思いなら、それくらい重い方が俺は好きだな」
「分からなくもないけど、一度経験してなおそう言える篝崎君に敵う人はそういないと思うよ」
「……男って本当あれだよね。引くわー、どん引きだわー」
実はこの男、もう心が壊れているんじゃないかと。
冗談なしでそう言ってのける本物のやべーやつの意見こそ否定こそしないものの、若干星川さんに偏ってしまいながら、話は終わりだと講義を耳を傾ける。
……頼る勇気が出るように、か。簡単に言ってくれるよな、まったくさ。