テストよりレポートの方が辛い派人間
結局の所、俺はどこまでいっても大学生でしかない。
二級試験のためにダンジョンに潜ったり勉強するのも大事だが、それ以上に単位を落とさず進級するのが本分。せっかく奨学金を借りてまで大学に通っているのだから、そこだけは怠ってはならないのだ。
「あー死ぬ。暑いしだるいし指疲れた。ダンジョンの方が涼しいよー」
とはいえ熱気のこもる狭い室内でカタカタと、ひたすらにキーボードを叩く音だけが響き続ける時間が続けば、いくらだって愚痴が出てしまうもの。
梅雨も明けて、すっかり夏の気候となった最近。
落とすと後が面倒極まりないタイプの講義のレポート複数に悩まされて早数日、講義以外は机に向き合うばかりで、ダンジョンにだって碌に潜れていないのが現状だ。
レポート。それは大学生にとっての最大の敵、そう言っても過言ではない課題だ。
書くだけで単位をもらえるんだからテストより楽だと、もしかしたら結構な数の大学生はそう言うかもしれない。
けれど俺は違う。例えこの世の全ての大学生がレポート派であったとしても、俺だけはテストの方が楽だと言い続ける所存だ。
だって時間停止を使えばカンニングなんてお茶の子さいさいだが、レポートの場合はそうはいかないからな。
時間を止めても文字数が増えることはないし、そもそも時を止めたらパソコンだって止まるんだから意味がない。手書きのものを要求されなければ、止まった時間の中で缶詰なんて真似は出来ないのだ。
ま、手書きのレポートなんてマジで御免だけどな。
去年に一回だけやらされたことがあるが、あんなのはただの拷問だ。最後は時間停止に頼って何とか終わらせたが、二度と思い出したくないくらいの苦行でしかなかった。
あー冷房つけたい。でも電気代的にあかん、八月までは我慢我慢。
頑張れ俺、負けるな俺。暑さに負けず、だるさに負けぬ丈夫な体が探索者。
ここを越えれば大学生の華二大長期休み、九月下旬までの夏休みに突入出来るんだ。
ダンジョンに潜って、ちょっと息抜きに一人旅行して、ダンジョンに潜って、誰でもいいから飲みとか行って、ダンジョンに潜って……。
脳内に浮かぶのは、乗り越えた先にある輝かしい未来のみ。
窓だけ開けた部屋で最早無意識レベルで手を動かし、時に呼吸さえ忘れるほど集中しながら、時間さえ忘れてノートパソコンへ向き合っていく。
──そして窓から見える空が青から茜時々夜に変わった頃、ついにゴールへと辿り着く。
「これでようやく、最後! 保存、コピー、終わりぃ!」
念のためと、保存を三回くらい連打してようやく一安心と。
大きなため息を吐いてから、グッと上半身を伸ばしながら、成し遂げた開放感に心の底から酔いしれる。
きっと今の俺はさぞ情けない顔をしているだろうが、まあ誰が見ているわけでもないし問題はない。
あー疲れた。あー頑張った。流石は俺、流石は三級探索者。
時計を確認してみれば、既に十八時を回っている。今日は二限が終わってから帰ってきて、適当にインスタントラーメン食べてからそのまま作業を始めから……結構やったな、そら終わるわけだわ。
ともあれ頑張ったと、可能な限りの自画自賛をしながらシャワーでべたついた汗を洗い流し。
綺麗さっぱり完全に整ったと、夜でも高い気温に反して涼やかな気持ちになりながら窓を開け、冷蔵庫から取り出した缶コーラのプルタブを開けて一気に喉へと流し込む。
「プハア! あー生き返るぅ!」
五郎六腑に染み渡る、ドロドロとした甘さと炭酸の刺激がハーモニー。
こんなクソ暑い部屋の中で作業していたのだから、ジュースよりスポドリを飲んだ方がいいのは理解しているが、そんなことはさしたる問題ではない。
やはりコーラ、コーラこそ至高。成し遂げたとき、喉を潤すのはコーラに限るねぇ!
そうしてコーラ片手に、中よりほんのちょっぴりだけ涼しい……気がする夏の夜空で涼みつつ。
今日の夜ご飯は何にしようかなと、ようやく解禁されたスマホを弄っていると、運のいいことに青柳トワがダンジョン配信しているのを見つけてしまう。
お、ラッキーラッキー。頑張って課題を終わらせたご褒美かね、こりゃ。
『千鶴流、蒼砕岩』
配信画面を開いてみれば、映されていたのはちょうど戦闘の真っ只中。
中層のダンジョン生物の大定番、ダンジョンゴーレムを見事に一刀両断している場面であった。
うーむ、相変わらず惚れ惚れするほどの戦斧捌き。そして存在感抜群な戦斧だ。
葵先輩が持っているシンプルな戦斧とは違う、青柳トワの髪と同じ蒼色の長い持ち手に真っ黒な刃。
名は夜魔斧。蒼斧レナが作中で相棒とした、『夜』という伝説の怪異が封じ込められた戦斧。彼女のはそれは限りなく精巧に模したものだ。
確かあの模様は特注の戦斧に自分で塗装したんだよな。
そのときはまだ彼女を知らなかったからアーカイブで拝見したが、是非とも生で見ていたかった。
・やっぱトワちゃんすげえ
・ダンジョンゴーレムを一撃って二級でも上澄みレベルだろ
・知ってるぞ。赤大だろ、お前
・いつかバズってくれないかな、まじで
『これで終わり。……っ、一つだけ、真面目に忠告。これ以上、わたしを詮索するのはよした方がいい。じゃあ、今日はこれで』
立てていた脚立に寄り、スマホを手に取る青柳トワ。
だが何かに気付いてしまったのか、青柳トワは険しい目つきで画面を睨み付けながら、いつもは言わないような威圧めいた忠告で配信を終えてしまう。
少々ざわつきながらも、配信が終わり人の減っていく配信画面。
青柳トワが何に気付き、誰に敵意を向けたのか……なんてのは、わざわざ確認するのすら野暮だろう。
・知ってるぞ。赤大だろ、お前
「……数日見てなかったけど、相変わらずいるのか。正義の追求者」
コメント欄の中、他と同じ文字列だというのに妙に目を引く悪意の凝縮。
そいつのユーザー名は正義の追求者。
粘着アンチ。多くの配信者を悩ませる厄介種が、青柳トワにもここ最近で付いてしまったのだ。
人間とは醜い生き物で、天井ではなく手の届く範囲に嫉妬をぶつけることも多い。
山の上で咲いている高嶺の花を相手にしても手は届かないし後が怖い、だから近所の公園で綺麗に咲いている花を踏みつぶして悦に浸る。その方が手頃で、安全で、分かりやすく快感なストレス発散だからだ。
明け透けに言ってしまえば、青柳トワは所詮登録者四桁クラスのダンジョン配信者でしかない。
身体能力こそ常人とは比較にならない二級探索者と言えど所詮は人。
力がものを言うダンジョンの中では強者だが、法の下、人との繋がりを基盤とする現代社会の中ではただの人。一般的な配信者やVTuberと大差なく、故に狙うにはうってつけの相手というわけだ。
……まあ金がないといっても、所詮は天井と比較すればの話。
青柳トワは恐らくその辺のリーマンよりかは格段に稼いでいるであろう二級探索者。裁判数本なんて戦い抜けるだろうし、根本から喧嘩売る相手を間違えているとしか思えないけどね。
ともあれ、面倒なのに粘着されているのは事実。
俺とて青柳トワのファンの一人。推しの活動に支障を来しているし、何より配信を見ている上で不快なので、ちょこちょこ義憤に駆られていそうなコメント連中同様に何とかしたいという気持ちは当然持っている。
まあそれでも、一視聴者に出来る事は少ないというかほとんどない。精々ブロックしたり通報したりするくらいで、それ以上をするなら犯罪に手を染めることになってしまう。それではこのクソアンチと同じになってしまうのだから。
それに非常に下世話極まりないが、プライベートの詮索は配信者、というか芸能人の宿命ではある。
結局人間なんて生き物は、理性や知性を持ち上げられても獣以下の浅ましい俗物に過ぎない。
どんな業界だって有名人はプライベートのゴシップを付け狙われ、不祥事や隠したい情報を求められるもの。俺とてたまのゴシップに目がいってしまう一人なのだから、欲自体の否定など出来ようものか。
「しかし赤大ね……うちの大学じゃん」
しかし何の因果か。どんな根拠があるのかは知らないが、正義の追求者(笑)が挙げた大学は偶然にも俺の通っている学び舎。
私立赤峰大学。特に言及すべき点のない、かといって貶す点もない平々凡々なうちの大学だった。
ふと頭に過ぎったのは、大学内で唯一と言っていい女性の先輩の知り合いである彼女の顔。
葵夕葉先輩。黒髪眼鏡で小柄ながら胸もそこそこある、好きなことを語っている姿が可愛いあの人。最近薄々そうなのではないだろうかと、そう疑い始めてしまった彼女のことだった。
「……ま、どうでもいいか」
例え本当に葵先輩が青柳トワだったとして、それがどうしたという話だ。
誰かに話したくない秘密なんていくらでもある。俺だって時間を止められるだなんて言いたくはないし、余計な詮索をされたくもない。
持ちつ持たれつ、付かず離れず。それが人付き合いの理想であり、俺が目指すべき関係なのだから。
ああでも、せっかくならサインくらいはほし……げふんげふん、止めろ止めろ、ストップ。
いくら律しようと湧いてしまう邪念が憎らしい。
推しの幸福と安寧を願うのがファンの務め。リアルはリアル、プライベートはプライベートだ。
パソコンをシャットダウンし、夕食へと気持ちを切り替えながらキッチンへ移動する。
今日はちょっとがっつりいきたい気分だな。冷蔵庫の中に何か入ってるか……うそぉ、卵しか入ってないじゃん。なにやってんだか、過去の俺は。