そしてまた日常へ
あの一件から一週間。長めの春もようやく終わり、梅雨に差し掛かろうかという頃。
今日も講義を終えた俺は、大学内のお気に入りスポットであるベンチにて、穏やかな日差しを浴びながらいつもの昼食セットを楽しんでいた。
『びっくらハンマー氏が発見、第十五階層の隠し部屋!! 発見は連鎖するのか!?』
「……はっ、結局手柄取られてやんの。俺の苦労、水の泡じゃないか」
おにぎりを持たない方の手でスマホを弄りながら、最新ニュースについ悪態をついてしまう。
結局あの一件、先週彼らが見つけた十五階層の隠し部屋はあの後、びっくらハンマーが発見したということになってしまっていた。
まったく、あんなにやって手柄を譲ったんじゃ、何のために頑張ったんだか。
それにしても、今回は流石に見損なったよびっくらハンマー。
誠実な探索者だと思ってたのに、あんなにナイスガイみたいな人だったのに、まさかお前も手柄を横取りするようなやつだったとはさ。
愛妻家で子煩悩でも汚いやつは汚いってことだな、ハンマー振り回してるだけのギャンカスめ。
「やあ時田君。久しぶり……かな?」
ま、詳しい事情には興味などなく。
今日までは自主休暇としているので、この後何しようかなと考えながらおにぎりを頬張っていたときだった。背後から、友達などほとんどいない俺の名前を呼ぶ男の声がしたのは。
あまりに急で予想だにしていなかったので、つい一瞬時間を止めかけるほどびくつくも。
何とか堪えて振り向いてみれば、そこにいたのは気のせいか、以前より少しだけ晴れやかな笑顔をみせる黒髪マッシュヘアの篝崎君だった。
「やあ篝崎君。そんなに経ってないでしょ。前に会ったの、先週だし」
「そうだっけ? ……ははっ、なんかそんな気がしないな。きっと忙しかったせいだ」
振り向いた俺へ軽く手を上げながら笑いかけ、そのままベンチまで寄って隣へと座ってくる。
「それでどうしたの? わざわざ声掛けてくるなんてさ」
「知り合いを見かけたら話しかけたくなるものだろう? ……なんかこういう話、前もした気がするな」
「かもね。あ、そういえばニュース見たよ。隠し部屋、惜しかったね。もう少し早かったら、あと一歩で有名人だったかもでさ」
軽く笑う篝崎君を流し目で見ながら、何も知らない体でこの前の件について切り出してみる。
少しくらい話を聞ければなと、会話の種くらいの気持ちで振ってみたのだが。
篝崎君はそれを語るのが目的だったとばかりに、それはもうつらつらと全てを話してくれた。
彼が言うには隠し部屋こそ見つけたものの、とんでもない敵とやらに遭遇して絶体絶命。
けれど誰もが全滅を覚悟した瞬間、何故か寸前まで迫っていたとんでもない敵やらがバラバラに砕け散ってしまい、呆気にとられていた所でびっくらハンマーが保護してくれたとか。
まあそこまでは俺も現地にいたので知ってるが、そこからが少し面白い。
何でもびっくりハンマー同席の下でダンジョン庁へ報告を行った際、彼らとの取り引きにより第一発見者としての権利を放棄することになったのだとか。
第一発見者が権利を放棄すれば、当然お鉢が回ってくるのは第二発見者。
ダンジョン庁にとっても一級が発見者になってくれた方が好都合なのだろう。そうして三方向の合意の下、晴れてびっくらハンマーは第一発見者と正式に決定されたらしい。
……びっくらハンマー、別に悪くなかったな。
……もちろん信じてたよびっくらハンマー。そういう人だよな、びっくらハンマーは。
やっぱり愛妻家で子煩悩なダンジョン配信者は違うわ。よっ、リスナーを楽しませる一流ハンマー使い様!
「ここだけの話、俺達を助けてくれたのはダンジョンの死神だと思ってるよ」
「ダンジョンの死神? あの都市伝説の?」
「ああ。びっくらハンマーさんも俺達と異常を報告してくれた人以外が見ていないらしいし、可能性としてはそうじゃないかなってさ」
篝崎君の言うダンジョンの死神とは、ダンジョン系の掲示板でまことしやかに囁かれる都市伝説だ。
曰く、ダンジョンで絶体絶命の危機に陥ると、突然目の前の敵がバラバラに解体されてしまうことがある。それは救世主の登場ではなく、ダンジョンの死神が通り過ぎたせいに過ぎないのだと。
ダンジョン内にポイ捨てしたら死神が来るぞとか。
ダンジョン内で不純な行為をしたら死神が来るぞとか。
ダンジョン内で誠実にあり続ければ、もしもが起きても死神が助けてくれるぞとか。
そんな感じで無駄に仰々しく盛られてこそいるが、所詮は俺が時間停止で解体したいくつかの件が膨らんだだけの噂に過ぎないのだから現実というのは面白くもない。
確かに周りから見たらとんでも現象だろうが、種を知っている俺からすればあまりにつまらないマジック。まあ何にせよ、そういう方向で解釈してくれているのは個人的には幸運だ。
「それにしても、権利を金で売っちゃうなんてもったいない……これ、聞いてもいい話?」
「……駄目かも。なんでだろうな? 守秘義務があっても、時田君には話しておくべきだと思ったんだ」
ハハハッ、と実に他人事のように笑ってきやがる篝崎君。
なんだそれ。さてはあれか、遠回しに勧誘の口止めも兼ねているのか。恩知らずの策士めがよぉ。
「考えたけどさ、探索者は辞めようかなって。降って湧いた好機一つでこんなに踊らされてるんだから、俺には向いてなかったんだなってさ」
心の中でぐぬぬと拳を握っていると、篝崎君はふと思いも寄らないことを口に出してくる。
……そうか、辞めちゃうのか。
まあ珍しくもない。それまで順風満帆だった探索者が、あるとき命の危機に直面した際に折れてしまう。探索者の引退理由としてはありふれたものだ。
「ダン活はどうするんだ? あそこ、潜らなきゃやっていけないだろ?」
「ああ、サークルも辞めてきたよ。……なんだろうな? あんなにも色々固執していたのに、やり残したことはいくらでもあったのに、それでも今は不思議なほどにスッキリしてるんだ」
篝崎君はベンチに背中を預け、実に晴れ晴れとした表情で空を仰ぎながらそう話してくる。
「取り引きで貰ったお金はさ、俺のローン返済に当ててくれって。それで余ったお金は今度みんなでキャンプでも行ってパァーッと使うつもりなんだ。グランピングってやつ、もうみんなで予定組んでてさ」
「……そりゃいい。いい友達じゃん」
「ああ。……まったく、俺には勿体ない友達だよ。富や名声やダンジョン宝具なんかより、ずっと輝く宝物だ」
空を見ながら楽しげに、屈託なく笑う篝崎君。
まるで憂いが全て吹き飛んだと、そんな風にさえ思えてしまう彼の笑みは、比較的自由に生きている俺をして少し嫉妬してしまいそうになるほど。
……まあ悔いがないなら結構。別に探索者なんかにこだわらずとも、人生なんて楽しいことの方がいっぱいある。篝崎君ならどんな道に進んでも、きっと謳歌出来るだろうさ。
それにしても、ダン活ってやっぱり柵多いんだな。ガチ勢がいるようなサークル……おお怖っ、想像もしたくないね。
「時田君は続けるのかい? 探索者」
「まあね。二級の試験、挑戦だけはしてみるつもりだよ」
「そうか……。すごいな、きみは」
俺がそう答えると、篝崎君は軽く笑みを浮かべてから、伝えるべきことは伝えたとばかりにベンチから立ち上がる。
「じゃあ、俺は講義あるからこれで。また一緒になったら、その時はよろしく頼むよ」
振り返ることなく、片手を軽く上げてから去っていく篝崎君。
そんな機会はなさそうだと、そんな彼の背中をぼんやりと見つめていると、ふとあれの存在を思い出す。
「待って篝崎君。これ、落とし物だよ」
一度時間を止め、リュックから目当ての物を取り出してから解除。
そのまま遠ざかろうとする篝崎君の背に声を掛け、振り向きざまの彼へとダンジョンで拾った落とし物──少々傷の付いた銀のロケットペンダントを投げ渡す。
プライバシーがあるから中身は見ていないが、きっとご一行の誰かが落とした物だろう。
他の連中とは知り合いでも何でもないから、代表して篝崎君にだ。違ったら違ったで、隠し部屋の記念品として受け取ってもらおう。
「……これ、は」
ロケットを受け取った篝崎君は、一瞬それを見つめた後、両の手で抱きしめるように握り締める。
どうやら篝崎君のだったっぽいな。……まったく、大事な物ならなくさないようにしろってんだ。
「……そうか。……ありがとう! そうだ、今度飲みにでも行こうぜ! 奢るからさ!」
満面の笑顔を浮かべた篝崎君は、手を振ってから今度こそ去っていく。
ま、これにて本当に一件落着。
シュークリーム二つで命五つと笑顔一つ。あまりに割に合わない仕事だったけど、所詮は自己満足のお節介なのでオッケーってことで。
さあて、これからなにをしようかな。
ダンジョン自主休暇最終日。映画でも見るか奮発して美味しい物でも食べに行くか……ああ、ダンジョン探索用の物資の買い出しついでに使えそうな新製品を探すのも悪くない。
色々思いつくが、休みなのだから何もかもが自由。
明日から復帰予定のダンジョン探索に備え、今日は後悔のないように英気を養わなければ──。
『今日空いてるか? 話題の対戦ゲーのパチモン買ったから、是非とも対戦したいんだが』
一人に戻ったベンチの上で、色々と午後の予定を思案していたとき、唐突にスマホが僅かに震える。
ソシャゲの通知かと思いながら画面を見てみれば、そこには我らが坂又部長からの誘いが表示されていた。
「……まったく、どうして素直に本物買ってくれないのかな。うちの部長はさ」
相変わらず我が道を行ってる部長に、やれやれと苦笑しつつ。
了承の札を持ったパンダのスタンプを押し、スマホをしまってからゆっくりと腰を上げる。
篝崎君みたいにリア充じゃないし、アイドル級に可愛い彼女なんていないし、時間停止なんてチートがあっても三級でしかないけれど。
癒やしになる推しがいて、遊んでくれる先輩達がいて、毎日がそこそこ楽しいのだからそれでいい。時田とめるの大学生ライフはこうでこそ……ってね?