他人以上、知り合い未満
ダンジョンでの活動範囲を表層から上層へと変えてから、数日が経過した。
別に本格的に二級を狙っているわけではない。
特別強い思いも固い決心もない。それでも、少しだけやってみようと思った。それだけだった。
「ふう……」
現在十一階層。
最悪すぐにでも表層へ逃げ込める階層で、遭遇したダンジョンゴブリンの群れを斬り伏せてから、ようやく人心地ついたと大きく息を吐いてしまう。
休む間もない連続戦闘。途中一回だけ時間停止に頼ったが、それでもここ数日でも断トツの危機を乗り切ったのだから、少しくらい緩んだって仕方ないだろう。
この数日は表層が、人類安全域が如何にぬるま湯だったのかを実感させられるばかりだ。
やはり誰かと一緒に潜るべきか。だけど出会いがなぁ。ないんだよなぁ。現実ってのは残酷でさ。
当然だが、火村さんや葵先輩を誘う選択はない。
互いに利があるからこそパーティは組まれるもの。二級が三級の足並みに合わせる合理的理由はなく、探索者の収入は活動に比例するのだから、むしろ彼らの活動の妨げになってしまう。もちろんこの前みたいにあちらから提案してくれるのであれば、好都合だと遠慮なく乗るけどね。
ダンジョンは命懸けで挑む場所。
利にならないことを無償で受けてくれるお人好しなんていないだろうし、いてはいけない。
有償での依頼なら受けてくれるかもしれないが、相場が高すぎてとても払えるものじゃないから却下。
何より自分の力で頑張らなければ意味がない。現実はレベルアップで強くなるわけじゃないんだから、パワーレベリングで二級になれたとしても、待つのは中層での呆気ない死のみだ。
時間停止をダンジョン内ではなるべく使わないよう心がけているのもそういった理由からだ。
確かに時間停止があれば死の確率は減るが、決して確実ではない。
発動が間に合わなければ負傷はするし、それが致命傷だったら死から逃れることは出来ない。時を戻せるわけではないのだから、能力に頼りすぎて己の鍛練を怠ってしまえば、どうしようもないときはどうしようもないで終わってしまうことだろう。
だから今は感覚を、能力を、経験を命を賭してでも積み上げなくてはならない。
ダンジョンでの経験は成熟しているはずの人をも成長させる。それがダンジョン七不思議の一つにして、二級以上の探索者が、同じ人だというのに中層以降へ進めている理由だ。
時計を見れば、現在二十一時を回った頃。
明日は一限からあるし、そろそろ切り上げようと、落ちた魔動石を拾い上げ終えたときだった。
「……ちっ」
俺という獲物を前に、グルルと唸りをあげる三匹のダンジョンドッグ。
再びの敵の襲来に舌を打ちながら、時間を止めるか数秒迷ってから、駆け出す彼らを前にゆっくりと剣を握り直した。
「……疲れた」
疲労感から剣を杖にしたくなりながらも、流石にそれはと堪えながら帰路に就く。
現在上層から離れ、第六階層と第五階層の中継階段。未だダンジョンの中ながら、人類安全域の名に相応しいほど重苦しさが薄れた区域だ。
いや疲れた。まーじで疲れた。
特に最後の一戦、あれがあまりに重かった。重すぎて終わった後に時間止めての休憩が必要なほどだった。タイムストップアビリティ、エクセレント。
それでも疲労がすごいけど、第五階層まで着けば、ひとまずは気を緩めても問題ないはずだ。
何せ今のあそこは表層らしからぬほど人が多い。
この時間でも、いやだからこそ人はいるだろうし、表層ミニ三体衆も軒並み狩り尽くされているだろう。
のろりのろりと歩き、ようやく辿り着いた第五階層。
隠し部屋付近を中心に、そこには案の定ダンジョンらしからぬ緩んだ賑わいがあった。
調査の終了により、危険なしと判断され、一定の区間を侵入規制が解除された隠し部屋。
流石にあのドラゴンが待機していた最奥までは進めないものの、それでも手続きを踏めば入場を許可されるのだから、たった数日ですっかり観光場所と成り果ててしまっているのが現状だ。
当然だが、興味本位で観に来る人は多く、特にダンジョン配信者からは大人気。
まあ当然だろう。規制が緩和されたとはいえ、そもそも一般人はダンジョン自体に入ることが出来ない。故に個人で適当に撮影した映像でさえ貴重な情報であり、配信者にとっても再生数や知名度に繋がる。双方得のウィンウィンってやつだ。
それにたまにいるんだよな。規則なんて関係ないと撮った全てを公開する野良犬みたいな馬鹿。
多少はお上の思惑があれど、公開してはいけない情報にはそうすべき理由ってのがあるのにさ。
目先のことばかり考えた結果、垢バンからの探索者のイメージダウン。ほんと、こっちまで迷惑するから勘弁願いたいものだよ。
……まあでも、俺も今度覗いてみよっかな。
正面から入るのは手続きが面倒だけど、時間を止めていけばそういうの一切気にせず入れるしね。……うん、我ながら人のことを言えないモラル不足っぷりだ。
「いやーすごかったな隠し部屋! 表層とは思えないくらい立派だった!」
「俺達も見つけてみたいなぁ。ダンジョン大金持ち間違いなしだぜ!?」
「十……いや、十五階層とかどう? どうせ奥行くなら、稼げる方にするべきだし!」
ともかく、今日はもう疲れたので帰ろうと。
隠し部屋から視線を離そうとした、ちょうどそのときだった。
隠し部屋の見学を終えたのだろう、ちょうど部屋から出てきた若い男女の複数人パーティとすれ違ったのは。
……隠し部屋五の倍数説とか久しぶりに聞いたな。
どっかの国のダンジョンの二十三階層で見つかってからパタリと聞かなくなった説だけど、まあ今回の件で再燃してもおかしくはないか。
「……あれ、もしかして君、時田君?」
少しだけ、ほんの少しだけああしてパーティを組めている彼らを羨んでしまいつつも。
進んでいく彼らとは対照的に戻ろうとしたのだが、唐突に名を呼ばれてしまい、つい固まってしまう。
え、なに、どういうこと……? 俺、あんな陽キャ集団に知り合いいないよ……。
呼ばれるはずはないけれど、けれどもあんまりいない名字なので、聞いてしまったからには勘違いとはいかないと。
思わず時間を止めて確認したくなるほどの恐怖に駆られながら、それでもめげずに振り向けば、黒髪マッシュヘアで如何にもモテます感を出している男が笑顔で駆け寄ってきた。
「やっぱそうだ、時田君じゃん! 久しぶり、元気してた?」
「あ、えっと……?」
「あれ、もしかして覚えられてない? 俺俺、同じ学部の篝崎。一年の頃、一回グループで一緒になったじゃん?」
挨拶されてもまったく心当たりがなく、苦笑いで首を傾げるしか出来ず。
そんな俺の態度に少し落ち込みながら、それでも気を取り直してと篝崎と名乗ってくる。
かがり、かがりざき……あ、あーいた。いた気がする、そんな人。
確か一年の頃に一回だけグループ課題のときに一緒になって、めっちゃ頑張ってくれたから楽できたんだっけか。あんまり覚えてないけど、そんな感じだったはず。
「まさかダンジョンで会えるなんてびっくり! 探索者だったんだな!」
「どしたんりん? 早く行こー?」
「ああ、今行くよ。また大学でゆっくり話そうぜ」
パーティメンバーであろう女に呼ばれ、軽く手を挙げてから去っていく。
去り際までイケメンらしく、見るからにチャラい叶先輩と違ってナチュラルにモテますって感じが少しだけ憎らしく思えてしまう。
しかし同じ大学の生徒に探索者バレするとか、何だか面倒なことになりそうだと。
ただでさえ心身共に疲れているというのに、一層の重荷がのし掛ったように感じてしまいながら、再び帰りの歩を進め始めた。