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時間停止系探索者、ダンジョンの都市伝説となるも我関せず  作者: わさび醤油
時間停止系探索者とダンジョンとこれからと
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選別の橋を越えて

 ナイフもランプも、水も食料も持てるだけ鞄に詰め込んで。

 腰には剣を。深層相手では雀の涙かもしれないけれど、全財産を叩いてポーションを数本だけ。

 何もかもを費やして、準備を整えて。

 そうしてようやく東京ダンジョンへと踏み込んだ俺は、ただひたすらに、奥へ向かって進み続ける。


 向かう先は深層、一級探索者達の下へ。

 ドクドクと、心臓は焦りをそのまま出力するみたいに、延々と喧しく鳴り続けているけど。

 それでも、だからこそ走りはせず。けれど浮き足立てずを心得ながら、ゆっくり上層を抜けて中層へ。

 

 ダンジョンの中を進むのは同じでも、上層までを往復する常とはまるで違う。

 体力もそうだが、何より心の疲弊度が別物。

 自身の領分を超えた領域への進入は、例えダンジョン生物に襲われることのない停止時間の中であろうとも、周囲の景色や雰囲気が僅かでも気を緩めることを許してくれない。


 体力一滴の消費が命取り。

 どうにか辿り着けたとして、そこで力尽きていたら意味なんてないんだ。俺は単独(ソロ)なんだから、どうにかやりくりしていかなきゃいけない。


 ……それにしても、今考えることでもないけれど。

 まさかこんな形で、この中層へと踏み入ることになろうとは……二級資格を取ってリベンジだって、心の中では決めていたんだけどな。


「着いた、選別の橋っ……」


 とはいえ、そんなセンチな心を抱いていられるのは、何もない二十八階層まで。

 第二十九階層。中層最後にして東京ダンジョンの異質名所、選別の橋に辿り着けば、余裕なんて一切抜け落ちてしまうというもの。


 一年以上前に一度来て、これは無理だと心折れた姿と何ら変わりない。

 来る者拒まず、進む者拒まず。試されるのは己が素質一つ。

 あるがままの姿一つで、戦闘に強ければいいと豪語した探索者の心の多くをへし折ってきた。まさに戦いなき闘争の場。


 ……怖い。足が竦んで、全身が恐怖を訴えてきて、今すぐに引き返そうと誰かが囁いてくる。

 単なる一本道。マグマの上にあるだけの、真っ直ぐな石の道。

 下を見ずに歩けばいいと分かっているのに、あまりにも強い赤色の存在感が、目を逸らすことを許してくれない。


 先の配信にて一級達は平然と渡っていたが、自分が現地に趣けばこうも違う。

 越える所か、踏み出すことさえ躊躇してしまう。情けなくて、分相応で、当たり前の結果。


『不思議だよなぁ。同僚でも友人でもなく、お前だったんだよ。とめる』

「っ、これで違ったら詐欺だろっ……!!」


 それでも、過ぎってしまった火村さんの顔は、まるで来ないで欲しいと拒否するようで。

 それが無性に腹に立って、諦められるかよと息巻いて、恐怖さえ見ない振りして一歩確かに踏み出す。


 背後から迫る漠然とした何かから逃げるように、なるべく下を見まいと前だけを見つめながら。

 それでも、あの頃から何も変わっていないはずなのにその一歩目は、思ったよりもずっと軽かった。






 四十階層、その入り口。

 一級探索者達が既に通り抜けた人類未開域の入り口に、本来あるはずのない二人の人影があった。

 

「……りゅうさん。彼らの灯火は?」

「ふうむ、ありんす丸殿のこそ多少弱くなってはいるものの、それでも皆健在。比嘉(ひが)殿に至っては更に荒々しく猛っておる。やはり一級探索者という生き物はどいつもこいつも怪物よのぉ」


 りゅうさんと呼ばれた、アタッシュケースのような物の前でどっしりと胡坐を掻く壮年の男性。

 黒いボディースーツのみを身に纏った、黒長髪の男にも女にも見える人──ナナシの淡々とした問いに、一瞥さえすることなくケースの中から目を離さず答える。

 

 アタッシュケースの中に入っているのは、チェーンにて吊された指先ほどの小さなカンテラ。

 数はちょうど六つ。いずれも色の異なる炎が込められており、大小猛り異なっている。

 

 この道具の名は灯火。

 東京ダンジョンより掘り出され、ダンジョン庁によって管理されているダンジョン宝具。

 登録した者の命の強さ、所謂生命力を炎で示してくれる優れ物であり、現在一級探索者の命が尽きていないことを裏付ける、特別二級探索者達にとっての安心材料であった。


「ほいお前ら、戻ったでぇ。いやーあかんなぁ。とりまダッシュしてみたけど、らしい扉は一つも存在せんかったわぁ」


 ぬるりと、散歩から帰宅したみたいな気軽さで、癖を感じる口調で現れる銀髪糸目の男性。

 その男は「すんまへん」とにへらと卑しい笑みを浮かべながらも次の瞬間にはナナシの前から消えて、どっこいせとりゅうの腰を下ろしている。


 この銀髪糸目の人物の通称はワイ。

 ナナシと同じく本名は不明。この場で悩む二人と同じく、ダンジョン庁の手駒たる特別二級探索者。八代(ヤシロ)のように自分の意志で加入が珍しいのであって、特別二級は基本的にこんなのばっかりなのだ。


「遅いっすよ。まさか道草食ってたとか抜かさないっすよね?」

「んなことワイが言うことないやん、あいっかわらずナナシは鬼のように手厳しいなぁ。……ってなんやなんや、マリアもやけどありんす丸のも弱なっとるやん。こりゃ悠長に構えてたらあかんかもなぁ」

「あかんよ! だからこうして焦ってるんすよ! 分かれよこの薄ら馬鹿っ!」


 危機的状況にも限らず、呑気に灯火を見つめる二人。

 そんな二人へナナシが罵声をぶつけながら、気配なく忍び寄っていたダンジョンリザードを邪魔だと一蹴するが彼らはそれに見向きもしない。


「しっかし地上は騒ぎになってるやろ? どうしてか電波通らなくなってもうたし、ワイらも連絡のためには一度出なあかんけど、このまま帰ったら打ち首か監獄待ったなしやろうなぁ。りゅうはんはどこ逃げるつもりなん?」

「そうじゃのう。ワイキキビーチとかいいのぅ。儂、人生で一回は行っておきたかったんじゃよ」

「ほーん、中々ええ趣味してるやん。ワイはそうやな……エジプトのピラミッドとか一回行ってみたかったんや。あっちなら最悪放浪してれば逃げ切れるやろうしな」


 はーあかん、と。

 ワイが他人事のような適当さで大きなため息を吐きながら、まるで喫茶店でコーヒーを嗜んでいるみたいな軽さの中で二人は会話を続けていく。


 酷く身勝手だが、実のところ、彼らに出来ることはそう多くない。

 無策で深層に踏み込んでしまえば、そのときは一級達の二の舞になるのが明白。

 そして今回特別二級より選抜された三人は、八代のように戦闘よりも如何なる形でも生存と撤退に特化した力を持つ者達。下層までならいざ知らず、真っ正面から挑んだ所で早々に息切れしてしまうのは間違いない。


 よって今の最善は周辺の情報収集、並びに彼らの生存確認と地上への連絡。

 どうにも繋がらない電波が復旧するのを待ちながら、灯火にて彼らの生存を確認するしかなかった。


「んで、どうなんすか? 転移(ワープ)の専門家なワイさんは、どう見てる感じっす?」

「あー、あくまで所感やけど、ワイの魔法(それ)とは違うと思うわ。そもそもあの場所から移動しているのかさえ曖昧、そこにいるのにって感じや」


 散っていくダンジョンリザードの骸に見向きもせず、強い語気で問いをぶつけるナナシ。

 ワイはやれやれと両手を上げて首を振りつつも、別段言葉を詰まらせることなく、思っていることを離していく。


 人類(彼ら)が真実を知ることはないが、実はワイの所感は的を得たもの。

 一級探索者達が入った部屋の扉は既に存在せず、けれどどこかへ転移したわけでもない。

 彼らは先ほどまでと同じ場所、同じ座標にいながら別の場所──つまり違う次元を進んでいる。そして不思議なことに、歩数分の移動自体は完了している。言葉にするのなら、そんなややこしい状態。

 

 故に先ほどまで部屋のあった場所まで向かおうと、意味はなく。

 もし合流したいのであれば、彼らが次にこちらの次元へ戻ってくる場所へ向かうしかない。故に現代の科学や発見されているダンジョン宝具を用いた観測は不可能なのだ。


「……良し決めた。こうなりゃうちが単独で奥に進んで、何とか合流して連れ帰る。だからりゅうさんとワイさんはうちの灯火が消えたら、そのとき地上波の報告をお願いっす」

「アホなん? そらナナシもワイらも死んでも構わんクズの中のクズやけど、だからと言って命大切にしないのは違うやろ?」

「他に手がないんすよ! うちらじゃ正面からの攻略は無理! お前ら戦闘特化じゃないし、ワイ事故って死にそうなんだからうちが最適! それしかないじゃん!」


 とはいえ、どんな悩んでいた所で進展はない。

 仮に待機が最適解だったとしても、いつまでもそうしているわけにもいかなく、その待機が正しいのかさえ判断がつかないのが緊急時の現場というもの。

 ナナシが半ばやけくそ混じりに決断しようとした矢先、ワイの冷めた口調にて否定されてしまい、つい地団駄しながら逆ギレしてしまう。


「……ふむ。せめてもう一人、八代(ヤシロ)殿でもいれば進む選択もあったんだがのう。歯痒いのう」

「やめてりゅうさん、この場にいない役立たずの話はやめて。今のうち、もう一回その名前聞いたらワイの首切っちゃいそうだから」

「おー怖っ。かっかするのは勝手やけど、それで飛び火してくるの敵わん……ほんまにとげとげ向けんでや。ほら、ちびりそうになってもうたやんけ」


 ナナシが殺意を乗せながらクナイの穂先を向けた、その瞬間には、ワイの姿はなく。

 いつの間にか立ち上がり、刹那の間にナナシの間合いの外にまで移動しており、呆れ混じりに肩をすくめていた。


「二人とも、ひとまず落ち着きなさい。彼らよりも先に儂らがくたばったら元も子もないんだからのぅ?」

「……とりあえず、今度はうちは軽く潜ってみるっす。一人ならある程度のマッピングくらいは出来る……ん?」


 りゅうの仲裁に、ナナシはひとまずクナイを下げるもこのままでは埒があかないと。

 とりあえず情報収集だと、ひとまず一人深層へ向かおうとした。

 そのときだった。ナナシがクナイの握られていなかった手に、不自然な感触と重みを感じたのは。


「……なん、これ」


 ナナシは一瞬にも満たない硬直を経て、すぐにぎょろりと目を向けると、握られていたのは小包。

 

 ちょうど手のひらで収まるくらいの、白い紙に包まれた少しの重さを感じる何か。

 ほんの少し動揺はするも、決して顔には出すことはなく。

 重さと感触からそれが石だと判断したナナシは、細心の注意を払いながら包みを取っていく。


 包みの紙を取れば、そこから出てきたのは普通の石。

 ダンジョンの中に転がっているものでさえない、自分が握れば砕ける程度の、地上のどこにでも落ちているであろう石が一つだけ。


 けれどナナシは捨てようとするよりも前に、何かあるはずだと注意深く観察しようとしてすぐに気付く。

 確かに、その石ころ自体は何の変哲もない普通の物。

 けれどその石ころに「紙を読んで」と真っ黒なマジックで書かれた文字は、明らかに人為的なものであり、同時にどこか見覚えのある筆跡だと。


「……ハハッ、ハハハッ! なんだあいつ、本物の馬鹿じゃん! あんなに嫌そうだったのに、とことんまで中途半端なガキだなおい!」

「お? どしたどしたん? 元々壊れてるようなもんやけど、ナナシもついに壊れてもうた?」

「さあのう? あのナナシ殿の心の奥底など、深層の魑魅魍魎でさえ推し量れないからのぅ」


 指示のままに紙へ、そこに書いてあるであろう何かへと目を通したナナシは堪えきれないとばかりに、腹の底からこみ上げる笑いを吐き出していく。

 

 好き勝手言ってる二人を気にも留めず。

 その人物の意図も、無謀も、決意も。全てを理解した上だからこそ、笑わずにはいられない。


「ぁあ……言ったからにはやってみせろよ。うちの期待、裏切るんじゃねーっすよ? 死神くん?」


 そうしてナナシはニヤリと笑みを浮かべながら、紙と石をクナイで細切れへと変える。

 この一枚が他の誰の目にも触れないように。

 自分で断っておきながら、心底怖がりながらも踏み込んできた、愚かで無謀な少年の願いに殉じて。


 ナナシのポケットの中に、いつの間にか入っていた石ころ。

 子供の拳ほどの大きさの石ころに巻き付けられていた一枚の紙には、ただ一言だけ書いてあった。

 

 ──一回断ったけど行ってくる。だから、誤魔化すのだけは頼むと。

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