呆気なさ過ぎる終わり
騒がしく、ある意味戦闘中よりも緊張の走った休憩から一夜明け。
休憩と睡眠を済ませた一級パーティは、午前五時くらいには二十九階層より攻略二日目を開始された。
とはいえ、場面が下層に移れど、特筆すべき場面はそうない。
何せ一級探索者は強さと功績故に、単独で下層を歩くことを認められた者達。
そんな彼らが徒党を組んだのだから苦戦はなく、餞別の橋を除けば迷い進むのみといった王道的な構造をしている東京ダンジョンで、目立ったピンチなどあるはずがなかった。
そうして夕刻。二日目は三十九階層を抜けようかという地点で、その日の活動は少し早めに終了。
初日とは違って交代で見張りを立て、静かに警戒を怠らずに食事や仮眠を済ませ、ついに三日目へと突入した。
「……ついにか。深層、どんな所なんだろうな」
珍しく早寝早起きをした俺は、運良く残っていたコーラ缶をそばにごくりと唾を飲む。
ついにこのときがきた。
まだ人類の手が及んでいない未踏の区域、深層の攻略への一歩目。何だかんだで結構見所のあったこの深層攻略配信だが、それでもようやく本番と言っていい歴史的場面。
多くの人は、きっとここからを攻略を、彼らの快進と快挙と楽しみにしていたであろう。
そして同じくらい多くの人が、起きてしまう悲劇を想像して恐怖を不安を抱いていることだろう。
ここがまさしく日本のダンジョン史の分岐点。
成功しようと失敗しようと探索者という職の在り方は、扱われ方は大きく変わることだろう。
探索者の未来がどちらへ傾くかは、画面の中に映っている六人の肩にかかっているのだ。
ちなみに今日は大学はないので、本命とも言える日を誰にも邪魔されずに視聴出来る。
二年の頃であれば駆り出されていただろうが、三年までせっせこ頑張ってきた今、俺には週二日の全休を得られるほどの単位的余裕がある。
……まあ実際はたまたま取った講義の日付が偏っていただけだが、そういうことにしておいた方が人生のモチベに繋がるからそれでいい。少なくとも、巡りが良いのは事実なのだ。
さあ、そんな無駄な思考をしているうちに、いよいよ四十階層へと突入だ。
下層さえ容易く突破出来る猛者達よ。
どうか俺達に、十五年前からブラックボックスだった東京ダンジョンの続きを、日本ダンジョンの新たな夜明けを見せてくれ。
『うわぁ、すごい……! すごい綺麗だね、これ……!』
『こら見事でありんすなぁ。こない煌びやかな景色、北海道の氷でも拝めんでありんす』
そうしてついに彼らが踏み込んだ深層、四十階層。
南雲クリスが手に持つ撮影カメラが捉えた景色は、彼ら一級が息を呑むには十分過ぎるほど別世界であった。
天井はさながら星夜のように広大で、屋根などないかのように底なしの黒と無数の光の点で閉じられている。
また壁も同様に、きらきらと何かの粒が散りばめられており、床は蛍のように淡く発光した石レンガが敷き詰められた道となっている。
これが深層。
基本的に無機質な洞窟であった表層から下層までとは根本から違う、人が進んで良いのかさえ疑ってしまえるほどの空間。
幻想的。ファンタジー。秘境。
かつてこの地へ足を踏み入れた唯一の特級探索者、小野寺たかしが残した言葉どおり、三十九階層までの様相とは何もかもが異なっているのが、映像越しでさえ十二分に理解出来てしまった。
『……お前ら、呆けてんなよ。ここはもう、深層だぞ?』
見入り、呆け、言葉を失い。
それぞれが驚愕を隠せない最中に、真っ先にマリアが己含めた全員を引き締めるよう声を掛け、彼らは四十階層を警戒しながら進み始めた。
通常の探索と未知の階層の攻略で最も異なる点は、その階層の情報量の差だと事前に情報を仕入れている。
当たり前だが、何も知らない階層では全て手探り。
既にマッピングの済んでいる階層の探索に慣れている現代日本の探索者としては、慎重すぎると言っていいほどにゆっくりとした歩みだが、息を呑み、呼吸を忘れてしまいそうなほど見入ってしまう。
……視聴者としては、配信を見守ることしか出来ないのが本当に歯痒いな。
『……思ったよりかはましだな。正直な話、一戦一戦が働きっぱなしの死闘になると思ってたわ』
『マリアさんの盾と魔法が本当に頼もしいからだよ。それでも、まったく気が抜けないけどね』
そうして深層に入ってから、およそ一時間くらいか。
先頭を警戒しながら進むマリアとホムラの、少し抑えた声での会話が聞こえてくる。
四十階層で行われた戦闘は、既に数度。
壁と同じ模様を宿した豹。
二頭四翼のコウモリの群れ。
そして投げられた槍のように空を突き進む浮遊魚など。
いずれも東京ダンジョンでは初めてお目に掛かるダンジョン生物達。
映像では危なげなく対処することが出来ているように見えたが、俺のような三級風情にこのレベルの戦いなんて推し量ることさえ出来ない。やはりマリアとホムラの会話や、あのありんす丸が食より他を優先する姿から、深層のダンジョン生物は一味違うのだと察せられてしまう。
……ぶっちゃけ一視聴者的にはもう、十分満足している。
ひとまずは未知を既知に変えたのだから、とっとと攻略を切り上げて、このまま何事もなく生還してくれることを願うばかり。
ただコメントはその限りではなく、むしろ早く先へ進めと急かすようなものが増え始めている。
あまりに鈍重かつ閑散。会話さえ最低限で一歩一歩確かめるような亀の歩みは、配信的は地味な絵面であることは間違いない。
……恐らくというかほぼ間違いなく、この配信を見ている大多数は一般人。
雑談やコメント欄を見る余裕があるほどの安全マージンを保つ普段の探索配信や海外トップ層のパルクールでもやっているみたいなイカれたアクロバティックに慣れてしまっている層からすれば、不満が出るのは当然なのかもしれない。
大きな動きなく、更に数度の戦闘をこなし、またしばらく。
一応平日の昼間だというのに、視聴者数は減ることなくむしろ増えて開幕の百万を超えようとしていた頃。ずっと同じ場所を歩いているみたいに絵面の変わらなかった攻略配信に、ようやく大きな変化が現れた。
『部屋、か。どうする? 開ければ何かあるだろうが、正直スルーも手だぜ?』
『……わっちもスルーに賛成でありんす。まだ開けてもないのに獣的本能がブルブル震えてるでありんすからなぁ』
姿を見せたのは扉。まるで普通の家の部屋の扉のように、ぽつりと設置された石の扉。
どこか十五階層の隠し部屋を思い出させる作りをしたその石扉を前に、一級一行は立ち止まり、どうするべきか意見を交わしていく。
まずマリアは反対に寄りながらも、周囲の意見に耳を傾けようと問いかける。
だがありんす丸は扇子で自らの口元を隠しながら、けれどはっきりと拒絶を示す。彼女の美しい毛並みの尾と耳が逆立つ様は、獣が本能的に脅威を恐れるかのようだった。
『えー、いいじゃん行こうよ! 大丈夫大丈夫! 何だかんだ順調なんだし、ちょっと見るくらいならこのメンバーなら平気だって!』
比嘉みつきははいはいと、大きく手を挙げて賛成を示す。
深層でも変わらず快活な彼女の態度は楽観的なのか、冷静な思慮の上なのか判断が難しかった。
『うーん、私としてもちょっと警戒しちゃうな。夜叉君はどう思う?』
『…………正直、あまり推奨はしない』
『反対かー。うーん、私は覗くべきだと思うんだけど……あ、クリス君はどう?』
『ホムラ、そいつに訊いても無駄だよ。撮影係としては、そろそろ見せ場欲しいだろうからな。そうだろ?』
『あははっ、ひどいなマリアさん。撮影兼サポート役としては皆様の判断に従うまでです。本当ですよ?』
紫電夜叉は反対、ホムラは賛成。あまり自分を映さないから表情は分からないが、
・いけいけ
・ここまで来て日和るな
・せっかくだし宝見せてくれよ
・え、やめようよ。何かあったら大変だよ
・あんたらならどんな罠でも大丈夫!
・東京ダンジョンって罠ないんだろ? なら躊躇う理由なくない?
慎重、言い換えれば退屈であろうダンジョン攻略に飽いてしまっていた人も多いのか。
コメントも刺激を求めているとばかりに、身勝手なほど簡単に、行けと後押しするようなコメントが七割くらいを占めてしまっている。
今回、休憩中以外はコメント欄を読まないと事前に宣言してくれていて助かった。こんな外野の戯れ言の顔を窺って意見を曲げるなんて、それこそあってはならない事態だからな。
とっととスルーして、四十階層のマッピングだけ済ませて帰ってきてほしい。
この一歩こそ歴史的快挙なのだから、欲張ってもう数歩進んで谷底に転落、今世紀最大の配信事故になってしまうとか絶対に勘弁して欲しいよ。
『じゃあ開けるだけ! 開けるだけで! どう?』
『……まあやるなら構えるだけだが、誰が開けるんだ? うちらぶっちゃけ、戦い専門の脳筋だぜ?』
『あ、そこは俺がやりますよ。こういうときのためのサポート役ですからね。──では、いざっ』
話し合いの末に、ひとまず開けてみるということに結論付いた一級の一同。
そうして南雲クリスが背負っていた拡張鞄から取り出したのは、古びた焦げ茶の工具箱のような箱だった。
『……鍵はなし。開けます、警戒を』
工具箱から聴診器のような物を取り出し、音を聴きながら慎重に全体を確かめた南雲クリスは、合図と共にゆっくりとノブに手を掛けると、扉は独りでに動き始める。
ズズズ、と。
石の扉らしく重い音を立てながら、けれど石にしては軽すぎると思えるほど、普通の扉みたいに簡単に動き、部屋の中を見せたのだ。
『……如何にもって感じの宝箱が鎮座してるだけ小部屋。罠だろ、どう考えても』
『少々お時間をいただきます。これより確認に入りますので』
部屋の外と変わらない、星屑のような微光の散りばめられた壁に囲まれた小さな部屋。
違うとすれば真ん中に置かれている、明らかに周囲から浮いてしまっている、真っ白な石の宝箱か。
盾を構えていたマリアがぽつりと一般的な感想を漏らす傍らで、南雲クリスはすぐに踏み込むことはせず、カメラを誰か──恐らく紫電夜叉かありんす丸のどちらかに預け、鞄から取り出した何かを部屋の中へと放り投げる。
ポン、と急速的に膨れあがって地面に着地したのは、人の形をしたマネキンのようなもの。
……あれは確か、ダンジョン用の携帯風船マネキンってやつか。
ダンジョンの罠を確認する用途で開発されたとかいう代物で、人の体温や肌感まで再現されているって一つ数十万は下らない使い捨ての高級品。そういえばシロナ社も開発に携わっていたっけか。
石橋を叩いて渡るような慎重さで、けれど実に手慣れた職人のように迅速に。
ものの五分程度で確認作業を終わらせた南雲クリスは、最後に自らが普通通りに部屋へと踏み入り、今度は壁や宝箱自体に仕掛けがあるかを確かめながら宝箱の前まで到達し、大丈夫だとハンドサインで合図を送ってみせた。
……攻略済みのダンジョンにしか行かない俺には罠の解除作業なんて縁がないけれど、それでも南雲クリスの手際が一流なのだけは分かった。
不満が上がらないことから、恐らく完璧に確認しきっていると現場でもそう判断されたのだろう。
『おー、綺麗な箱だねぇ。これどうやって開けるの?』
『前に十五階層の隠し部屋で見つかったっていう石の箱に似てるね。多分だけど、どこかにスイッチがあるんじゃないかな?』
そうして中へと踏み入った彼らだが、特別何か起動するようなこともなく。
一同はいとも簡単に室内の中心に置かれた宝箱の前まで辿り着き、どうすべきか考えていた。
『……見つけました。開きます。中に仕掛けがあるかもですので、みなさん警戒を』
南雲クリスの警告に、一級探索者達が一歩下がる。
特別身構えることはなくとも、何が起きても大丈夫というくらい意識を研ぎ澄ました状態を確認した南雲クリスは、鞄から取り出したガスマスクを被ってから、恐る恐る箱へと手を掛けた。
──カチリ。
『っ、馬鹿なっ、みなさん!』
『んだ、扉閉まりやがったぞ……!?』
見せかけの鍵穴の下に付いたスイッチを押し、静かに箱の蓋が開ききった。まさにその瞬間だった。
部屋の静寂を打ち破ったのは妙に小気味好い、扉の鍵を閉めたときのような音。
瞬間、唯一存在していた部屋の入り口は、あたかもシャッターが閉まったみたいに落ち、小部屋は機械でも作動したように揺れ始めてしまう。
『退けッ、試すっ!』
誰よりも早く動いたマリアが入り口に降りたシャッターのような石壁に拳と突き立てるも、拳の芯が直撃した地点にでさえ罅の一つさえ入らず。
七不思議にさえなるほどのダンジョンの基本。
ダンジョンの壁は基本壊れないという、一級探索者でさえ打ち破れない常識に、マリアは反動から血で滲む手を押さえながら、心底忌々しそうに舌を打つ。
振動に合わせて乱れる映像。
ダンジョンにおける地上との回線の良さもまた、未だ解明されることなき七不思議の一つ。
まるで電波の安定しない回線のように、ブれて止まってを繰り返して、次に安定したときにはもう、振動は止まっていた。
なんか、無性に嫌な予感がしてならない。
二歩目を踏み出して、足下を掬われて、最悪の事態になるって嫌な予感が過ぎって仕方ない。
大丈夫だよな? ちょっとしたハプニングで終わるんだよな? あのナナシだってそばにいるはずだし、何だかんだ無事に終われるんだよな……?
『な、何だったんだ……?』
『あ、ああ……申し訳ない! 俺が不手際を、こんなの、どう弁解すれば……!!』
『しゃきっとするでありんす。己を恥じずとも、クリスはんの仕事は完璧でありんした。それより確認でありんすが、映像はまだ繋がってるでありんすか?』
ありんす丸に雑に放られたカメラを受け取ったクリスは、すぐに周囲をカメラで映してくれる。
大きく変化した部屋の中は、もう部屋のなかと呼べるものではなく。
前も後ろも上もない、変わらぬ淡い光を放つ石レンガの床と暗闇のみが無限に広がる、これまでの星屑のような壁と天井と違う、何もない謎の場所へとなってしまっていた。
『そ、そうだマリアさん、手は大丈夫……って、治ってる。流石だね』
『まあこんな程度だったらな。しっかしひでえ初見殺しだなおい。そもそも東京ダンジョンで罠にかかるとか、今の所これが一番の収穫じゃねぇか?』
ホムラの心配をよそに、問題なさそうに手を動かしながら皮肉げに笑うマリア。
確かに配信が途絶えていない以上、東京ダンジョンにも罠が存在したという情報は、これまでの常識を覆す値千金の情報である。
けれど、そんなことより彼らが帰ってこられるかの方がずっと大事。そんな情報が彼らの最期になってしまったとしたら、あまりにやりきれない。
……そしてこんなときでも、もう戦犯だの二級が分を弁えなかったせいだの、心配や不安の陰で手のひらを返したように叩き出すコメント欄は、本当に見るに堪えないものだった。
『はいはい! 立ち止まっていても埒があかないし、とりあえず真っ直ぐに進んでみるべきじゃないかな!』
比嘉みつきの提案により、彼らはゆっくりとだが歩き出す。
当てもなく、考慮すべき何かしらの情報さえないので、ありんす丸の出した氷の棒を適当に倒して方向を決めて。
進めど進めど続く暗闇は、終わりのない洞窟のよう。
先ほどまではいたはずのダンジョン生物さえ出現しない、時折置いている目印がなければ進んでいる実感さえ湧かないほど同じ景色は、着実に探索者と視聴者の両方の心を蝕んでいった。
そうして一級探索者達は、どれくらい歩いていただろうか。
同じような映像しかないせいか、飽きたらしい視聴者の数が減りだしたそのときだった。突然と言っていいほどにぽつりと、それが姿を現わしたのは。
『あれ? あの白いの、もしかしてうさぎさん……? あれ、こっち向いた?』
視力4.0と噂の比嘉みつきが目を凝らし、首を傾げながら、その正体について呟く。
百メートルほど離れた先。カメラだと米粒程度にしか確認できないそれは、まさしく白い毛並みがつやつやとしたうさぎだった。
『……あれは、駄目でありんす。みつきはん、すぐに距離を取って──みつきはんッ!?』
瞬間、総毛立ったありんす丸の警告が言い終わるよりも前。そのたった一瞬だった。
パチンと、空気の弾ける音がした次の瞬間。映像が不自然なほどブれ、白い軌跡が描かれる。
映っていたはずの白い物体が画面から姿を消したと思った瞬間、ズガンと、壁にでも激突したみたいな大きく鈍い音が響き渡った。
一瞬の空白。そして次の瞬間、カメラはすぐに音の方向へと向けられ──その映像を無慈悲に映してしまう。
つい先ほどまでにこやかに声を発していた比嘉みつきが、数十メートル先の地面に力なく横たわっているその様を。
……えっ?
『……っ!?』
『んだこいつ、恐ろしく速いッ──』
つい一瞬前まで比嘉みつきのいた場所で、くしくしと頭を掻く白いうさぎ。
地上のうさぎと大差ないその小ささと愛らしさを兼ね揃えたうさぎに、誰よりも先に紫電夜叉が槍を向けるも、次の瞬間には彼を横切り槍を持つ腕を、そして次のステップで南雲クリスが右足を。
『がはっ……!!』
そうしてカメラが空を舞った瞬間、グシャリといった音と共に、配信は途切れてしまう。
コメント欄は騒然とするも、未だ状況に追いつけておらず。
だが一分もすれば、配信は終了したにもかかわらず、阿鼻叫喚とばかりに喚くばかり。
……嫌な予感が当たっちゃった。どうなるんだ、これ?




