第二話 リアリティの無い日常
黒いアスファルトから発される熱は、真夏灼熱の空気をさらに高揚させていた。堅牢に作られ、厳格で美しい建物はそれをきっぱりと遮っている。
帝都大和の地下、冷えきった立体映像謁見室の中で、政府中枢の高官たちは重厚な声を交わしていた。
「これは...まずいねぇ。」
—―—帝都大和(旧東京)統合政府特務委員会本部地下立体映像謁見室 日時非公開
「前任者の失態であることは疑いようがないが。しかし、戦争が不可避である以上、責を問うだけでは何の解決にもならんよ」
厳かに並ぶ椅子、その中央に座る柏木は静かに聞いていた。彼は拘束されていたが、これは形式にすぎない。すでに彼の未来は決められている。
それを柏木は理解して、それと向き合っていた。
「八島機関。お前たちの存在こそが混乱を招いたのだよ。お前たちの組織は、旧政府の腐った根を受け継ぎながら、統合政府においてもその影響力を維持し続けた。草を刈っただけでは何も変わらなかった。戦争の遂行が困難なのは、お前たちが軍事行動を独断で進めたからだ」
柏木は目を閉じた。
「私に責任を取れというのですか。」
詰まった餅でも吐き出したかのように重々しい一言を発する。
「そうだ。しかし、単なる粛清ではないよ。」
微かな笑みが、謁見室の闇に溶ける。
「我々の出る幕ではないからな。それでは国民審査委員会に変わる。書記官も退室しろ。」
謁見室から無数の足音が、柏木から遠のく。足音が消えて扉が閉まると同時に、謁見室の照明が消えた。柏木は一人だけ部屋に取り残され、そこからしばらくの間、彼一人だけの静寂が流れた。
何分か待たされた後、謁見室の扉が開いた様な感覚が肩に流れ、暗闇の中で何かがうごめいている。無機質に何かが接触する音が流れ、そこからさらに数分の間待たされた後に、声が流れて来る。
「我々は国民審査委員会の代理人である。」
声が謁見室全域に広がっていくのが肌で感じられる。その重く、生気の帯びていない声に、柏木は委縮した。
「八島機関の処遇に関してはこちらで不問とする。諮問委員会では八島機関を解体することとし、事実上の抹消とする。公安と協力関係にあった事を鑑みて、関係性は維持させよう。」
柏木はゆっくりと頷いた。その表情は影に溶け込み、暗がりの中に消えていった。
「承知しました」
「君たちのプロジェクトは我々も認知している。君たちが事件を起こすことも知っていた。我々は君たちを信頼しているから、今後のプロジェクト遂行を応援するよ。」
彼らは、自らを神とでも思っているのだろうか。国民審査委員会の議員と何回か交流を持っていたが、彼らほどこんなにも自らを高位な存在と認識しているような、口調だけでそれがわかるような人間とはあった事がない。
「前任者の事は聞かなくていいのかい?」
「......」
柏木は苛立ちを覚えた。得体の知れない連中が尊敬している師匠ともいえる人間の末を知っていると思うと、拳が震えてしまう。
「彼は、生きているよ。我々の保護下に置かれている。ただ、君とは二度と会うことはないだろう。これ以上もこれ以下も、君には教えられない。彼は君によろしく言っていたよ。まぁ安心することだな。」
柏木は何も思うこともなく、ただただそれを聞いて唖然とするほかなかった。
「......失礼します。」
そう答えるまで、時間がかかったが、一言だけ、絞り出した。
柏木はいつの間にか謁見室から抜け出して、無機質な廊下に面したベンチの上、わずかに揺れる光の粒子を見つめていた。遠くから雨雲が近付いて来ているのが見える。稲妻の音が心地よく感じられる。
右手にはコーヒーの缶、左手にはミルクティー。指先に絡みつく冷えた金属の感触が、どこかリアリティを欠いている。
「将軍さん、元気?」
明るい声が響きわたった。
声の元へ目を寄せていくと、徐々に黒いスーツを纏った結が見えてくる。彼女の丸みを帯びた肉体と、それに密着するスーツ。揺らめく髪が、窓からの光を受けて柔らかく輝いた。
「結......久しぶり。」
彼女は大学時代の友人であり、今は公安に所属している。互いに異なる組織に属しながらも、組織ぐるみで情報交換を行う仲だ。彼女らの内情はよくわからないが。アジアを中心に情報共有、共同作戦を頻繁に行う。多分、管轄が大きいのだろう。たまに会って情報交換をするが、情報の質がやけにいい。
恐らく、向こうでも優秀なんだろうと思う。
「あなたの話、こっちでもちょっと噂になってるよ?」
彼女は悪戯っぽく笑いながら、柏木の隣へ浅く腰を下ろした。
「まぁ、やれるだけやってみるよ。」
「また何かあったら連絡してね・・・」
二人の間に無言が訪れる。季節に合わず冷たい空気が肌に触れた気がする。柏木は何となくこの空気感に和んだが、気まずいからか結はさらりと彼の手からミルクティーを奪い取る。
「今日はなんでこんな場所に?」
「南米の新しい薬物の諮問委員会。戦争犯罪だって呼び出されちゃった。」
「公安は派閥もあって大変そうだな...」
結は笑いながら立ち上がり、踵を返す。
「もう行くね」
意識の知らぬ間にミルクティーの缶が奪われていた。残されたのは、わずかにぬるくなったコーヒー缶と、ベンチに沈み込む柏木の疲弊した躯だけだった。
光の中にゆっくりと消えていく彼女の背中を何も言わずに見送った。
柏木は小さいため息をつきながら、窓枠を見つめて一人、誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「はぁ...帰りたい...」
その短く放たれた声は、廊下へ響くことなく薄闇の中へ溶けていく。体が椅子に沈んでいく。力が抜けて、ただただすべてが溶けていく。最近は鬱気味だ。
『国民審査委員会議長より先日、列島核武装論の発表及びに世界各国の郊外地域への核基地再始動と、核兵器再生産の布告を行いました。特に注視されているのは大陸間弾道ミサイルの配備についてで、各種協議会は否定的なコメントを残しています...』
ラジオからクリアに声が響いている。政府は統合軍の戦力不足を理由に核の再生産と再配備。廃棄される予定だった兵器の回収と再整備を開始した。
各地域の協議会は、互いに核が飛ぶのを恐れての地政学的な理由か、もしくは国民からの賛同をえたいことからの政治的な理由で政府を批判していた。しかし、当の国民にとっては徴兵をされないだけでもましだと思っているようで、反対する声は核兵器の類が配備される地域の一部住民だけで、それ以外は無関心か、どうでもいいと嘲笑しているかだけだった。
「という訳でだな、君は安保理の指示で宇宙軍の技術チームに異動だ。二人の連れを決めろとのことだからよろしく。有休消化しとけ。あと、今度送迎会するからそれまでに人事のやつ決めとけよ。」
「はぁ...」
学生時代に安定した生活を送りたいと、特定技術者保護法の技術者資格の取得をして国から保護と安定収入の確証を得ることに成功したが、まさか戦争になって駆り出されることになるとは思いもしていなかった。
「失礼します。」
彼は無言で頷き、静かに部屋を後にした。扉を閉じるや否や、田辺の声が響く。作業着に手を突っ込んで壁に背をつけて待っていた。
「その顔は...あんまいい知らせじゃないらしいな?」
「ああ...異動命令を下された......二人道ずれを選べって言ってたわ...」
「道連れ!俺を選べよ!あと美雪ちゃんも頼む!」
冗談っぽく、大声で言い放つ。その無神経さが、かえって羨ましくもあった。
「お前は元気そうでいいな。俺は最悪だよ。厄介ごとは俺、続くんだよ。本当、最悪だ...」
先月の衛星破壊の事件から一週間。徹夜続きの業務、原因究明、システム補填......それら全てが彼の心を消耗させている。
チーム全体の雰囲気も悪い。こんな時に二人道ずれを選べだとか、つくづく面倒な方向に進んでいるようで、こんな反吐が出る。が、そんな愚痴をこぼしても仕方ないので、とりあえずトボトボと作業室に戻る。
みんな疲れてるのかぐったりしてる者、机に突っ伏して寝ているもの、愚痴を言いながらモニターと睨めっこしてる者......子供のころかすかにあこがれていた大人らしい風景を眺めているとあの頃は世間知らずだなと淋しい気分になる。
誰かの机からカロリー食品の甘い香りが漂って、唾液が湧いてくる。
「まぁ、とりあえず朝飯だよ。軽くなんか食おうぜ。」
「そうだなぁ~。腹減った。」
売店は今の時間開いていないので、車のキーを手に取って駐車場に向かう。ドアを乱雑に開け閉めし、重い腰を椅子に落とし込む。
「近所でうまいパン屋ができたたらしいけどそこいこうぜ。」
慶一はグットポーズをとり、うつろに前を向いて返事をする。エンジンを吹かし、車を出す。まだ辺りは静かで、車の走行音が孤独に響く。
「窓あえてもええ?」
「いいぞー」
窓を開けると風が車内に冷たい空気を運んでくる。ちょっと肌寒い気もしたがそんなのは無問題。徹夜明けの体は冷たさを感じる気力など微塵もなかった。
「...ん?んー......ん?」
田辺が空を見て二度見三度見して戸惑うように唸る。
「おい......車止めて空見ろ...」
「ん?わかった。」
車を路肩に止めて車から出る。
「あれ......流れ星じゃないな...」
「周回軌道を外れて大気圏突入した衛星の成れの果てだ......」
無数に光り輝く流れ星を二人は眺めていた。ただ美しいと感じ、空を見上げて立ち尽くしていた。
「ちょっとお兄さんたち!建物に避難して!」
「え?」
突如として響いた声に振り向くと、治安維持隊の隊員がこちらへ向かって走って来るのが見える。
「原因不明のジャミングで通信設備が使えないから呼びかけを行っています。現在安保理より非常事態宣言が発令されました。」
市街地に目を向けると治安維持隊の信号フレアが上がって朝の薄暗い街を照らしている。
「......」
空をもう一度見上げる。先ほどまで無数に瞬いていた光は減っていた。しかし、その場に漂う不穏な気配は、消えるどころか、より一層濃密なものとなっていた。
「戒厳が敷かれたのはどこまでですか?」
田辺は車に体を傾けながら聞いた。隊員は黒い用箋挟に止められた書類をめくりながら答えた。
「全世界です。戒厳令は政府の発表があるまで無期限となっています。疎開先の選定なども始まっています。」
「へぇ...」
田辺は小さく頷いた後、再び空をゆっくりと見上げた。それを見た隊員は用箋挟を背中に下げて、アスファルトの先へ目線を向けた。鈴木もその先を気になって見つめると、装甲車が近付いてくるのが分かった。
「中隊は地区本部へ撤収になった。照明弾の回収と未成年者移送を行う。」
「了解。」
車内は乱雑に置かれた書類やアーマープレートの類が置かれている。ただ、後部座席に少女が一人手錠を掛けられているのが見えた。おそらく民間人を収容することを想定してなかったのか、前座席は
「彼女は?」
鈴木は好奇心からか聞いてみることにした。骨が浮き出ているほどやせていて、肌は青白くなっている。それに全身が傷だらけだ。
「あぁ、今朝ジオフロントの繁華街路地裏で発見していったん保護したんですが、何もしゃべらず身元不明なんですよね。本来なら学生地域にいるはずなので...」
「いや、あいつ俺の妹だよ。」
田辺が隊員の話を遮って車内を覗きながら言った。少女と目があい、きつく睨まれたが田辺は引き下がることなく少しにやけて覗き続けた。
「ん?お前妹なんていたか?」
「ああ、言ってなかったな。先日こっちの実家に来る手はずだったんだが連絡が取れなくなってたんだよ。」
二人の会話に隊員は顔を合わせて、少しだけ考えた後に彼女を車から降ろした。
「あなたの妹さんですね?錯乱して殴りかかろうとしてたので何かあれば警察に連絡してください。一応書類に...」
車の書類を引っ張り出し書き分けて探しているが、上官らしき隊員がそれを静止して二人へ言い放った。
「まぁ、いいでしょう。連れて行ってかまいません。気を付けてくださいね。この頃反体制的な活動が広がっています。」
「ええ。お疲れ様です。」
二人は敬礼をして、隊員は車に乗ってジオフロントへ戻っていった。
「お前妹居るとか嘘だろ。なんで助けたんだよ。」
「昔俺ぐれてただろ?お前が助けてくれたから俺も無性にな。」
少女は俯いて黙ったままだ。二人は顔を見合わせてもう一度少女を見る。
「ま、戻るか。」
「ああ。もうそろそろ食堂で朝飯の販売がされる頃だろ。」
少女は相変わらず無言で、二人になされるがまま車に乗り込んだ。
「どっからきた?学校は?」
「......」
「まぁいいや。飯だ、飯。」
車は変なエンジン音を立てながらスピードを上げて進んでいった。二人はそれに妙に呼応してリズムを刻みながら帰路に就いた。
「大臣、例の軍新設の幹部人事が完了しました。」
—―—霞が関官庁街軍事院大臣執務室
窓から差し込む陽光が机の上を撫で、紙の端に淡い影を落としている。
「うむ......」
書類に印を押しながらうなずく。その動作には倦怠感が滲んでいた。彼はこれまで幾千の書類に同じように署名してきたのだ。そして、おそらくは幾万の書類にも、今後同じように署名するのだろう。
連日からの異常事態で、政府上層部はごたついていたが、大臣クラスはそれを見物しているようだ。90
男は報告を終えると、直立のまま微動だにしない。まるで能の面をつけたような無表情であるかのようだ。
「......例の特務機関ですが、大臣へ直接利権の局所集中構造への転換を行う計画書を提出してきました。どうされますか?」
「安保理にもっていくまでもないだろう。私の方で承認する。軍事院の庇護下で計画を推し進めさせよう。」
眼鏡をはずして眉間を強めにつまむ。重厚感と圧迫感のある空気は部屋全体を押しつぶすかのようだ。
「......それでは失礼します。」
短く、その声が耳へ落ちると、男は一礼し、静かに、規律正しく部屋を後にした。扉の閉まる音が、心地よいメロディーのように部屋へ流れた。
「ああ...」
大臣は一人になった部屋で、椅子を回転させて光が差し込む外を見る。遠くを見つめるが、そこは何もなくただただ平穏だった。緑の山々が清い空気の循環を促していた。
大臣は深く椅子にもたれ、窓の外をいつまでも眺める。山を越え、谷を越えたその遠くには、どこまでも続くジオフロントの深く掘られた谷間が無数に、点々と広がっていた。谷間の仮想に広がるビル群。それらの隙間に差し込む夕陽が、空を橙色に染めている。
そう想像している。
もう、あそこへは何年も行っていない。大臣というポストに就いたのにもかかわらず、手に入れたものは何もなかった。
「人は間引かれなきゃいけないのかもしれんな......」
自嘲気味に呟いた声は、誰に届くでもなく消えていった。心の中はどす黒く、それは肉体そのものまでも侵食しているようで、息が苦しくなる。
もうその手は、本来の肌色を失いつつあることを自覚していた。