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大食の侵襲 -異世界からの肉食獣-  作者: 林海
第一章 相馬県立鷹ケ楸高校
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第97話 つぐない


 今はまだ、蒼貂熊(アオクズリ)は死にきってはいない。その口をゆっくりと開け閉めしているけど、身体全体が動かないせいで出来の悪い遊園地の模型みたいになっている。昨日までの僕だったら怖かっただろうけど、今の僕にはもうこれでは恐怖というほどのものにはなっていない。ただただ、深いため息が漏れるだけだ。


 安全が確認できると、改めて鴻巣のことが心配になった。蒼貂熊の身体をさらに回り込むと、宮原が鴻巣の上半身をそっと抱き上げていた。他の連中も鴻巣を取り囲んでいる。


「なぜ?」

 宮原の問いに、鴻巣は目を開けた。その目は澄み切っていて、人間という存在はこんな表情になるのかと僕は思った。今までに見たことのない、究極のさばさば感だ。悟りとか得たら、僕もこんな顔になれるのかもしれない。


「気がついていただろ?

 赤羽を焚き付けたのは俺なんだ。人類のためなら、全員がこの場で死ぬべきだと思ったからだ。だけど、並榎と井野が正しく、俺の判断は間違っていたようだ。生命に対価はないけれど、俺の生命で1年生たちの生命を守ったことでつぐないとさせて欲しい」

 話している間に、鴻巣の口から一筋の血が流れ出し、その血の筋はみるみるうちに太くなっていった。


 今になって、僕は鴻巣を理解していた。

 ……鴻巣。オマエ、僕たちに空元気を見せておいて、実は死に場所を探していたのかよ。赤羽へのつぐないについて、誰も口には出さなかった。だけど、一番気にしていたのはオマエ自身だったんだな。

 それにしても鴻巣、生きるという選択だってあったはずなんだけどな。


「もういい。話さないで」

 北本が横から声を掛ける。だけど、鴻巣は紙のような白い顔色のまま、ゆっくりと首を横に振った。

「時間がない。いいから聞け。

 並榎。あと2頭がやってくる。オマエの生徒玄関で戦うって案はベストだけど、スピードが乗った身体で体当りされたら下駄箱だって吹き飛んじまう。なんとしても蒼貂熊を一旦(いったん)足止めしなきゃだ。それに、並榎の作戦だと、蒼貂熊を非常口方向に直進させず、生徒玄関に引きずり込まなきゃなんないだろ?

 拘束を解かれてから俺、北本の漬けた梅干しを、飲み込めるだけ飲み込んで……、から、走ってきた。蒼貂熊は、生きた人間を、内臓から……、喰らうからな。

 あと10分ぐらいなら、俺はなんとしても死なない。だから生徒玄関と廊下の境で俺を喰わせろ。俺のハラワタを……、喰った蒼貂熊は……、必ず動きが止ま……、……防災センターまで走れなくなるは……。なみ……、……頼んだぞ」

 血にむながらもそう言い終えた鴻巣の目から、すうっと光が消えた。


「……鴻巣?」

 僕の声は、裏返ったような可怪(おか)しな声になっていた。

「意識を失ったみたい。かろうじて脈はあるけど……」

 そう言う宮原の声も、ひび割れ、かすれていた。きっとその声も、宮原の感情を示しているんだろう。

 開けたままの鴻巣の目を、佐野が手を伸ばしてそっと閉じさせてやる。鴻巣はまだ死んではいない。だけど、どんなに長くても20分以内にそのときがくるのをこの場の全員が理解していた。


 宮原が鴻巣の左手を取り、そのまま途方にくれた、そして同時に、いたましいものを見る目になった。

 その宮原の視線を追って、僕は鴻巣の右足がぺちゃんこに潰れているのに気がついた。右肩の位置もおかしい。きっと、鎖骨から右側全部の骨が砕けている。肋骨も折れていないはずはないし、それが潰れた肺に刺さっているのは医学を知らない僕にも想像がついた。これらの怪我、すべてが致命傷じゃないか。


 鴻巣は、生命を投げ出して戦った。そして最後には身体の右側すべてを捨てて、自分の頭だけは守ったのだろう。僕たちに遺言を残すために。その結果として、今も駆け出して行っている1年生たちの生命が救われ、僕たち殿(しんがり)部隊も戦う(すべ)を得た。

 だけど……。

 失ったものはあまりに大きかった。

第98話 修羅の道

に続きます。

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