第86話 フェイント
「かーやと岡部の話だと、蒼貂熊は目が悪くて、でもそれを脳で補完して見ているんでしょ?
なら、フェイントが効き放題ってことじゃん」
……佐野、きみは宮原雅依のこと、「かーや」と呼んでいるのか。でもって、奥の「相手の予測を外す技」と佐野の「フェイント」って、同じものだよね?
たぶん、奥の言葉を補足したんだろうけど、それって、そんなに効くものなのか?
僕の顔が理解を示さないことに、奥はかえって不思議そうな顔になった。それでも丁寧に説明してくれた。
「並榎、カーブが曲がる球だってのは知っているだろ?」
「ああ」
僕はそう答える。なにを意図して聞かれたのはわからないけれど。
「じゃあ、なんでバッターは球が曲がることを知っているのに空振させられるんだ?
また逆の視点から言えばだけど、普通ならありえない曲がる球を、バッターはなんで打てるんだ?」
あ、なるほど、そういうことか。ようやく奥の言いたいことが僕にもわかってきた。
そして、僕の視界の片隅で、北本がせっせと布を切り出して縫い始めたのが見えた。ボールを作り始めたんだ。
「……わかったような気がする。つまり、スポーツでの球のやり取りは、弓道のような求道の結果としての精密さを理想としていない。精密さは当然あって然るべきだけど、相手をその場その場で凌駕できることの方が重要。そうなると、駆け引きの手は多いほどいいってことだな?
まずは技数が多ければ、それだけで単純に打たれる確率が下がる」
「そうだ。ったく並榎、オマエさんは馬鹿正直に動かない的に矢を射るだけだから、そんなこともわからねーんだよ。
な、亜姫?」
亜姫って、佐野のことだよな。名前呼びかよ。このリア充どもが。
で……。
すごく、くやしい。くやしいけど、奥の言うこと自体は正しいよな。反論の余地、どこにもない。弓道の的は、伏せた相手を想定して低い位置にあるけれど、僕はそれを生きた人間と想定しての駆け引きなんか、一度も考えたことがないんだ。
でも、昔の戦場を想定した弓は、そういうことも考えていたんだろうなぁ。
だけど、ここへ来て武道の考え方がスポーツの考え方に実戦で言い負かされるとは思っても見なかった。つい数時間前には同じ奥に、「バリケード越しじゃバットも振り回せないし、硬球を投げたって蒼貂熊には効かん。あまりにできることがなくて辛い」と言われたばかりなのに、な。
「岡部の読みどおりだとしたら、蒼貂熊は精密で高度な予測をしていているんでしょ。でも、その目の構造から速度の異なる複数の投擲物に反応できないんでしょ?
なら、そこに変化球を取り混ぜたら、百発百中じゃんっ!」
うん、嬉しいことを言ってくれるじゃないか、佐野。てか、奥が残ると言ったから、佐野も残るって決めてくれたんだよな。握った拳のガッツポーズが心強いぞ。
そして、もう1つ僕は気がついていた。奥と佐野のメンタリティについて、だ。
相手の弱みにためらいなく付け込めるってのも、スポーツならではのものなのかもしれないって。僕には、「卑怯」なんて言葉がブレーキをかける。例えば、右足を怪我している相手と戦うとしたら、僕はその右足は攻めない。でも、奥や佐野は違う。
でも、共に必死で戦う者同士であったら、僕がその右足を負傷していたとしても、攻められても相手を卑怯とは思わない。特に、蒼貂熊相手に正々堂々とか、武士道みたいのは全然必要ないのに。これは、僕の甘さだ。反省しなきゃだよな。
で、奥と佐野のおかげで、僕たち、殿に残っても生きて帰れる可能性が生まれたかもしれないな。
第87話 ラスト・ブリーフィング
に続きます。




