第73話 鴻巣
「そもそもなんだが、『囲魏救趙』なんだよ」
「どういう意味?」
そんなのあったっけ?
さすがに井野、詳しいな。てか、兵法三十六計を覚えていたら、それだけで戦えるってことなのかな?
「まず、これは敵を一箇所に集中させずにだな……」
「井野っ、黙れっ!」
鴻巣の叫び声が響き渡った。その叫びは重々しいと言っていいほどで、場はいきなりしーんとなった。そして、全員の目が縛り上げられて床に転がる鴻巣の方を向いた。
「俺たちは全員ここで死ぬしかないんだよ。
いや、死ぬべきなんだ」
一転して物静かな鴻巣の声に、静寂はさらに深まった。
……なにを言い出したんだ、鴻巣?
きっと僕以外の全員もおんなじことを考えている。鴻巣、お前は頼りになるリーダーだったじゃないか。
さっきからオマエってば、どうしちまったんだ?
僕たちが黙ってしまった中で、鴻巣の声だけがさらに響いた。
「最初に言っておこう。俺はおかしくなってはいないからな。きわめて冷静だ。その上での判断だ。
みんなも考えてくれ。そもそも可怪しいとは思わないか?
なんで丸腰の高校生の俺たちが、生命を賭けてここで戦っているんだ?
なんでこうなる前に、自衛隊や警察は動かなかったんだ?
そしてもう1つ、蒼貂熊は異世界で、人類と同じくその世界を制している種だと思うか?」
だれもなにも言わない中、鴻巣の声だけが響く。さすがは生徒会長になった男だ。集団を惹きつけながら話すことに慣れている。
「蒼貂熊だって、今までに撃たれて駆除されたことは数え切れないほどあるし、当然その死体は研究対象になっただろう。なのに、岡部が調べているような情報すら、ろくにオープンにされてこなかったのはなぜだ?
そこまで言えば、察しのいいヤツはもう答えを考えついているだろう?」
……そうか、鴻巣。オマエ、僕と同じことを考えていたんだな。
「……ああ、鴻巣。僕はわかっていた。わかっていて、今の行動の選択をしたんだ」
「宮原のためか?」
視界の隅で、北本の顔色が真っ青になったのがわかった。膝を突かなかったのが奇跡みたいな表情だ。もしかして、さっきのあの威勢のいい言い方は、不安の裏返しだったんだろうか?
「違う」
ここで、僕は明らかな嘘をついた。つかずにいられなかった。これが北本に対する優しさでもなんでもないということがわかっていて、それでもだ。
僕は逃げたんだ。だけど、それは……。
……自分に対する言い訳はやめよう。今は、鴻巣と話さなければ。ついた嘘は、つき通せばいい。つき通した嘘は、真実に変わる。
そうだ。僕は宮原雅依のためではなく、ここにいる全員のために戦ったんだ。
「人類が異世界の支配者と戦うにあたって、偵察の役割を果たしている蒼貂熊に手の内を明かせないってのはわかる。だから自衛隊も警察も動かず、こちらが手の内を明かさないために対処できないでいるうちに蒼貂熊は個体数を増やした。そして、こちらの自然環境を知り尽くした上で、人類について深い情報を得るために襲ってきた。軍備とかだけじゃなく、人類という種について情報を得たいからこそ、ヒトの中でも弱い存在の僕たちを襲ってきたんだ。
鴻巣、そのくらいのことは、僕だって推測できている」
僕はそう鴻巣に言い返していた。
第74話 大食の侵襲
に続きます。




