第3話 意地
「並榎、狙いは鼻先?」
「それがいいだろうな」
宮原の質問に僕は短く答える。
長い髪をポニーテールにし、背筋のすっと伸びた半袖の制服姿の宮原は、弓道着でなくても凛と美しい。小柄で華奢なのに、弓を引いて狙いを付ける会の姿勢は安定していて大きく見える。これ、陰で相当の努力をしているってことだ。
そんな宮原を、僕はいつも密かに見惚れてきた。でも、その姿もおそらくは見納め。僕たちは間違いなく蒼貂熊に殺される。でも、宮原が僕より先に死ぬことはない。宮原を襲う蒼貂熊の前に、僕が立ち塞がるからだ。
僕たちの腕では、素早く動く蒼貂熊の目を狙うのは無理だ。いくら瞼のない目であっても、命中させられるとは思えない。
まずは、その身体に矢を当てることを考えなければ、だ。そして、欲を言うなら少しでも柔らかいところに。鼻先なら一番近い的ということになるし、呼吸はしているんだろうから、鼻の中は空洞のはずだ。だから、こんな矢でも深いところまで刺さるかもしれない。
僕たちのアドバンテージとしては、たぶん蒼貂熊、猟銃は知っていても弓矢は知らないはずだ。だから、そこにつけ込めたらなんとかなるかもしれない。
間藤と中島が吹き矢を口から外して、大きく深呼吸をした。緊張で息苦しいのだろう。
蒼白となった間藤の顔には、彼女のトレードマークである鼻の上のそばかすが浮きあがって見えている。中島も蒼白で、丸い鼻の頭に冷や汗を浮かべている。
長尾が居合刀を抜いた。その長尾の顔に自虐の笑みが浮かんだのを、僕は見逃さなかった。
こんな武器とも言えぬ武器、それに命を預けなきゃいけない不運。僕だって笑うしかないところだ。宮原がいなかったら、声を上げて笑っていたに違いない。
「まだ間に合う?」
そう言いながら教室から顔を出したのは、家庭科部の北本珠花だ。
「なに?」
切羽詰まった表情で間藤が聞く。
「家庭科室から持ってきたものなんだけど……。今、シーズンだからさ、梅干し干していたんだよね。梅肉を鏃や吹き矢の釘に塗ったら、少しは痛みを与えられないかな?」
「すぐちょうだい」
「はいっ」
間藤と中島は矢を吸い出して、梅干しの果肉を釘の部分にこすりつけ、ふたたび装填する。並べてあった矢のストックは、梅干しに針山状態で突き刺した。その手の動きに迷いはない。
僕の矢のクロムの鏃にも、北本が梅肉を塗ってくれた。
「痛みを与えるだけで、怒り狂ってもっと酷いことになるかも……」
そうつぶやくように言ったのは、次に顔を出した生物部の岡部だ。
「そんなこと言う間があったら、なんか蒼貂熊の弱点でも探しなさいよ。アンタ、生物、得意なんでしょ?
どうせ私たちは喰われて死ぬ。ならば、せめて痛みだけでも一矢報いたい。たとえそれが梅干しが傷口に滲みる程度のものであってもね」
そう早口で言った間藤は、再びアルミ管を咥える。
間藤の言うとおりだ。
人間に生まれてきたという意地からの「せめて蒼貂熊に一矢報いたい」、その思いだけが僕たちの原動力だ。圧倒的な力を持つ敵との差を、薄紙一枚程度であっても縮めれば、縮め続ければ、それは人間としての意地を示したことになる。
恐怖にしゃがみこんで、ただ無為に喰われる。そして、糞どころか反吐になる。これだけは絶対に嫌なんだ。だから、どんな微かな可能性でも縋ろうじゃないか。
第4話 蒼貂熊の侵入
に続きます。