第10話 保険
この家に、部屋は余っていた。
悠は息子でありながら、両親とともに生活してはいなかったからだ。なので、一室を割り当てられた星波は、さっそく悠の武勇談を聞くことにした。でないと、次に悠を掴まえられるのがいつになるか、想像もつかなかったからだ。
「……その前に」
と美岬が言い、スマホを星波に手渡した。
「使い方はおいおい覚えればいいから。で、これを持っていてくれれば、不慮の事態が起きたときも助けに行けるから」
「不慮の事態って?」
「誘拐されたときとか」
そう言われて、星波は一瞬混乱した。
ダーカスでは誘拐なんて話、一度も聞いたことがなかったからだ。
父が昔話してくれたことがあったが、今は知事をやっているケナンが、人質にされていたバーリキさんの妻子を救い出したことがあるって言っていたものの、それもサフラという別の国での話だったのだ。
「こちらの世界は、そんなに危ないのでしょうか?」
「いいえ、そこまで危なくはないと思う。
だけど、コストとベネフィットが釣り合うなら、1,000分の1でも10,000分の1の危険でも、保険をかけて対応しておくのが私たちのやり方ってだけ。
あ、ダメだ。引退したのに、私たちって言ったら怒られちゃう」
そういうものなのか、と星波は思う。
ただ、言われてみれば、父ものんきなようでいて結構な心配性でもあった。もしかしたら、こちらの世界では、こういう考え方をするものものなのかもしれない。
「ありがとうございます」
ひとまず礼を言って、星波はそのスマホを受け取った。
スマホ自体は、大昔の機種だが父が持っていたから知っていた。小さなソーラーパネルで充電し、もっぱら電卓代わりにしていたのだ。
だが、電卓以外の機能となると、星波にはまったくわからない。外部とつながるツールだとは知っていたが、その外部の環境がダーカスにはなかったのだ。予想はしていたが、学ばねばならなことはまだまだたくさんありそうだった。
荷物を、と言っても、手荷物程度しかないものを部屋に置き、星波は再び客間に戻った。そして、双海悠、というより並榎悠からの話を聞いた。
だが、星波は最初からつまづいていた。
悠は、弓と矢で蒼貂熊と戦ったのだと言う。
だが、ダーカスには弓矢がない。
前の文明の黎明期にはあったのかもしれないが、魔法技術が円熟を迎え、そのゆえにこそ一気に滅びた経緯がある。そんな中で、完全に不要な道具となってしまったからだ。
弓矢より魔法の方が確実に獲物を仕留められるし、魔素流によって滅びたあとにはそもそも獲物になるように動物がいなかった。戦争についても、同じことが言えた。魔法の方が確実に戦果を上げられたし、矢も防げないような未熟な防御魔法もない。
となると、弓矢、それも和弓のことなど、どう話されてもぴんとこない。
結局、Y0utubeの動画を見せられて、こういうものかと思っても、その理解が正しいという保証はなかった。魔素石翻訳でイメージは伝わってはくるものの、星波の中にそれを判断する基準がなさすぎたのだ。
だが、それでも……。
蒼貂熊の脅威以上に、生きようとする悠たちの試行錯誤と決断は、星波に時間が経つのを忘れさせた。そして、鴻巣という悠の友人の考えは、星波にも重い問いかけとなった。
星波の母、ルイーザも同じように自分を犠牲にしてでも世界を救おうとしたのだ。
結果として、鴻巣の判断は誤っていたかもしれない。
だが、星波も悠と同じく、それを責める気も笑う気にもならなかった。
そうこうしている間に、あっという間に日は傾いていた。
第11話 失神
に続きます。