第6話 打ち明け話3
ため息の中から美岬が聞く。
「……私のはもう流す走り方だけど、悠の走り方は違うでしょ?」
「うん。僕は、父さんのを真似て走っている」
そうなのだ。
美岬は単に走っているだけだが、悠の父、真は走りながら脳をも酷使している。片耳のイヤホンで、インテリジェンスとインフォーメーション、両方を脳に叩き込んでいるのだ。
最初、深く考えないまま、ただただ時間を無駄にしない合理的なやり方だと思って悠は真似たのだ。日本史歴史年表を朗読ソフトで読み上げさせたのを聞きながら走った悠は、車道に飛び出しそうになるわ、階段で足がもつれて転びそうになるわ、散々な目にあうことになった。
そして、それを知った美岬は悠に、「最初は短いセンテンスを復唱して叫ぶことから始めるのよ」とアドバイスしたのだ。
「……私は引退しているから、なにかのときに真の足を引っ張らないために走っているだけだからね。だけど、真は現役だから、戦闘に耐えうる能力を維持するために走っている。『戦い=走ること』だからね。走りながら正しい判断できないと……、死ぬんだ」
「……父さん、マジでそういう仕事しているんだ。全然知らなかった。単身赴任の多い、ノンキャリアの公務員だと思ってた」
「……あんな優秀なのが、そんなわけないじゃない……」
星波は思った。この母親は、今日だけで一生分のため息をついたんじゃないだろうか、と。言葉の前後に、もれなくため息がついている。
星波は、この母子の会話を聞いて、ダーカスの武官、トプを思い出していた。トプも毎朝走っていた。若い頃、『始元の大魔導師』である父と共に猛獣を金の棍棒で殴り殺し、油相撲でエディの英雄を倒したのはもう20年近く前だという。
それからトプがどれだけ戦いの場にいたのか、星波は知らない。
ダーカスの王様と星波の父によって各国はすべて平和条約が結ばれ、その維持のために王様会議で王様同士も頻繁に顔を合わせ、個人的つながりを深めている。だから、そもそも戦いの機会がないし、部下も育っているからトプは戦ってはいないはずなのだ。
だけど、トプは今も「それ」に備えている。そして、息子があとを継ぎたいと言い出したら、きっと嬉しさより心配が勝るだろう。きっと、美岬のため息も、これと同じことなのだ。
「あんな優秀って、だから母さんが目をつけて、父さんをスカウトしたの?
巻き込んだって言っていたけど……」
悠の問いに、美岬の表情が変わった。まるで、ティーンの乙女のような夢見る顔である。
「違うよ。
真は、命懸けで人に優しくできる人なんだよ」
「……」
母親ののろけに、悠の顔はそれこそ、「どんな顔をしていいかわからない」顔になっていた。星波もそうは違わない。
人を殺すことすら厭わない非情の仕事をしているはずなのに、美岬の言葉はあまりに異質だった。
「悠のおばあちゃんはね、真を殺す作戦まで立案していたんだよ。私がどういう人間か、真にバレちゃったときにね。だけど、それを真は優しさだけで乗り切って、おばあちゃんを論破して後退させてくれたんだよ」
原因と対策の落差に、悠も星波ももうなにも言えなかった。
自分にとっては甘いだけの祖母が、組織の一員として人を殺す計画を立てていたということが、悠にはあまりに現実離れして聞こえていた。そして、美岬の言う「優しさ」が、優柔不断に通じるようないい加減な優しさのことではないとも感じていた。
きっとそれは、「仁」というべきようなものだったに違いない。
第7話 打ち明け4
に続きます。