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大食の侵襲 -異世界からの肉食獣-  作者: 林海
第二章 人外のふたり

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第1話 内山 瑠奈(るいな)


 瑠奈(るいな)が山に入ったのはたまたまだった。

 車を運転していて、目的地までの間に峠越えの近道があった。

 山道だから曲がりくねってはいるだろうけど、夕方で車の多い平地の道よりこちらの方が走れるかもしれない。信号もないだろうし。

 夕暮れで日が沈んでいくのを見て、瑠奈はそうと自覚せずとも焦っていたのかもしれない。

 そして、その峠近くまで登った道の真ん中で、薄暮の中、子鹿がうずくまっているのを見つけたのだ。


 いわゆる野生動物に対して、瑠奈は限りなくドライだ。ハンターに撃たれることもあるだろうし、道路に出てきて車に轢かれることもあるだろう。可哀想ではあるが、特に大騒ぎするほどのことではない。

 万物の霊長などとイキがっている人間様だって、死からは逃れられないのだ。自然の中で野生動物が、無惨といっていい死に方で死ぬのは当前のことだ。人の目に触れようと触れまいと、想像を絶するせめぎ合いが常に起きているのだから。

 あまりに数多くの死を見てきた瑠奈は、もうそんなことに感傷を覚えたりはしない。

 その子鹿が死ぬとしても、瑠奈としては仕方ないとしか思わない。


 だが、それでも今回、車を停めてよく見てみようと思ったのには理由がある。自分の車で轢くのはさすがに嫌だったし、その子鹿の背中がべったりと血まみれだったのだ。


 どうも様子がおかしい。

 これだけの出血となれば即死だ。うずくまってはいるが、頭を上げてきょときょとと周りを見てなどいられない。

 ということは、母鹿が身代わりとなって、この子鹿を逃がしたのかもしれない。この血は母親のものと考えれば一通りの筋は通る。でもそうなると、それはそれであまりに可怪(おか)しい。


 交通事故なら、まっさきにここから離れてなければ可怪しいのだ。

 別のところで熊かなにかに襲われたのだとしたら、必死で逃げてきた子鹿が見晴らしのいい道路の上で座り込んでいるということになる。血の匂いも濃い状態で、だ。

 母鹿を襲った熊かなにかが、そのままあとを付けてきているかもしれないのに、これでは見つけてくれと言っているようなものだ。いくら子鹿でも、もう少し知恵は回るはずなのに。


 子鹿は怯えた目で瑠奈を見る。

 瑠奈は手を伸ばしたりはしない。自分がなにをしても、子鹿がより怯えるだけなのはわかりきっていたからだ。そして、瑠奈はひと目で見切っている。そう、何度も見た。この子の命もそう長くはない。……また、なにもできない。

 瑠奈は短い時間を悩み……、いきなり風上に向かって10m近くも跳躍していた。

 その瑠奈がいた空間を、巨大な爪が(えぐ)った。


 子鹿は声もあげず、その場で頭を地面に付けている。もう、生きようとする意思など、完全に失っているようだった。あまりに巨大な肉食獣に囲まれたのだから、当然のことかもしれなかった。

 瑠奈はようやく状況を理解した。

 この子鹿は、動けないように足を折られ、母鹿とは限らないがなにかの動物の血を掛けられて放置された。つまり、生き餌なのだ。この子鹿を餌に、一回り大きな獲物を掴まえようとする罠なのだ。

 今回は8kgを餌に、150cmそこそこ39kgの肉を手に入れたことになる。


 振り返れば、目を凝らすまでもなく、近頃ニュースで取り上げられることが多い蒼貂熊の姿が見えた。瑠奈としても、初めての目撃である。

 こうして実際に見ると、色調に違和感がある。

 蒼貂熊と言うだけあって、その毛並みはどこか青黒い。緑を基調とするこの国の自然のバックグラウンドと合っていない。そして。風下にいるのに激しい動きで空気が乱され、悪甘いニオイが鼻腔に届く。


 瑠奈は迷った。

 戦ったとしても、自分が負けるとは思わない。だけど、ここは公道だ。後続車が来たら戦っているところを見られてしまう。なら、助けを呼び、時間を稼ぐのが正しいだろう。もっとも、蒼貂熊がそれを許してくれれば、の話だ。


 巨大な蛇のような腕を折りたたみ、のそのそと蒼貂熊が路上に上がってきた。

 そのスピードは思ったほど速くはない。だけど、先ほどの瑠奈が跳躍した、その10mに最短距離で入りこまれた。つまり、車に乗って走り去るという選択肢は潰されたということだ。瑠奈が思っていたより、蒼貂熊は賢い。

 そして、今のこののそのそした感じも明らかに偽装だ。先ほど空を薙ぎ払った爪のスピードを、瑠奈は肌で理解している。

 どうやら、蒼貂熊は時間稼ぎを許してはくれないようだ。

 瑠奈はスマホをブラウスの胸ポケットにしまい、正面から蒼貂熊と向き合った。

第2話 蒼貂熊 vs ジェヴォーダンの獣

に続きます。

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