第138話 閑話休題 雅依と珠花1ー1
「雅依、来てくれてありがとうね」
「行かないわけないじゃん。珠花が話したいことはわかっていたしね」
床の上を慣れない匍匐前進で進みながら、2人は小声で話す。
前には同じく匍匐前進している赤羽がいる。
普段の身体の動かし方とは全然違って、これはこれでかなり辛い運動だ。いつもは鼻歌交じりで歩き、気がついたら着いている家庭科室が果てしなく遠い。そして、今も蒼貂熊が現れる恐怖に押しつぶされそうになっている。
息は荒くなりがちで、それは前を進んでいる赤羽でも変わりはない。サッカー部で毎日走っているはずなのに、それでも辛いのだろう。でも、そのおかげで2人のひそひそ話は聞こえないだろうし、聞こえてもなにを言っているかまでは聞き取れないはずだ。
「また、だよね?」
「うん、まただ」
北本珠花の問いに、宮原雅依はそう応じる。
2人の関係を表す良い言葉がある。そう、「腐れ縁」というやつだ。
中学で3年間、2人は同じクラスだった。そして、片や体育系部活、片や文化系部活と志向も性癖も異なり、容姿のタイプすら狐系とたぬき系で異なる。なのに、それなりに気があって仲が良いし、そのせいか好きになる相手はいつも同じだった。
そこに気がついて以来、2人の間には微妙な緊張感と同志感が同時にただよっている。これを「腐れ縁」と言わず、なんと言おう?
そして、再び2人は並榎という男子を思っている。そして、どうやら並榎は雅依の方により惹かれているようだ。
だが、だからといって珠花に敗北感はないし、それどころか焦りすらもない。だって、いつものことなのだから。要は、事態を決定化させないこと。それだけでいい。
みるからに美人タイプの雅依に惹かれる男子は多い。だけど、惹かれ続けるかは話が違うと珠花は思っている。それが決して間違っていない証拠に、2人とも今は恋人がいない。
その理由も、もちろんわかっている。
雅依も珠花もさばさばし過ぎていて、付き合った男子の期待を裏切るほどの負けん気の強さがある。
2人ともしおらしさを演じようと思ったことはないし、いちいち男子に面倒見てもらおうとも思っていない。そのせいか、たとえ付き合っている男子が相手であっても特段立てようとは思ってはいない。言うまでもなく貶す気も毛頭ないのだが、結局のところ、男子からしたらコレジャナイ感があるのだろう。
並榎はそういう男子のプライドにこだわる風は見せていないし、黙々と目標に向かって努力できるいい奴だ。でも、それが仮の姿で、その実は裏切られるという可能性もなくはない。だから、雅依が上手くいくかは見ものだし、並榎の本性が見えてから勝負に名乗りをあげてもいい。
珠花はそう思っていたのだ。
だけど、事態は急変した。
今、どうにかしないと、すべてを自分の生命ごと失う。こうなると、悠長なことは言っていられない。1時間後に死ぬなら、嘘でもいいから「好き」の一言くらいは言って欲しい。これには、「この自分がそんなことを考えるなんて」と、珠花本人が一番驚いたのだ。
だが、そこで思いが暴走しないのが珠花である。もちろん、その点については雅依のことも信用していた。眼の前に赤羽という良くない例があって、それを見る目つきから雅依が同じことを考えているのは明白だったからだ。
話は色恋沙汰であっても、実はそうではない。今の状況が、そんな甘さを許すわけがないではないか。
つまり、こういうことだ。
この土壇場で並榎が雅依と相思相愛の関係になり、その直後に雅依が死んだらどうなるだろう?
並榎が、それを一生引きずることになるのは間違いない。
まともに愛を語る間もなく、未来を共に夢見ることなく、キスすらしなかった雅依に一生を捧げてしまうかもしれないのだ。そのときになって珠花がどう言い寄ろうとも、無駄なあがきになりかねない。
好きな相手だからこそ、その人を束縛してはならない。それは雅依と珠花の共通認識だった。
第139話 雅依と珠花1ー2
に続きます。




