第117話 走り出す
僕は、焦る篭原先生の前に立ちふさがった。
「僕たちが蒼貂熊を引き付けてからでないと、先生が弓道場の倉庫に走るのは自殺行為です。
宮原、メールを送り続けてくれ。絶対繋がるから。だけど、明朝ではなく、これからすぐだと。走って10分とは掛からないけど、今から15分後、8時すぎには着くと。蒼貂熊に追われている前提で迎えてくれと」
「わかった」
宮原の返事を聞きながら、僕はみんなを見回した。
「みんな、槍は持ったか?」
「応っ」
「僕たちは走る。円陣を組んでひと塊に、だ。常に後ろを含む周囲を確認するようにしよう。
後ろは、ふだんから走り慣れている佐野と奥、それから吹上で。
先頭は一番走り慣れていない北本。ペースメーカー、してくれ。他の者が付いてこれるかの心配は不要だ。
その両脇は僕と宮原で固める。宮原は、蒼貂熊に矢を射掛けてくれ。
真ん中は坂本。戦いの司令塔として、武道家の勘に期待する。それから、坂本は槍を持てるだけ持って運んでくれ」
「応っ」
期せずして、みんなの声が揃った。
「作戦は変わらない。蒼貂熊が見えても走り続け、槍が届く範囲まで追いつかれたら、吹上が投げる。坂本も投げられたら頼む。刃が通るかとか、余計なことは考えるな。奥と佐野は、赤紫蘇ボールを頼む。こちらは期待しちゃうな」
「応っ」
奥と佐野、親指を立てる。息があってるな、この2人。
「篭原先生は、僕たちが駆け出して3分待ったら武藤先生のところへ行ってください。時計を見て3分を計って欲しいです。でないと焦りのあまり、20秒ぐらいで走り出してしまうかもしれない。真っ先に血祭りにあげられるのは先生も嫌でしょう?」
事態の進むスピードに篭原先生は呑まれてしまっていたけど、それでも頷いてくれた。
「最後に言っておく。そこが土壇場だろうが時間がなかろうが、たどり着きさえすれば、岡部、行田、細野がなんとかしてくれる」
「応っ」
最後は坂本ずまとめた。その声にもみんなで応える。
そこで……。
「並榎、これ」
宮原が僕に渡してきたもの。
それは、僕の弓だった。宮原も上原の弓を持っている。
「ありがとう。回収してくれていたんだね。本当にありがとう」
僕は思わず自分の弓を抱きしめた。これで僕は無力ではない。
さっき、僕が僕自身の役割を言わずに飛ばしてしまったのは、自分にできることが見つからなかったからだ。蒼貂熊の餌になるって役割ならあるかもしれないけど、それは口にするべきことじゃないからね。
弓を握ると、再び僕の腹の底にエネルギーが湧いてくるような気がした。さらに、矢と、アルトリコーダーの吹口も受け取る。折れた肋骨は痛むけど、篭原先生にきちんと処置してもらったせいか、ぐるぐる巻きの包帯には安心感がある。
事態が片付いたら、高熱出して寝込んじゃうって気がするけど、それでもあと20分くらいもってくれればいいんだ。
うん、僕たちはまだ戦える。そしてこれが最後の戦いになる。僕たちはそれに勝って生きて帰るんだ。
「さぁ、行くぞ!
出陣!」
そう言ってから、僕は時代劇みたいな言い方に少し照れた。だけどその僕の声に宮原の声が重なった。
「メール、送れたみたい!
メーラー・デーモンも返らない」
「幸先がいいぞ。勝運が向こうから来てくれた。よしっ、行こう」
僕はそう声を上げ、保健室の廊下側ではなく、来客玄関の階段側の開き戸を開けて外に出た。
第118話 夜に走る
に続きます。




