第107話 トイレのドア、Good Job!
泣き出してしまった宮原のあとを引き取って、篭原先生が話してくれた。
「保健室から見ていて、生徒たちが駆け出していくのが見えた。なんの連絡もなかったけど、私も一緒に逃げだそうかと思っていたところで、生徒玄関から坂本くんの叫び声が聞こえた」
うっ、それは申し訳なかった。危険を冒して痛み止めを矢に結びつけてくれていたのに、不義理にもほどがあった。
僕たちは僕たちで必死だった。だけどこれは言い訳にならない。
僕の、いやきっと僕たちの忸怩たる思いなど気が付かない体で、篭原先生は話を続ける。
「叫び声と言うより、勝利の雄叫びね。だから、私も様子を見に保健室から出てみた。そうしたら、鴻巣くんが……。
その一方で生き延びた子たちが並榎くんをどう助けるかで揉めていたから、窓の表の鉄格子を外しなさいと。男子生徒3人がかりで揺すりながら引っ張ったらさすがに外れたんで、すぐに奥くんと吹上くんが並榎くんを担ぎ出した」
……頑丈すぎだろ、鉄格子。いくらJKの入る女子トイレで、変質者対策が必要だからって。
「その間に私は女子たちと一緒に、鴻巣くんを階段下の倉庫に運んだ。鉄扉だし、鍵は掛けておいたから、もう蒼貂熊に喰われることはないよ」
「先生、ありがとうございます」
僕はそう返事をする。
お礼には3つの意味があった。鴻巣を安置してくれたこと。鴻巣について「死」という言葉を使わなかったこと。そして、僕を救ってくれたこと。
保健の先生なんて、普段からまったくお付き合いがなかった。
だけど、大人ってのはすごいんだと初めて僕は思った。今まではむしろ馬鹿にしていたところもあったんだけどね。生きているかどうかもわからないけれど、担任の先生も、もしかしたら僕たちに普段見せているのとは違う顔があったのかもしれない。
みんな静かになってしまったところで、坂本が雰囲気を変えるためか、少し戯けて言う。
「蒼貂熊の背中から見下ろしたとき、並榎はもう完全に死んでいると思ったぜ」
「このヤロー、勝手に殺すな」
そうは言ったけど、坂本の感想は至極真っ当なものだっただろうと思う。
あのときの心地よさを思い出すと、実際に僕は死にかけていたとしか思えない。冷たさも痛みも、感じることすらできなくなっていたんだから。
その状態で血色が良いなんてことはありえないから、真っ青な顔色で水たまりの床に倒れてぴくりとも動かなかったら、それはもう僕が判断しても死体だ。
「手に持ったホースはそれでも上を向いていて、放水こそ蒼貂熊に中っていたけれど……。いくら蒼貂熊の下半身は挟まれていて腰の引けた手打ちとはいえ、並榎は腕の爪で叩かれ続けていたし。でもそのおかげで蒼貂熊の腕は俺の方には伸びてこなかったんだ。よく耐えたよな、あのドア」
僕じゃなくて、ドアがすごいってか?
まぁ、実際、あれがなかったら僕は死んでいただろうとは思うけれど。てか、そんなに頑丈だったのか、アレ。
「トレスパ製だからね。この学校も昔は荒れていた時代があったのよ。ある程度以上古い校内備品は、壊そうったって壊れないわ。近くの井瀬市のオートレース場なんか、外した客が蹴りまくるんで、みんなこれに変わっているのよ」
篭原先生がそう言ったけど、トレスパがなんなのかは僕にはわからなかった。くそ、きっと化学部の細野がいたら説明してくれたに違いない。
まあ、いい。トイレのドア、Good Job!
おかげで生きて帰れたぞ。
第108話 日没
に続きます。




