第101話 死ぬ前提はなしだ
そうか、僕は蒼貂熊の爪の一撃を受けたんだ。即死していてもおかしくなかったけど、折れた肋骨を押さえるために、胸部をベルトでぐるぐる巻きにしておいたのが僕の命を救った。革の鎧みたいなもんだったんだ。それでも蒼貂熊の爪は僕を無傷には済ませず、かなり深い傷を負わせたってことだ。
僕は制服の上着を脱ぎ、その背中に開いた穴と血痕の大きさを見ただけで気が遠くなった。だけど、その上着を背中に回し、両袖を脇の下から通して胸の前できつく縛る。これで胸から背中を締め付けることができる。少しは止血にもなるはずだ。幸運なことに痛みは感じてはいない。アドレナリンがマックスに出ているからだろう。なら、痛みが戻ってきて動けなくなるその前に戦うしかない。
ここまでの傷を負った以上、もう僕は死ぬのかもしれない。戦っても喰われて死に、戦わなくても出血多量で死ぬ。なら最後まで戦うこと選択しよう。
蒼貂熊は、最初から廊下を進んできていた。だから僕は背後を取られた。
ということは、殿部隊のみんなも、もう1頭の蒼貂熊と戦っているってことだ。僕はその間、この1頭を引き付け続けなきゃならない。殿部隊だって、2頭同時じゃ荷が重いだろうからだ。
僕が死んでも、その時間が稼げれば……。
そこまで考えて、僕はそれを必死で打ち消していた。だめだ、違う。僕は生きて帰るんだ。死ぬ前提はなしだ。
蒼貂熊は怪力で、自分自身が挟まれた壁からじりじりと脱しようとしている。その身体がトイレに入れたときが、僕が喰われるときだ。今なんとか止めないと、だ。
僕は忙しなく視線を動かし、掃除ロッカーを見る。
ロッカーの中には、掃除用の流し、モップ、柄の短いブラシ、すっぽん(ラバーカップ)、長短2本のホース、予備のトイレットペーパー、予備のハンドソープ。今の僕に使える武器はこれだけのようだ。こんなの、武器にはならないんじゃ……。
当然だけど、ここに飛び込むときに矢も弓も手放してしまった。なにか考えないと……。
とりあえず、僕はそれでも武器になりそうなものを手に取った。
武器と言っても蒼貂熊を殺せるようなものじゃない。ただ、牽制できればという、それだけのものだ。
僕は短い方のホースを掃除用の流しの蛇口にねじ込んで、水栓を全開にした。掃除用の流しの水栓は洗面のものよりかなり太く、ホースの内径も25mmくらいはあるだろうか。男子トイレで掃除のときに遊んだけど、水勢もめちゃくちゃ強くてバケツに水が貯まるのなんか一瞬だ。
僕はホースを握り潰し水がより強く飛ぶようにした。そして、蒼貂熊の顔に徹底して狙いを定めた。この際だ、息なんかさせるもんか。
実際に水の勢いは相当強く、蒼貂熊が吹き飛ばした洗面の水栓からの水柱と相まって周囲は水煙で満ちた。
アナコンダのような腕で僕の水流を防ごうとしても、僕はホースの位置を変えて絶対に逃さない。たかが水、されど水だ。そういえば、蒼貂熊が泳ぐかどうかなんてのも考えたことはなかったな。だけど、川や湖によって行動が制限されていたようだから、水自体がそんなに好きではない可能性が高い。でなきゃ、琵琶湖を泳いで渡って、京都、大阪まで入り込んでいたはずだ。
残念だよ。水泳部があったら、もっといろいろ考えられたのにな。
第102話 0%と1%、どちらを選択するか
に続きます。




