089 皇帝①
グロードア帝国 帝都グロウディアス
「こちらが先日、元老院議会にて決議いたしました、今年度の予算案になります」
大宰相カンザは帝都中央に構える宮殿内部、皇帝の間にて報告を行なっていた。
「ふむ、よろしい」
「お待ちください!」
勢いよく皇帝の間の扉が開く。
現れたのは、第一皇子ホーティスだった。
「部屋に入る前の作法を忘れたのか? ホーティス」
皇帝は咎める。
しかしホーティス皇子は怯まない。
「さきの無礼、お許しを。ですが父上! その予算案はおかしなところが多すぎる!」
ホーティス皇子は自身の持つ"本当の予算案"を掲げた。
「何故皇子様が、この紙をお持ちなのでしょうか……?」
ホーティス皇子は大宰相カンザの言葉を遮る。
「黙れカンザ! ……父上! 予算案の決定、私は異議がございます──」
「ホーティス皇子! 次期皇帝と言えども、陛下や私に対する発言として余りに無礼では無いか!」
カンザは眉を吊り上げ、声を上げた。
次期皇帝である第一皇子ホーティス様と言えども、礼儀を弁えない発言に怒りを覚えたからだ。
「良い、カンザ。……ホーティス。続けろ」
「感謝致します。──私は帝国の民を一番に考えております。重い税を課しておきながら、我々は民にその恩を報いる事ができているのかと、日々考えておりました」
なるほど、ホーティスの教育係はなかなかに優秀だった様だ。
皇帝は思う。
帝国の民を一番に考える、か。
見上げたものだ。
「徴収した税の使い方。私はこれに疑問を抱きました。ここにいるカンザから私に届く予算案の通りならば、貧民街の民の飢えを無くす事も不可能ではないはずです!」
ホーティスは力強く拳を握る。
「しかし一向に貧困が収まる気配が無い!」
「それはどこの国でも同じ事だ」
皇帝は、意見を述べる。
「陛下! 恐れながら申し上げますと、私は貴方がこの異変に気づいていないとは思えない」
ホーティス皇子は、さらに捲し立てた。
「私、陛下の才は重々承知しております。本当は気づいて居られるのでしょう? 国民への給付金やインフラ整備の内訳。我が国が一番重きを置いている軍事資金を差し引いても、貧民街に住む国民が飢える程の財政難ではありません」
大宰相カンザは、眉を顰めた。
皇帝は、顔色ひとつ変えずにホーティス皇子の意見を聞いている。
「不審に思った私は、どんな罰も承知の上で、我が国の財政部を部下に調べさせたのです。すると……」
皇子は大宰相カンザを肩で払うと、皇帝に"本当の予算案"を手渡した。
「こちらの予算案が、大宰相カンザの執務室から」
「ふむ……」
皇帝は皇子から手渡された予算案を見て、顎に手を当てた。
「なるほど、ホーティス。お前はかなり優秀に育ったようだ」
皇帝は、ゆっくりと言った。
そして同時に思う。
此奴の教育係。
やはり処刑しておいて正解だったようだ。と。
──パチ、パチ、パチ。
皇帝の間に、一人の拍手が響き渡った。
皇子は音の方向をギロリと睨む。
「いやはや、皇子がまさかここまで鋭いとは、このカンザ、感服いたしました」
大宰相カンザは、ニヤリと笑った。
「貴様ぁ! 何が目的だ! 金か!」
「そう焦らずとも、すべて説明しますよ」
大宰相カンザは、「失礼」と言うと、皇帝から二つの予算案を受け取った。
「まずは、皇子様が真実として持ち込んだ予算案。それは皇帝陛下様にもしっかりと届いております」
カンザは二つの予算案を掲げる。
「なっ……! では父上は、ご存じだったのですか……!?」
皇帝は静かに頷いた。
そして、ゆっくりと話し始める。
「ホーティス。お前に問おう。我が帝国の政治は誰が執り行っている。国民を支え、的確な支持を出す役はどこにある」
「それは……」
「貴族だ。国民への生活保護や、土地の売買もすべて、貴族が執り行っている。国民は、貴族無くして生きてはいけぬ」
「ですが……」
ホーティス皇子は、質問を変えた。
「いや、では何故……。何故! 私の元に届くものは、虚偽の予算案なのですか!」
「それは……」
言葉に詰まる皇帝の代わりに、大宰相カンザが答える。
「皇子、皇帝陛下はまだ貴方様の力を信じておりません」
「カンザ、少し言い過ぎだ。決してそのようなわけでは……」
「恐れながら皇帝陛下。ここははっきりとおっしゃられるべきです。私が代弁して申します」
大宰相カンザは、微笑んで続けた。
「皇子。貴方様は少し国民に肩入れしすぎなきらいがある」
「それの何が悪い!」
「話は最後まで聞くものですよ皇子。何も悪いなどとは申しておりません。国民無くして国在らず。それも事実であり、我が帝国の民もまた、大切な存在です」
「では……!」
大宰相カンザはホーティス皇子の反論を手で制し、続けた。
「貴方様は優先順位を理解していない。盲目的に国民の肩を持ち、国を支える事貴族の方々を蔑ろにされては、こちらとしても困るのでありますよ」
ホーティスは再び反論をしようとした。
……かつて未熟だったホーティスの恩師の恩師である教育係は、国や国民を第一と考えるお人だった。
『今の帝国は貴族第一の政治へと傾きつつある』
『次期皇帝である貴方様は、国民や貴族の模範でなければならない』
どちらも彼の口癖だった。
突然姿を消したあの日からもずっと、ホーティスは彼を慕っていた。
「私は……。私の教育係であったストライトは! 私に国の在り方を教えてくださった!」
「じゃあ彼は今何処にいる!!」
大宰相カンザは、激昂した。
「彼は国を捨て、消えた! 皇子、貴方はそれの言い付けが正しいとお思いか!」
皇子は言葉に詰まる。
確かに彼は、突然姿を消した。
その行方は、未だ掴めてはいない。
「……失礼。取り乱しました。只今の無礼、お許しを」
大宰相カンザは軽く頭を下げる。
「いや……良い。父上、そしてカンザ。数々の無礼、申し訳ありませんでした」
「お前が私の後継者として相応しい存在になると、信じているぞ」
「…………はい、父上」
ホーティス皇子は皇帝と大宰相に背を向け、
扉に向かう。
この国の政治は、何かが間違っている。
私が皇帝になったそのときは──。
第一皇子ホーティスは、心密かに皇帝の間を後にした。
「…………カンザよ」
「はい、なんでございましょう」
「私は何か過ちを犯しているだろうか」
「何をおっしゃいますか。貴方様がいらっしゃらなければ、国は纏まりません。皇帝陛下の下に使える事、幸甚の至りでございます」
皇帝は、頷く。
大宰相カンザは、僅かに口角が緩んだ。
その事に気付いたものは、カンザ本人を含め、皇帝の間に存在しなかった。




