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三章

 確かに彼女は自分に似合う服をきちんと着こなしている。清水の着ている腰の部分で絞られたワンピースは白と水色のデザインで、彼女の白い肌を艶っぽくも瑞々しくも見せていた。華奢な肩や足を惜しみなく見せびらかして、彼女は愛情を養分にする術を身に着けていることを自己申告している。隣の席の男性の視線が遠慮なく向かいの女の子たちに向けられていて、石田は満足げだ。

 でも、まるで雑誌から飛び出してきたみたいに模範的なファッションをしている、と誓は思う。個性的という言葉が本当に誉め言葉なのかという考えは一理あるとは思うけれど、だからといってこの無個性が個性を嘲笑する理由にはならないだろう。何が一番嫌かと言えば、この無個性で主体性を感じない彼女たちの在り方に、金も時間もたっぷりかけられていることだ。

 飯田は細身のスキニーパンツにフレアのあるトップスをあわせていて、気合を入れ過ぎていない雰囲気に彼女の優位性を感じた。向き合って座りながら会話に興じる飯田と石田は既に近しい関係性になっていて、喜びの連絡を受けるのも時間の問題だろう。客観的に見れば何方にもその気があるように思える。ただ、他の選択肢もたくさんあるのだと思えばそう見えないこともない。彼らの近くにある恋愛の気配はとても軽やかで、上品で、手ごろだった。

「景色が良いね」

 窓の向こうに携帯のカメラを向けた清水が嬉しそうに言った。

 御成門にあるホテルの最上階にある和食の店の予約を取ったのは石田だった。東京タワーの見えるレストランで、何処にいても同じに見える高所からの景色にランドマークが一つあるだけで、随分と居場所がわかりやすい。赤い印象的な建物を見つめ、お膳立てされた景観は人工的だという感想を抱いて、誓も大きなガラスの向こうを、只管に眺めた。見下ろす街に降り注ぐ太陽の光の眩しさに目を眇める。こういうのは嫌いじゃない。マンションすらない街で青春時代を過ごしたために、文化的景観や眺望への憧れは強かった。

「美紗の家からもこれくらいの景色見えるでしょ」

 飯田の言葉に、清水は小刻みに首を横に振った。顔の横でカールさせた髪が、緩やかに揺れた。

「東京タワーなんて見えないよ」

「あぁ、スカイツリーか」

「うん。スカイツリーは見える」

 カメラを真剣に構え生返事をしている清水に、誓は開いた口が塞がらなかった。察するに、彼女の実家は都内のタワーマンションということになる。生きている次元が違うとはよく言うけれど、平屋で寝ていた誓とは本当に別次元に生きている。

 前菜はお浸しとおつくりとお豆腐がそれぞれ小皿に盛られ、さらに竹でできたお盆にのせた状態で出された。彼女たちに習って一応写真を撮ってみる。そうすることで、今日を楽しみにしていた気分になるから不思議だ。来たくないという程嫌だったわけじゃない。でも、この子たちといる時に感じてしまう引け目は、何故か認めたくないと思うタイプの劣等感だった。生まれたときから人生は決まっている。それこそ、人間が人間以外の生き物として生きられないのと同じように、自分はそれ相応の生き方しかできないことくらい悟っているし、今更それを嘆く気も恨む気もない。それほどの向上心も持っていない。だからこそ、無気力になるタイプの劣等感がまとわりついて離れなくなるのだ。

 和食はどうしてこうも食感の柔らかい物ばかりなのだろうと思いながら、もちもちしたりつるつるしたりする名前もわからない食べ物を口に運んでいく。やろうと思えば一口で終わりそうなものを、あえて箸で小さくするのは面倒だったが、器用に箸を使いこなす彼女たちはさすがだなと思った。誓は箸をちゃんと持てないことを密かに気にしていたが、今更直すのも面倒で放置していた。

「そういえば高校の時の溝田先生、結婚したらしいよ」

 思い出したように飯田が話し出した。

「え?あの地理の?」

「そうそう。なんか教育実習に来た女子大生捕まえたんだって」

「やば、ロリコンじゃん」

 不意に共通の話題で盛り上がる元同級生カップルに置いて行かれた清水が、此方を見る。誓が目配せをすると、良い感じだねと彼女は笑った。

「ヒロ君は何処の高校?」

「あー俺は北海道の高校。普通の公立高校だよ」

 彼女はへぇと相槌を打った。

「清水さんは女子校って感じだね」

「よくわかるね」

 彼女は理解された喜びなのか理想の具現への感動なのか、目を大きく見開いた。

「幼稚園からずっと付属の女子校だったの」

 せいぜい小学校くらいからだとばかり思っていたので、誓は閉口した。

「だからこんな風に男の子と普通に会話するのも新鮮」

 彼女は嬉しそうに言うけれど、一体誓にどんな反応を求めているのだろう。彼女の気持ちはわかる。物珍しくて、ちょっと興味を惹かれて、あわよくばを考えている。でも彼女は男に対して猪突猛進に突き進む気はないだろうし、そうしなければ手に入らないものなど彼女には必要がないのだ。

「高校の部活は?」

 誓はまだ回想するのかと苦い気持ちのまま、やっていなかったと答えた。

「高校時代はコンビニでバイトしてた」

「レジの人?」

「レジもやったし、品出しとかもしてたよ」

 コンビニを選んだのは、廃棄品をただでもらうことが出来たからだった。高校時代の同級生が先に始めていて、毎日弁当やパンやおにぎりを貰っているのだと聞いてから、当時清掃のアルバイトをしていたのを即時にコンビニに乗り換えた。清掃の方が時給はよかったが、食費が浮くことを考えるとコンビニの方が割に合っていたし、コンビニなら最寄りの駅に店舗があった。夕方のシフトの後に廃棄品を貰って家に帰り、それを祖母と夕食にする生活が三年続いた。不満はなかったけど、満足のしようもなかった。少しだけのつもりで東京に来た。年老いた祖母を一人で置いて行くのは正直我儘だとわかっていたから、もう数年此方で働いてお金を貯めたら、北海道に帰ろうと思っている。そうしなければ、子供を捨てて男に走った母親と同じ穴の狢ということになる。誓はそれだけは避けたかった。

「清水さんは何のバイトをしてるの?」

「私はクッキーの専門店で働いてるよ」

 イメージ通りの仕事に、誓は笑った。彼女は彼女らしさの為に生きているみたいだった。

 会話が向かい合った同士になってしまうと親密度合いの差がありすぎて、誓たちの方はすぐに話すことが無くなってきた。仕方なく窓の景色に目をやったり飲み物を飲んだりしていると、メインのてんぷらが登場した。花のように盛り付けられたてんぷらはサクサクで、あげたてに塩をかけて食べるやり方を初めて知った誓は楽しくなって、ナスやピーマンを塩で食べた。衣は分厚くたっぷりと油を含んでいるのに、くどさを感じない。海老はさすがにたれの方がおいしいだろうかと考えていると、会話が動いた。

「二人の働いているアパレルって、どういう系の服が多いの?」

 飯田の問いに、石田はこういう系と言って自分の服を指さし、次に誓の方も指さした。

「男も女もかっこいい系って感じかな。デザインのものとかはほぼない」

 石田のトップスも誓のそれも、今期の新作だった。石田がミントグリーンのニットなのに対して自分は相変わらず黒のシャツを選んだことは、完全に無意識だった。品のあるファッションの彼女たちと上品なランチなら、黒のシャツは少し場違いだった。少なくとも、彼女たちの魅力に掛け算できるファッションではなかった。

「女性物もあるんでしょう?」

「うん。男女どっちも扱っている。服だけじゃなくて、鞄とか靴とかもあって、全身コーディネート出来るよ」

「今度行ってみようかな」

 飯田は含みのある言い方をした。

「コーディネートしてくれる?」

「するよ」

 石田は食い入るように答え、ごく自然に次の約束が取り付けられた。誓はすっかり居心地悪くなって窓の向こうに広がる街を見下ろした。こうして俯瞰で見ると、世界は光に満ちている。降り注いだ太陽の光が反射して、世界が平らな眩さに包まれていた。

 最後に残していたエビをつゆに浸し、大根おろしを載せて齧る。たっぷりとつゆを含んだ衣は甘くておいしい。

 この後バイトがあるという清水に時間がきて、駅前で解散になった。

「ヒロ君」

 飯田と石田が話し込んでいるのを確認してから、清水は徐に持っていた紙袋を差し出した。

「これ、お礼に受け取ってください」

 今日の食事代は値段が値段だったので、全員自分の分を払うことになった。トイレついでに支払いを済まそうと立ち上がった誓たちに対して飯田が自分で払うよと言い出し、清水もそれに続いた。

 その流れを汲むとお礼というのはつまり、前回の食事代ということだろう。

「私が働いているお店のクッキーなの。アソートになっていて、私のお勧めはジャムの乗っているクッキー。ほろほろと口の中で溶けるんだ。ジャムもイチゴの酸味が残っていておいしいの」

 ピンクと水色の紙袋を、誓はありがとうと言って受け取った。ここで断るのは性格が悪いだろうと思ったからだ。

「美味しくいただくよ」

 にっこりと笑いかけると、彼女も嬉しそうに笑みをこぼした。食後にきちんと直してあるピンクの唇に広がる遠慮がちな笑みは可愛らしいと思ったが、誓の心は晴れなかった。

 昼すぎの解散となり、誓はその午後は予定がなかったので、真っ直ぐに最寄り駅まで戻った。最寄り駅の改札を抜けて家までの道を歩いていると、こんな天気のいい日に家にこもるのはもったいない気がして、家を通り過ぎていつもの裏山へと入っていく。少し急な丸太の階段を歩きながら、手に持ったクッキーの紙袋は家において来ればよかったと思った。無論重たいわけではな。見る度に気分が落ち込んでいくのだ。悲しさでも悔しさでもない、空虚な気持ち。彼女から放たれる幸福なオーラはまるで誓を打ち抜く小火器のようで、弾丸の貫通した穴が丸々、虚しさの住処になっている。

 四月も下旬となれば桜はすっかり散ってしまっていたが、花が開くのと同じように枝を広げて葉を身に纏い茂った木は、格段と大きく見えた。のびのびと広がった姿はキャノピーみたいだ。木漏れ日は安心感がある。閉ざされていたくないのにあけっぴろげにするわけにもいかないものが、この世界には多すぎる。

 いつもの広場に出ると、十数メートル先の木の陰に誰かがしゃがみ込んで本を読んでいるのを見つけた。木に寄り掛かって夢中になって字を追っているせいか、向こうは誓の存在に気付いてはいないようだ。

 ここにはよく散歩に来るが、ひとに会ったのは初めてだった。何せ散歩に来るには道中は歩きにくいし、公園というには広さが足りない。ハイキングというには軽すぎる山道。おまけに駅からもそれなりに歩く距離の問題もあってか、いつも貸し切り状態だった。

 誓にとってここが心地いいのは、現実逃避に似た場所だったからだ。理想と現実が自我をむき出しに対立するその傍に、凪のような場所がある。嵐が去った晴天とか震災に耐えた建物とか、それ自体が悲しいわけじゃないのに泣きたくなる思いにさせる何かが、此処に落ちている気がする。

 誓は彼との距離を測りながら、自分の居場所を探す。木の陰に黄色いタンポポがぽってりと咲いていた。その場にしゃがみ込んで、傷つけない程度に触れてみる。指先でつついてみて、直ぐに心が怯んだ。見た目にわからない瑕疵がタンポポの未来に影響を及ぼしてしまったら怖いと思った。子供の頃は蟻を摘まみ上げたり蝉を捕まえたり蝶の羽に触れたりと、思えば残酷なことをしたものだ。

 出来心でこちらに目もくれずに本に熱中する姿を遠くから観察する。誓の存在にはおそらく気付いていない。しゃんとのばした背筋と少し前のめりになっている首が長く、光の陰影によって立体的に見えた。不意に顔を上げた彼は誓の存在を認め、少し驚いたようにこちらを見つめてきた。目が合わない距離だと思っていたので、誓の方も驚いた。彼は小説を鞄にしまってから、立ち上がってこちらに歩いてきた。

 誓は無論戸惑って、何もなかった顔をして先に下山してしまおうかと考えた。ここは人と出会う場所ではない。腰を上げてさようならと足を動かそうとして、その体勢のまま身体が硬直した。全く動けなかった。身体中に無意味な力が加わって、前にも後ろにも、瞳や唇さえも動かせなかった。

「やっぱり」

 気が動転して何も返さない誓に対して、彼はずいぶんと親し気に声をかけ、小さく笑った。愛想がいいのとは違って、子供が奔放に愛情を振り撒くのに似ている笑い方だった。

 店でよく見かけるあの客だった。自然の光の下では、いつも以上に髪が美しく見えた。

「なんで」

 やっとのことで声を絞り出すと、彼は少し首を傾げた。

「俺も同じ感情だけどね。俺は大学の空きコマを持て余しているところ」

「あそこに通っているの?」

 大学という単語で、誓はパズルが解けた気分だった。山の下を指さす。校舎のほんの一部分が見えるだけで、ほとんどが木々に隠されていた。

「そう」

「何年生?」

「三」

「じゃ、同い年だ」

 共通点が増えたようで親密な気分になった誓とは裏腹に、彼は少しだけ笑うに留めた。

「あなたは?」

 男性で相手に向かってあなたという言葉がさらりと出てくる。誓は不思議な気持ちになりながら答えた。

「今日は仕事は休みで、友達とご飯に行ってきた」

「ふうん」

 彼は疑いの目で誓を見た。

「デートじゃなくて?」

「え?」

 心臓が絞られたように痛かった。

「その紙袋」

 彼は誓の手に握られた紙袋を指さし、得意げな表情になった。

「新宿にあるクッキーの店でしょ」

「知ってる?」

「結構有名だよ。食ったことは無いけど」

 誓は紙袋を顔の高さまで持ち上げた。つややかにコーティングされた紙袋。持ち手の赤いリボン。高価なものだと直ぐにわかる。

「いる?」

 考えるよりも先に言葉が出てきた。彼は驚いた顔をしたし、誓自身も驚いていた。自分の大胆さに戸惑うが、不思議と後悔や嫌悪感はなかった。

「いや、自分で食べなよ」

 彼女から貰ったんでしょうと茶化す口調に、誓は口ごもる。

 確かに見栄を張ればデートと主張することも出来る。その気がある女の子とグループとはいえ食事をしてきたのだ。その一方で、ただの友達と言い張るのもまた嘘くさい。何方に偽装するのも不誠実に思える、身の置き所に困る事案だった。

「それ、買うのに結構並ぶんだよ」

「でも、こんなの、腹の足しにはならない」

 口をついて出てきた本音に、彼は目を大きく開いて誓を見つめた。何かを見透かすような瞳だった。

「俺の三日分くらいの食費がこれになったと思うと、なんか虚しくてしょうがないんだ。食べ物だから粗末にしたくないし、俺は別に高級なクッキーなんか興味ない。だから、食べてくれない?」

 なぜこんなことを言っているのだろうと自分自身に対する戸惑いはあるにはあったが、誓はこのところ澱のように溜め込んだ悪意を吐き出したことで、ほんの少し救われた思いになった。

 風が吹いて足元をさらう。踏み込んだ土が鼓動するように、誓は不意に不安定な心地がした。

「察するに」

 彼は探偵のように目を眇めた。

「ストーカーにでも合ってる?」

「そこまで深刻ではないです」

 何も察せていないじゃないかと呆れていると、彼は一人で笑った。

 店で会うときよりも積極的で前向きな雰囲気を纏った彼は、いつもに増して魅力的だった。風になびく黒くてこしのある髪が、生気を帯びて輝く。

「流れで女に飯を奢って、お礼にってこれを渡されたんだよ」

「あぁ。要らないプレゼントだったってわけね」

 文字に起こすと残酷に聞こえる。誓はちくりと傷んだ心臓に手を添え、自分の中で思っていただけの感情はたとえ黒ずんでいても気にも留めなかったのに、彼の前に晒すとみじめに感じると思った。

「なるほどな」

 彼は小さく呟いて、細い顎に手を添えた。きっとさっき読んでいた小説は推理小説だったのだろう。

「じゃぁ、こういうのはどうだろう。俺はそのクッキーは確かに欲しい。一回食べてみたいとは思う。絶対に並びたくはないけど」

 そのかたくなな態度に、彼の妙なポリシーを感じる。彼は軽やかにも見えるし、心底面倒な人にも見えた。

「ただ、一方的に貰うわけにもいかないし、あなたの言い分は尤もだと思う」

 話の流れがよくわからずに、誓は黙って聞いていた。

「うちの大学、結構学食が有名なんだ。なんと全品ワンコインで、そこら辺のファミレス程度のものが食える。昼の時間はごった返しているんだけど、それ以外は外部の人間も簡単に入り込める。セキュリティーがばがば。そこでだ。あなたに、そのクッキー分の昼飯を奢る。それでどうだろう?」

 彼の中では既に完成した取引条件らしく、此方から何かを言える雰囲気ではなかった。とはいえ誓からしても、それは十分に魅力的な提案だった。

「ありだな」

 そういうと、彼は手を差し出してきた。誓は内心ドギマギしながらその小さな手を取る。柔らかな手は想像よりも温かな体温を持っていた。

「交渉成立」

 目が合うと、彼はにっこりと笑った。口が小さい。縦に目の大きな人は良くいるが、彼は横に目が大きかった。その分、表情が分かりやすい。

「俺は広原誓。知り合いは大体ヒロって呼ぶ」

「あぁ、呼ばれてるのを聞いたことがある。てっきり下の名前だと思ってた」

「よく言われる。小学校の時につけられた渾名で、気に入ってるんだ」

「名前が気に入ってるなんて、良いな」

 彼はため息を零し、それを取り繕うように小さく笑った。

「俺の下の名前、未架だぜ。未来の未に架け橋の架で、未架」

「みか?」

 誓はゆっくりと名前をなぞった。漢字はいまいち浮かんできていないことは悟られないように、慎重な振る舞いをした。彼はそんなことには一切気付かない様子で、続けた。

「女の子が生まれますよって言われて喜んだ母親が、早まって名付けたんだと。なのにいざ生まれたらまごうことなき男。でも散々みかちゃんみかちゃんって話しかけ続けてきたんだからって言って、漢字だけ変更したらしい。無茶苦茶だろ」

 そうだねとは言えずに、誓は誤魔化すように笑う。

「昔から名前が嫌でさ。この見た目だし、女みたいだって散々言われてきたんだ」

 そりゃいうよな。誓は未架の綺麗な髪と白い肌と小さな唇を前に、揶揄った側の気持ちになってしまう。

「じゃぁ、苗字教えてよ」

「北條」

 北條未架。

 誓は声に出さずに何度か名前を呼んだ。

「連絡先を教えてよ」

 互いの連絡先を交換しおえると、彼は時計を一瞥してからそろそろ行くといった。

「次の授業の為にわざわざ空きコマ作ったんだ」

「そっか」

 誓は残念な気持ちで返した。

「ヒロは?家がこの辺?」

 まるで何年も前からの知り合いみたいな親しさで、未架は誓を呼んだ。

「うん。大学の裏のアパート」

「めっちゃ近いな。うちはここから小一時間かかるんだ」

「遠いね」

「ま、一人暮らしじゃないからしょうがないって感じ」

 実家住まいかと納得し、誓は

「よかったら、うちにも来ていいよ」

 さりげなく言うと、彼は少し驚いてから、頷いた。

「ありがとう」

 社交辞令を装って言ったが、本当に来てくれるといいなと思った。

「あと、それ、似合ってる」

 彼はあの日勧めた白いカーディガンを着ていた。混じりけのない白は透明感のある肌や黒い髪を引き立て、大きめのサイズが彼の芸術的な線の細さに合っている。

「良い店員さんに勧められたからね」

 いたずらにいう未架の表情は想像よりもはるかに蠱惑的だった。

 誓はもう少しここに居たいと思い、軽い挨拶を交わして別れた。彼の歩き方は大地を踏みしめるというよりも空へと跳ねるように軽いもので、誓はつい見つめるように見送った。


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