Part 2 ♡5
チコちゃんの目は、ひらいたスマホ画面にさっそく釘づけになりました。ですが。いくら検索をかけても望むとおりの情報が出てきません。やがてチコちゃんにも、シャーマン博士が情報に制限をかけていることに気づきました。「あの博士!」チコちゃんは憤懣やるかたない、といった表情を顔にうかべて、ママのスマホをベッドに投げだしました。それからおずおずと一階に降りていき、「ママ、調べても出てこなかった」といいます。チコちゃん最後の一手です。そう、親に聞く。
しかしチコママもこの先どうしたらいいかわからないらしく、しかしハムハムが人間になったら、家がさわがしくなって食費もかかるでしょうね、などと、未だにのどかな、暢気なことをいっている始末です。チコちゃんは親が愚かしくなり、自室に逃げこむと、ベッドの上の枕に顔をうずめました。
その時です。繭にひびが入ります。「ぴしっ! ぴしっ」と音を立てて。繭の殻が一枚ずつはがれ落ちていったと思うと、光と一緒に、ちいさな人間が現れ、それからすぐチコちゃんと同じくらいの背丈の男の子になっていきました。その間、わずか二秒といったところでしょうか。あっという間の早わざで、チコちゃんは初めから、男の子がそこにいたように感じます。男の子(いったいこの子はハムハムなんでしょうか?)が口をひらきました。「ヨオチコ」
「あっ!」むろん、その一言でチコちゃんにはわかりました。こいつはハムハムだな、ということを。チコちゃんは話しかけようとしましたが、まずハムハムが服を着ていないことに驚き、その部屋から逃げ出してパパに助けを呼びました。一番おどろいたのは、もちろんパパです。パパはまず、相手は変質者かと疑いました。ハムハムの繭があったことをチコちゃんが話すと、やっとパパも事情をくみ取りました。部屋から自分の服をとってきて、ハムハムに着せます。かわいそうなことに、パパは自分の部屋というものを持っていないのです。ママと同じ部屋にパパは住んでいますが、その部屋にはパパの趣味のものはおけないし、自分の服もあまり多くはありません。しかしパパの服の中にハムハムに合う服がりました。背広です。ハムハムはそれを着ると、
「どうかな」と、いいました。
ハムハムのこの口調の変化には、チコちゃんも月まで飛んで行けそうなほど驚いてしまいました。ハムハム節は封印です。あれほど嫌がっていたのですが、いざ無くなると、チコちゃんは意外とショックを受けている自分に気づきました。しかし、この最後の日々にその態度では、なんともつまらないではありませんか。「ハムハム」チコちゃんは彼にいいました。「生きてね」
「約束はできないよ」
「約束しないでいいから」
「じゃあ、うん」
「その喋り方、何とかなんない?」
「もう戻らない」
「そっか」
*
ハムハム君の家での過ごしかたは、そりゃあもう、大人しいものでした。これまでのあの口うるさかったハムハムが、まるで嘘のようです。ですがチコちゃんには、それがどこかもの足りません。あと三日しかないのです。その三日をどう過ごすか、これは今のハムハム君にとってとても重要なこと――何よりも重要なこと――にチコちゃんには思われるのです。そう思って、チコちゃんはハムハム君に声をかけます。「ねえ、あと三日しかないんだよ? 何もしなかったらつまらないよ」しかしハムハム君はというと、パパの部屋から持ってきた本の表紙を、じっと眺めているようです。そのシンプルなカバーを見ながら、ハムハム君は微動だにしません。「おもしろい?」。チコちゃんはハムハム君にききます。
「たいくつだよ」
ハムハム君は本をひらくと、ものすごいスピードでページをめくっていきました。それがあんまり速いので、チコちゃんはてっきりハムハム君は本の内容を読まずに文字を目に入れているだけかと思いました。そこでチコちゃんは、ハムハム君を試すようにいいました。「内容おしえて」
ハムハム君はめんどうくさそうな態度をくずしませんでしたが、本を置くと、チコちゃんに話の説明をしました。
「それだけ?」
「それだけだよ」
「変な話」
チコちゃんはハムハム君にいいました。ハムハム君は大事な――ちょうど今、大事なものになったようですが――本をくさされて、少し傷ついているようでした。チコちゃんは悪いなあと思いながら、あとぐされのないようにいいました。「ごめんね、でもわたし、あんまりその本には興味が持てないみたい」
「わかるよ。チコは本とか読まないもんな」ハムハムはいつもの調子に戻っていいました。しかし戻ったのは言葉の意味だけ、口調はハムハム君のままです。チコちゃんは少しなつかしさをおぼえ、嬉しく感じましたが、ふと、「ハムハムだってそうじゃん!」、ということに気づきました。慌てて反論すると――いつもなら言いかえしてくるハムハムですが――今日に限っては、
「そうだね」というだけで、いつものはりあいがありません。きょうに限ってのことでもないのでしょう。これからはずっと――残りの三日、ハムハム君が天寿を全うするまでの時間はこの調子がつづくのでしょう。チコちゃんはハムハム君に元気を出させようと、
「ファイト」
と、いいます。
その言葉がまるで宙に浮いたように感じられて、チコちゃんはかっと赤面しました。
(おしまい)