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ピンク  作者: 中川篤
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Part 2 ♡4




 お葬式のあと、チコちゃんはますます只野先生のいる保健室に足しげく通うようになりました。もうすっかり常連さんね、と先生はチコちゃんのことを冗談めかしてそう呼びます。常連さん。それが今のチコちゃんに与えられた新たな称号です。あんましこの呼ばれかたを気に入っていませんが、保健室のなかでは、勝手知ったる態度でふるまうことが、今のチコちゃんにはできます。それはなかなか、堂々たるものでした。

 只野先生は紅茶を淹れてくれました。今日は、ポケットのなかにハムハムがいっしょです。ハムハムは最近ネズミの彼女ができたらしく、チコちゃんは「お前さ、人間になるのか、ネズミになるのかどっちかにしろよなぁ」とハムハムにせまりますが、ハムハムはいたって暢気にかまえていて、

 「どうぶつと人間、いいとこどりやで」

などとうそぶきます。保健室の中はヒーターの暖房がよく利いていました。チコちゃんとハムハムはそこで丸くなっていると、冬の寒さをまるで感じません。しあわせ、とはこういうことをいうのでしょう。チコちゃんとハムハムは暖房の前からピクリとも動こうとせず、全身をひろげてなんとかあたたかい風を自分たちから、のがすまいとしています。「チコちゃん」すると、只野先生がいいました。「そんなにあつい風に当たったら、体に毒よ。子どもは風の子なんだから」。その言葉に、だいじょうぶだよー、と、どこかとろけたような返事をチコちゃんは返しました。顔はヒーターの方を向けたままです。

 「ココアのむ?」只野先生がチコちゃんに尋ねました。

 「のむっ!」

 するとすかさずハムハムが「おいらには何もねえのかよ」と愚痴をこぼします。「なんかくれよ。ババァ」

 またしても出ました、ハムハムの「ババア」です。二回目ともなると、さすがに只野先生も気を害したのか、「あらあら。そんなことばかり言ってると、車で遠いとこに連れていって、そこで降ろして二度ともどってこないわよ?」と、本気か嘘かわからないことを口にしました。ハムハムもそれには縮みあがり、

 「こえーよ、あのおばさんこえーよ」と、心底ビビった顔をみせます。いったいどのくらいそれが本心なのか(果たしてハムハムに怖いものがあるのかどうなのか)わかりませんが、それ以降、ハムハムが只野先生をババア呼びすることはなくなったようです。

 その日の帰りは、丹野ちゃんといっしょではなく、チコちゃんは一人で下校しました。丹野ちゃんはクラブ活動に所属しているらしく、何のクラブをやっているのか、チコちゃんはよく知りませんが、そこでは丹野ちゃんは浮いた存在ではないようです。その下校時、通学路の途中にある公園で、チコちゃんはハムハムのQRコードをつかって、『かわいさ』を計ってみました。スマホをかざすと、機械から「ピロリロリロ!」という音がしました。それから画面があかく光り――チコちゃんはてっきり壊れたのかと思って、スマホを落としてしまいました。スマホ画面にひびが入ります――、光はハムハムの体を包み(あんまりまぶしいのでチコちゃんはしばらく目をつぶっていたのですが)、そして、それが解けたとき、チコちゃんの目の前には繭になったハムハムの姿があったのです。

 チコちゃんはおどろきました。愕然として、繭になったハムハムに言葉を呼びかけますが、反応はありません。チコちゃんはしかたなく、ハムハム(今は繭です)を拾い上げると、助けを呼ぼうと、――さあ、しかしどこに行ったものでしょう?――、とりあえず自宅に引きかえしました。


     *


 繭になったハムハムを見て、ピンクが歓声を上げました。「ついにやったでな、兄貴!」ですが、チコちゃんは怒ってそれにいいかえします。繭になったら三日後には死んでしまうことをピンクも知っているからです。「シャーマン博士にいえばよかったけど、この『かわいさ』っていったい何なの?!」チコちゃんはここにはいないシャーマン博士に怒りをぶちまけます。「だっておかしいよ、こんなのただの数字じゃん! それにそんなのに命をはってるピンクも、ハムハムだっておかしいよ!」

 「それをいわれると、おれ、何も言いかえせねえよ」ピンクは急にしょげていいました。

 「あと数週間と三日の命だよ?!」

 チコちゃんは現実をつき付けます。それから、その傍でやり取りをきいていたパパがいいました。「智子、死ぬことばかり考えてたら、物語が暗くなるよ。どう生き方かを考えなきゃ」

 チコちゃんはいいます。

 「だれの物語なの?」

 「みんなの物語だよ。ハムハムの話もピンクの話も智子の話も、その物語にはふくまれてるんだよ。それをあんまし暗いものにしちゃ、いけないよ」

 チコちゃんはもう分かったというように、それからはパパの口をききませんでした。チコちゃんにとっては、いまあるものが壊れて、生きているものが死ぬ――それも、明日か明後日になくなる――ということは到底受け入れられないことなのです。


     *


 それから間もなくして、ピンクが風邪にかかりました。それからその二日後に、ピンクが亡くなります。チコちゃんはママやパパと一緒に、どうぶつ専用の火葬場でピンクを火葬してもらうと、ピンクの灰を海岸までまきに行きました。海岸には朝はやく着いたので、チコちゃんは少し眠かったのですが、目をこすりこすり、車の中でずっと抱えていたピンクのちいさな骨壺を手に持つと、ゆっくり海の方へ歩いていき、それからざっとこぼすように海中にそれを撒きました。ひょっとしたら悪いことなのかもしれませんが、パパもママもあまり気にしていませんし、チコちゃんも悪いことをしている気は少しもなく、むしろ、心からピンクのことを悼んでいるのでした。

 チコちゃんはそれから車に戻ると、助手席に座っているママに骨壺を渡し、横に置いてあった繭化したハムハムを、大事そうに手でかかえました。繭化したハムハムは、こうして両手で抱いていると、中から生きている感じがじかに伝わってきます。ここちよくなり、チコちゃんは繭に顔をうずめました。ハムハムの繭はさわると柔らかく、大きさは30㎝程でしょうか。この中から人間が生まれるなんて、チコちゃんにはとても信じられません。

 チコちゃんが自宅に戻ると、数分も経たないうちに来客がありました。クラスメイトのまこっちゃんです。彼女は噂できいていたハムハムの繭を、チコちゃんに見せてもらいに来たのです。パパイヤを失った悲しみもあるだろうに、そのことをまだ忘れられないのでしょう。さっきのチコちゃんと同じように、繭に顔をうずめると、まこっちゃんはわんわん泣き出してしまいました。

 「なかないで、なかないで、まこっちゃん」チコちゃんは彼女をなぐさめようと、なんとか言葉をかけます。すると、

 「チコちゃん! お願いだから――一生のお願いだから――この繭、わたしにちょうだい!」

 「えっ、むりだよ」

 「今度は、今度は、長生きして、一緒に友だちになってくれると思うの……だから…」

 「けど、あの子は、もう死んじゃったんだよ? 代わりになんかならないよ」

 チコちゃんはまこっちゃんをかわいそうに思いました。仮にチコちゃんがこの繭を彼女にあげたとしても、そこから生まれてくる人間は、三日後には亡くなってしまうのです。

 まこっちゃんは引き下がり、かなしそうにかえって行きました。


     *


 その翌日は、チコちゃんたちのところには学校がありませんでした。これはチコちゃんにとって幸いでした。なぜなら学校がなければ、まこっちゃんとクラスで気まずい思いをせずに済むのですから。チコちゃんは今日も日がな一日、ハムハムの繭を見て過ごします。繭にうすいひびが入ったのを見て、チコちゃんは、とうとうか、と身構えましたが、どうやら人間になったハムハムがその中から現れる気配はないようです。生まれるのはまだ先のことなのか、それともこれは噂に聞く「ムセイラン」というやつなのか、チコちゃんはだんだんと不安になってきます。スマホで検索を掛けようにも、スマホの画面はまっ赤なままで、画面はひび割れ、役には立ってくれそうにもありません。すると、「そうだ! ママのスマホだ!」チコちゃんの頭にアイディアが閃き、急にどたどたと、一階へ下っていきました。

 「スマホ? べつにいいわよ。でも、課金のゲームはダメよ」チコちゃんのママはいいました。チコちゃんはよく知っていますが、ママは家族で自分だけ課金でゲームをしているくせに、娘や夫にはそれを禁じているのです。まあ、ふたりとも、スマホのゲームには興味がないから、別にいいのですけど。

 「どこ? ママのスマホどこ?」チコちゃんはすばやく、辺りをさぐりました。

 「机の上にあるわよ」ママがいいます。机の上に、ありました。無造作に、ぽん、とスマホが置かれてあります。チコちゃんはスマホにむかって、ダッシュで走りました。思わずママが、走らないの! と声を荒げます。チコちゃんが取ったスマホには、ロックがかかっていて、それをチコちゃんのママに解除してもらうまでに、それから二分かかりました。チコちゃんはじれったくなります。「ハイ」と、ママからスマホを渡されると、またチコちゃんはママの制止する声も聞かず、ダッシュで家の階段を駆けあがると、二階の自室へもぐりこんでしまいました。


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