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 学校で一番可愛いのは誰だと思う? と聞けば回答はバラけるだろうが、学校で一番ヤバいのは誰だと思う? と聞けば、誰もが即座に夜野帷の名を挙げるだろう。

 「夜野帷には関わるな」。それはこの学校における公然の不文律であり、教師ですらトバリを倦厭しているのは誰の目にも明らかだ。

 まあ、手入れなんかしていないだろうバサバサの髪とか、常に人を睨んでいる(ように見える)三白眼とか、ぶつぶつと独り言を言っている姿とかを見れば、誰でも関わりたくないとは思うだろう。それだけならまだしも、トバリの常軌を逸した行動には数多くの目撃談があり、


 曰く、貯水槽の上で宇宙人と交信しているのを見た。

 曰く、授業中にいきなり奇声を発し、そのままクラスを飛び出した。

 曰く、何もない空間に向かって熱心に語りかけていた。

 曰く、小動物や昆虫を殺し、化学室で実験しようとしていた――――などなど。


 それが事実かどうかはさておき、「夜野帷ならばやりかねない」という勝手な思い込みと、対岸の火事のことを噂して楽しむような、(本人たちにしてみれば)悪意のない好奇心によって、トバリは入学式からほぼ間を置かずして学校の異邦人になった。

 当然、彼女は悪口、冷やかし、差別用語から放送禁止用語まで、数々の罵詈雑言の対象になったが、本人は気にしていなかったし、彼女がいわゆる知的障害者でないことを、僕は知っていた。一年も付きまと…………いや、一緒にいれば、彼女の人間性はちゃんと見えてくる。彼女はあくまでもまともだ。ただ、精神の根っこの部分に大きな裂傷があるだけで。それが何であるか僕は知らないけれど、そのうちきっと話してくれるだろうと思いたい。


***


 ――――ぽつ、と鼻の頭に水滴が落ちた。嫌な予感に駆られる。ぽつ、ぽつ、と水滴は量を増やし、銀色の糸は空と地を繋ぎ始めた。まったく、せっかちな空だ。あと少しで学校だというのに。

 色とりどりの傘の間を、僕は小走りで抜ける。すると、

「椎名くん?」

 背中に声がかかる。振り向くと、赤い傘を差した仙崎さんだった。

「おはよう仙崎さん。爽やかな朝だね」

「そ、そんなぐしょ濡れの姿で言われても。とりあえず、傘入りなよ」

 ありがたい申し出に、僕は素直に従う。とは言え、ブレザーや髪などはもう水を吸って重くなっていて、今更という感じはしたが。

「はい、タオル。良かったら使って」

「え、いいの?」

「うん、あたしはまだ予備があるからさっ」

 そう言えば、彼女はバスケ部期待の新星だったか。僕は彼女らしいピンク色のタオルで、頭などを拭く。

「ありがとう。洗って返すよ」

「いいよ気にしなくて。ほら、この前の揚げパンのお礼だと思って」

 しかし髪を拭いたものを洗わずに返すのは…………などと逡巡している間に、彼女は僕の腕からタオルを取ると自分の鞄に入れてしまった。むう。

「椎名くん、傘ないの? 今日は天気予報で降水確率九十パーって言ってたのに」

「今日は寝坊しちゃってさ、テレビを見る余裕がなかったんだよね」

「あはは、椎名くんでも寝坊とかするんだねー。ドンマイドンマイ」

 ぽんぽんと肩を叩かれる。

「…………そ、それでさ。良かったら、学校まで傘入ってく?」

「ええ? それはさすがに悪いよ」内心とは裏腹に、僕は驚いたフリをする。

「でもホラ、さっきタオルで拭いたのにまた濡れるのはやでしょ。それに風邪引いたらまずいし。ここは学級委員の指示に従っておきなさい」

「じゃあご好意に甘えさせていただきます。ありがとう、学級委員さん」

「気にしなくていいって」

 身長差を考慮して、傘は僕が持つ。二人並んで歩いている姿は、きっと周りからはカップルに見えることだろう。仙崎さんもそれを意識しているのか、ちょっと緊張しているように見えた。けれど僕は「それらしい」雰囲気に持っていかないように、わざと明るい、どうでもいい話をし続けた。――――僕はあくまでも、彼女の好意に気づいていないフリをする。



 僕らは階段を上り、二年生の教室がある三階まで到着した。

「ごめん仙崎さん、先に教室行っててくれる? 僕はちょっと寄るところがあるから」

 仙崎さんの顔が曇る。

「いいけど…………もしかして、夜野さんのところ?」

「うん。多分トバリも濡れ鼠になってるだろうからさ」

「……そっか。椎名くん、フラれたのに懲りないねえ。しつこい男は嫌われるよ?」

「あはは、そうだねえ。でもほら、僕は彼女の「保護者」だからさ」

 A組の前で仙崎さんと別れ、僕はそのままD組まで向かった。教室の中を覗き込むと…………おや、珍しく僕の予想は外れたみたいだ。

 扉側の前から三番目に座っているトバリは、雨に濡れた形跡などなく、ただぼけーっと天井を見つめていた。…………そう言えば、雨が降り始めたのが僕の登校中なんだから、それより先に学校に着いていれば濡れる訳ないか。僕としたことがうっかりしていた。

 D組では、クラスメイトたちが各々所属するグループに分かれて、朝の休み時間を談笑して過ごしていた。別にD組だけではない、僕のA組も含めて、どこのクラスでも同じ光景が繰り広げられていることだろう。

 その中で、トバリはただ一人、この光景からはみ出していた。トバリの姿形だけが透明という色で塗り潰されたかのように、誰も彼女のことを意識しようとはしない。そしてトバリも、そんな日常など自分のいるべき場所ではないという風に、ただぼんやりと、淀んだ瞳で虚空を眺めていた。

 僕はD組を後にし、自分の教室へと戻った。何だか、声をかけるのが躊躇われたからだ。



 一時間目の最中、携帯が震動した。教師の目を盗んで確認すると、同じクラスの悪友からのメールだった。

『今日、仙崎と相合傘で学校きてたろ? 夜野の次は仙崎かよ!』

 …………。悪友を見ると、冷やかすような視線を返してきた。

『たまたま傘を持ってなかったから、入れてもらっただけだよ』

 どうせ授業もつまらないので、返信をする。

『ほんとかよ〜。でも、絶対仙崎ってお前に気があるよな』

 その通りだ。

『そんなことないって。ミスコン一位の美女が僕と釣り合う訳ないしさ』

『それはその通りだけどよ、何も「あの」夜野じゃなくてもいいだろ?』

 こいつが失礼なのは置いておくとして。

 確かに、後半部分についてはよく言われることだ。一週間前にトバリに告白してからは尚更で、しかも仙崎さんが僕を好いているのは、たとえ本人が否定しているとしても公然の事実だ。

 仙崎さんは確かに魅力的な女の子だ。可愛いし、明るいし、会話も上手いし、気遣いができる。男なら誰もが彼女にしたいと思うだろう。実際、告白して玉砕したという哀れな男子生徒の数はこの一年で二桁に及ぶという。

 ――――けれど、彼女の本質がそれだけでないことを僕は知っている。


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