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「椎名、ヨルノトバリに告ったんだって?」
…………こういう時、学校という国がいかに狭いかを改めて実感する。
ううむ、一応誰もいないか確認したつもりだったんだけど……甘かったか。まさか告白の翌日、それも僕の「おはよう」に対してこう切り返されるとは。
「それ、誰から聞いたの?」
「部活の子からだけど、もう学校中で噂になってんじゃないかな。なんたって、「あの」変人・ヨルノトバリとその保護者・椎名飛鳥がついに! って感じだし」
一人の友人を皮切りに、側にいた友達たちもわらわらと集まってくる。
「そうそう! お前の趣味については言及しないが、これでようやくお前にも春が来たな」
「こんの裏切り者! お前だけは俺の同類だと思っていたのに!」
「今週の特ダネは決まりだな」
「了解です部長」
「っていうか、どこまでススんだの? まさか一日で……やだ破廉恥!」
当の本人をほっぽって、僕の席の周りではクラスメイトたちが勝手に盛り上がりはじめた。気分的には事件に巻き込まれてマスコミにインタビューされる市民といったところだろうか。
『変人とその保護者』ねえ…………。合っているんだかそうでないんだか。
とりあえず、これ以上彼らに誤解され続けると困るので、訂正を加えておく。
「フラれたよ」
しんと静まる教室。ちょっと気分が良い。
「…………え?」
「うん、それはもう物の見事にフラれたよ。「ふざけるな」って怒鳴られた」
きっかり三秒間の沈黙の後、教室は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。
「嘘だろ、あの変人を唯一手なずけられるお前が?」
「おい聞いたか、号外飛ばせ号外!」
「了解です部長!」
「野獣使い椎名、飼い犬に手を噛まれたか!」
「まさか夜野には他に好きな奴が?」
「それ以前に、あいつに恋愛感情なんてあるのか?」
まさに喧々囂々、仮にも振られた本人を前にしてえらい騒ぎだ。ある程度想定内だったとは言え、こんなに鬱陶しいとは思わなかった。しかし僕は成り行きに任せるまま、それを傍観する。平静を保つのはお手の物だ。
その時、教室の引き戸が開いて一人の女の子が入ってきた。
彼女は、教室内で何が起こっているのかわからず大きな瞳を瞬かせていたが、やがてチャームポイントであるポニーテールを揺らしながら僕の方へ歩み寄ってきた。何て事はない、席が隣同士なのだ。次第に好き勝手はしゃいでいたクラスメイトたちも彼女の存在に気づき、口々に挨拶する。それだけで、彼女が教室内ヒエラルキーの最上階に属しているのが見て取れた。
「おはよう、仙崎さん」僕も挨拶。
「おはよー椎名くん」
にっこり笑って、仙崎さんも挨拶。
さすがは男子内極秘ミスコン投票結果を総ナメにした仙崎春香さん。そのこぼれるような笑顔に、周りにいる男子が悶絶を隠そうと必死になっているのが手に取るようにわかる。
「朝からすごい騒ぎだけど……何かあったの?」
「聞いて驚け、なんと椎名が夜野に告白したのだ!」
「え……」
目を瞠る仙崎さん。
「結果は玉砕だったけどな!」
男共は高らかに笑いあった。こいつら、人の不幸がそんなに楽しいか。
「な、なんだそうなんだ。よーし、椎名くんには神風特攻隊の名をあげよう!」
「まさか自殺だとわかっていて突っ込んだのか? それでこそ日本国民だ!」
「ひどいなー、仙崎さんまで」
仙崎さんも織り交ぜて、教室内は再び笑いに包まれた。僕も冗談交じりに否定しながら笑うフリをする。――――でも、僕はしっかりと見ていた。彼女が見せた一瞬の表情の変化を。
朝のホームルームが始まり、ようやく僕は解放された。何だかどっと疲れた。浮気現場をスクープされた俳優みたいな気分だ。
でも、ひとまず災難は去ったと言える。こうして自分から告知してしまえば、変に尾ひれをつけた噂を立てられはしないだろう。
『変人とその保護者』。さっき誰かが言っていたけれど、あれは的を射ているようでギリギリ外れている。百万円だと思ったら残念賞のタワシだったというパターンだね。おめでとう。
確かに、学校一の変人と呼ばれ恐れられているトバリと会話が成立するのは僕くらいだし、自己の外見に頓着しない彼女の世話を焼いているのは事実だけど、それはあくまでも僕の目的の副産物のようなものに過ぎず、言わば僕の母性本能が勝手に働いているだけだ(男としてこの表現はどうかと思うけれど)。
そもそも、男女が一緒にいるだけですぐに恋愛に結びつけようとするのは早計ではないだろうか。これも若者の悪い癖だと思う。
そもそも、僕は夜野帷に対して恋愛感情など抱いてはいないのだ。
まず、そこの部分で周囲との認識の差がある。
では、彼女と僕の関係を表現するのに一番適した言葉とは何か。
面白くも何ともない教師の話を聞き流しながら考えてみる。
…………。そうだな、うん。
「被験者」と「観察者」だろうか。