第6話 勇者、引き返す
王城に帰りたい。でも、勇者様に恥をかかせたくない。
勇者様に魔王城へ来て欲しい。でも、それを邪魔しないと、自作自演がバレる。
勇者様の行く手を阻みたい。でも、彼の身の安全は確保したい。
魔王城の皆と離れたくない。だって、もうこんなに情が移ってる。
「でも」とか「だって」とか、それを実現させる為に、私はどれだけの愚行を重ねるんだろう。
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勇者様とホエイは、ダーティー・ラットを倒しつつ、街道を進んでいく。疲労らしい疲労は見られないが、数の多さにうんざりしている風だった。もう餌による誘導はしていないのだが。
「ったく、まさか寝ている間に食料を食われちまうとはな」
「そうですね。あの食欲には参りました。意地汚いというか、何というか」
「ま、早めに気付いて退治出来たから良いけどさ」
何という事だ。ダーティー・ラットの盗み食いまでは、考慮していなかった。そも、ダーティー・ラットは害獣なのだから、これくらい想定しておくべきだった。追加の食料は野イチゴだけで足りるだろうか。
「おや、ここにも居ましたね」
「ひい、ふう、み……一人八匹ってとこか」
二人は武器を構え、難無くダーティー・ラットを散らしていった。二人の服に、赤黒いシミが増える。
「強くはないんだけどな」
「ええ。しかし、全ての魔物がこうとは限りません。数だけが取り柄の魔物がいるのですから、その逆も十分あり得ます」
彼等は知らないが、強い魔物は少数派である。レンニュウが召喚した悪魔も、戦闘力には個体差があり、一番強いであろうレンニュウには戦意が無い。トカチとかいう研究員が作った魔物の方が、よほど危ないだろう。
どんな猛者であろうと、人間の肉体には限界がある。だから、本当に強い魔物は使わない。それでも、彼等にとっては脅威だ。二人も、こちらが手を抜いているとは思わないだろう。
「この山道を行けば、魔王城です。死角の多い場所ですから、お気をつけて」
ごめん。山道にはあんまりいない。どちらかと言うと、落石や崖崩れに注意して欲しい。でもまあ、折角警戒しているのに何も無いってのもね。上空から威嚇してもらいましょう。
「思ったより、ちゃんとした道だな」
「元はギー公爵邸と王城を繋ぐ街道ですからね。大方、ギー公爵邸と同じ様に、悪魔供が利用しているのでしょう」
レンニュウの方が、ある意味被害者なんだけど……死人を出しているのに、擁護するのも変か。でも、ギー公爵に限っては本人の自業自得。そこは主張しておきたい。
「……今、何か聞こえなかったか?」
「ええ。おそらく鳴き声です。近くにいますよ。警戒を」
武器に手をかけ、息を潜める勇者様とホエイ。顔を伝う汗に、二人の緊張が滲む。だがすまない。魔物は襲って来ないんだ。土地柄、どうしても魔物が有利になってしまうから。
それに、ここで時間をかけさせる事は出来ない。彼等はこの後、すぐに下山するのだ。西の橋へ向かう為に。山道の往復には危険が伴う。日没までには、平地に戻って貰わないと困る。魔王城に近いこの場所で野営となれば、こちらも魔物を放つしかない。スルーしたら、さすがにおかしいと思われるだろう。
「……?」
「不気味ですね。上空を旋回しているだけで、何も仕掛けて来ない」
先入観とは怖いものだ。魔物は狡猾で酷薄。そういうイメージが先行しているせいで、全てに危険性を感じてしまう。実際には、小型で見た目もカラスと変わらない魔物が、遥か上空を飛んでいるだけだ。……あれ、これ普通に怖い? 私の感覚、麻痺してきた?
「行こうぜ。襲って来るのを待つ必要は無いだろ」
「そうですね。我々の目的は姫の救出。一刻も早く、魔王城へ向かうべきです」
そうそう。こんなところで時間を食っていたら、夜までに下山出来ないもの。
二人は上空を気にしつつ、曲がりくねった道を進む。
「大峡谷を渡ったら、魔王城までもう一息で……え」
「道、途切れてんな」
「ここには、橋が架かっていたはずです。百年前の資料には、そうありました」
「百年って……そりゃ当てにならないだろ」
「仕方ないんです。百年前に魔王が君臨して以降、北部の詳細な情報は一切知り得なかった。しかし、橋の形跡はまだありますね。経年劣化で破損したか、あるいは」
「魔王が取り払ったか」
重ね重ね申し訳ない。私が外させました。
「残された部分に傷みは無し。綺麗なもんだ。十中八九、魔王の仕業だ」
「魔王は、我々の接近に気付いているのかもしれませんね」
「……普通に考えたら、すぐに騎士団を派遣すると思うんじゃねぇか?」
正論である。なんで最強の勇者を決める必要があったのか。魔王がレンニュウじゃなかったら、私は今頃死んでいたかもしれないのだ。帰ったらお説教である。
「なあ、王様って結構……」
「ノーコメントです」
ホエイはお父様の性格を、よく知っている。立場上、はっきり口に出来ないのだろうが、頼り無さは感じているはずだ。
「で、どうするんだ? 幅は大したことないし、助走を付ければギリギリ……無理か」
「無理ですね。それに、我々がここで死んでしまったら、姫の救出が遅れてしまいます。ただでさえ、一ヶ月も無駄にしているんですから」
やっぱり、無駄だと思ってたのか。
「姫殿下、無事だと良いな」
「……はい」
彼等は、私が生き延びているという確信を持っていない。あからさまな言葉は避けているが、私がすでに死んでいる可能性を思い浮かべているようだった。
「暗い顔してても仕方ねぇや。前向きに、今出来る事を考えようぜ。ここ以外に、峡谷を渡る方法は?」
ホエイは伏せていた目を開け、勇者様に向かって頷いた。
「確か、西にもう一つ橋があったと記憶しています。小さな集落に通じる橋なのですが、この集落はもう残っていません。集落の為にあったような橋ですから、集落が無くなって以降は捨て置かれています。ここにあった橋より簡素だったでしょうし、残っているかは五分五分かと」
「五分あるなら、賭ける価値はあるな。行ってみよう」
二人は、元来た道を戻って行った。
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予定通り、二人は西へ向かう事になった。食料の件は気になるが、概ね順調である。
「心配、かけちゃってるなぁ」
私は一人で、魔王城の周囲を散歩がてらうろつく。山に囲まれた場所ではあるが、貴族の邸宅らしく、庭園はそれなりに広い。気温の低さや日照時間の短さからか、花はそれほど多くなかった。けれど、それがかえって落ち着く。派手さは無いが、静かな美しさは目に心地良い。
そんな庭の一角に、何種類ものイチゴが植えられている。生い茂る葉の間から、小さな赤い実が覗いていた。株が地面を覆うもの、背の高いもの。こうやって地面から生えているのは初めて見る。
「ここの株を抜いたのね」
植え替えればなんて簡単に言ってしまったが、イチゴにとってはいい迷惑だっただろう。私は、どこまでも自分勝手だった。
でも、仕方ないじゃない。こうしないと、勇者様に恥をかかせてしまうんだから。
「食べたいなら、摘まんでも構わんが?」
「えっ……あ、レンニュウ」
ずっとイチゴの前から動かなかったので、食べたそうに見えたのだろう。
「ええと、ちょっとボーっとしてただけよ。レンニュウは?」
「カップケーキを焼いたからデコレーション用のイチゴを採りにな」
乙女か。
「茶の時間までには仕上げる。食べるだろう?」
「……食べる」
私が返事をすると、レンニュウは満足気に笑う。
……そうだよ。本当は、ちょっと食べたかった。甘いものは、私も好きなんだから。