第3話 魔王城、再び
悪は、誰かに悪と認識された時、初めて存在が確立される。もし、自分自身を悪だと認識したならば、そこには何が生まれるんだろう。
「このジャム美味しいわね」
「喫茶国から移植した柑橘類で作ったものだ。品種は何だったか……」
スライム・ラクーンドッグを休ませるという名目のもと、のんびりと朝食をいただく。悪魔の味覚にも個性があり、人肉を好む者もいれば、腐敗した物しか食べないものいるらしい。そしてレンニュウはというと、穀物とフルーツを中心に、人間とあまり変わらない食事を好む。
「幽閉中に出てきた料理、不味かったわ」
作っていたのはグール・ドッグ。犬に料理をさせるのは、普通に考えて無理があるだろう。食べられない程ではなかったし、せっかく作ってくれたからと思って食べていたけど、正直、ちょっとキツかった。
「飼い犬なら人間に詳しい故、お前の口に合うものが作れると思ったのだが……」
「詳しいのは犬の餌だと思うわ。まぁ、私も悪魔と食べ物の好みが合うとは思わなかったけど」
パンも、小麦とバターの香りがして美味しい。事前に用意していたパンは昨日の朝食分までなので、魔王城から焼き立てを運んで貰っている。空を飛べるというのは便利だ。
「食事に夢中で忘れてたけど、勇者様はどしているのかしら」
忘れていたとは酷い言い草だが、レンニュウも「あっ」と間の抜けた声を出していたので問題無い。私達は、昨日と同じ方法で二人の様子を確認する。
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「すごい数だ。ネズミ……か?」
「そのようです。しかし、ただのネズミにしては大きすぎますね」
「魔王の配下ってワケか」
実際には魔王を悩ませている害獣なのだが、勘違いして貰った方が好都合だ。
食事を横取りされるとでも思ったのか、ダーティー・ラット達は一斉に二人へと襲いかかった。
勇者様は、太くて装飾の少ない剣を、ダーティー・ラットに突き立てる。それを引き抜くと、手早く二匹目を仕留めた。
ダーティー・ラットは、ドブネズミを土台にしているだけあって、非常にすばしっこい。けれど勇者様は、その動きを完全に見切っていた。一匹一匹、確実に仕留めていく。
一方のホエイは、華奢な刀で雑になぎ払っていた。彼の刀は一見するとレイピアのようだが、よく見ると片刃で、わずかに反っている。昔、先祖が倒れた外国人を助けた礼に貰ったものらしい。が、あまりに無骨だった為、柄の部分を付け替えたあげく、武器庫に放置していたそうだ。
ホエイ曰く「兄達が選ばなかった残り物」。錆びない程度の手入れはされていたようだが、ホエイが手にするまで、誰にも見向きもされなかった。今では、その切れ味の良さを皆が賞賛している。勝手なものだ。
自ら敵に向かい、攻めの姿勢を崩さない勇者様。そして、向かって来た敵を最小限の動きで斬り捨てるホエイ。
ダーティー・ラットとの力の差は歴然であり、街道には小汚い魔物の死体が積み上がる。現場では、さぞ酷い臭いがしている事だろう。
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「……何してるのよ」
「だってグロいし……」
青い顔で目を背けるレンニュウ。血生臭いものが苦手なのに、どうやって魔界で生活していたのやら。これから山道を移動するというのに、今から青い顔をしていて大丈夫なんだろうか。
まあ、それは置いておいて。
「二人がダーティー・ラットを倒しきる前には、出発しないとね」
力の差はあれど、まだまだダーティー・ラットは湧いてくる。あの規模で悪さをしていたのなら、悪魔でも頭を悩ませるだろう。レンニュウが困っていたのも頷ける。とはいえ、あまり呑気にしていると追いつかれる。
私達は食休みが済むと、すぐに出発した。
「うーん。勇者様達がダーティー・ラットの群れを突破した後の作戦が思い付かないわね……大丈夫?」
「今のところは何とか」
まだ山間部の入り口。どうにか耐えているようだが、揺れが激しくなるのはこれからだ。
「そういえば、あなたは飛べないの?」
「……」
「そっか。飛べないんだ」
今回馬車で王城に向かったのは、一般人を驚かせないためだった。人目を気にしなくて良い今、レンニュウがわざわざ馬車を使う必要はないと思ったのだが。
「飛べないんじゃ仕方ないわね」
よく考えたら、王城に向かう時も山間部だけ飛行すれば良かったのだ。山を降りたところで合流、馬車に乗ってもらう。それをしなかった時点で、レンニュウに飛行能力は……。
「別に、飛べない訳じゃない。ただ……」
「ただ?」
「高いところが苦手なだけだ」
なぜだろう。もの凄く納得してしまった。まあ、レンニュウだし。
「ついでに羽が身体に対して小さくてな……。飛行が安定しなくて酔う」
「自分で飛んでも酔うのね」
馬車に酔うはずである。デリケートな悪魔だ。
「本格的に酔ってき……うっ」
「ここで吐かないで! あー、ほら。外の景色でも見たら? 新鮮な空気も吸えるわよ。あ」
窓を開けた瞬間、目に飛び込んで来たのは断崖絶壁。街道を真横に分かつ大峡谷だ。
「……怖い」
「でしょうね」
私もここ渡るのは怖い。渡っている最中に橋が壊れたりしたら、なんて想像をしてしまう。橋が壊れたら……そうだ。
「この橋、塞げたりしないかしら」
「どういう事にゃ?」
ぐったりしたレンニュウの代わりに、グリモワール・キャットが応じる。
「この橋が渡れなければ、誰も魔王城に来られないわよね?」
「にゃるほど〜」
橋を封鎖すれば、二人は簡単に魔王城へ辿り着けない。「魔王側が妨害工作をしている」と、二人に思わせるのだ。
とはいえ、最終的には魔王城に来て貰わないと困る。別ルートを確保したい。
「峡谷を渡る橋って、もう一つあったわよね? まだ使えるのかしら」
確か、街道から外れた場所に、もう一つ橋があったはずだ。その橋が、西部との境目近くにあった集落へ向かう、唯一の手段だと聞いている。もっとも、北部は百年前から様子が分からなくなっているので、不便な場所にある小さな集落が、今も存在しているかは不明だ。
「使えるはずにゃ。魔王城で聞いてみると良いにゃ」
それを聞いて安心した。魔王城に戻ったら、橋の塞ぎ方など作戦の詳細を決めるとしよう。勇者様達が使うであろう迂回路も、確認したい。
それから、魔王城で寝泊まりするための準備もしなくては。囚われの姫を演じるのは、勇者様達が魔王城に辿り着いてからで良いだろう。それまでは自由にさせて貰う。
魔王城に着いてすぐ、レンニュウは洗面所へと向かう。
「あら、相変わらず揺れに弱いのね。陛下は」
そう言って笑うのは、例の破廉恥な着替えを用意した悪魔だ。名を、アソという。レンニュウとの作戦会議が無理そうなので、とりあえず、彼女と話し合う事にした。
「まさか、こーんな理由で引き返して来るとは思わなかったわぁ。よく陛下が許したじゃない」
「……? 別に、レンニュウは何も言ってないわよ」
「そう。なら私も陛下に倣うとしましょ。……お姫様はどうしたいのかしら?」
アソは一瞬だけ首を傾げたが、すぐに本題へと入ってくれた。
「大峡谷の橋を封鎖出来ないかと思って。勇者様達には、西にあるもう一つの橋を渡ってほしいの」
「それなら簡単よ。あの橋は外せるようになってるから」
橋を外すとは。
「昔、雪で崩落した事があったのよ。正確には、周辺にある山からの雪崩ね。この国は雪が少ないとはいえ、この辺りはそれなりに積もるわ。それも数年に一度は大雪になる。で、雪崩が起きたのを機に、冬の間だけ橋を外せるよう作り変えたってワケ」
壊れた橋を直すより、遥かに合理的だ。環境整備に余念が無いのは、心配性のレンニュウが指示した事だろうか。……レンニュウを心配したママの判断な気がする。
なんにせよ。
王国よりも文明が進んでやがるぅぅぅっ。