第2話 姫、凱旋せず
王城から魔王城までは一本道。今王城に向かえば、確実に勇者様と鉢合わせる。
一ヶ月がかりで行われたという、最強の勇者決定戦。それを勝ち抜いた彼の腕には、痛々しい傷が残る。その傷を癒す間も無かったのに、私を助けるべく歩みを進めている。ホエイに比べると随分童顔だが、その目には確かな覚悟が宿っていた。
命懸けで私を救わんとする二人に、どんな顔で会えというのか。無駄になるのだ。命を懸ける覚悟も、一ヶ月の激戦も。
意気込んで旅立った矢先に、魔王を従える姫が登場したら、とんだ赤っ恥だ。
「馬鹿みたいだな、俺……」
なんて思わせたくない。
こうなると、もう思考は止まらない。私の意識は、悪い方へと転がって行く。
例えば、二人に多少の恐怖心があったとしたらどうだろう。
「か弱いお姫様が魔王を屈服させたというのに、俺は何て小心者なんだ……」
とか思っちゃったりしないだろうか。
「……レンニュウ」
「帰る気になったか?」
私は、ようやく腹を括った。
「引き返すわよ」
「私も気まずいが……ん?」
「引き返すと言っているの。早くしなさい。二人がこっちに来ちゃうでしょ!?」
私は、御者に化けたスライム・ラクーンドッグを急かした。街道が一本道である以上、距離を取らないと二人に見つかる。
「どうする気だ」
レンニュウは眉間にシワを寄せる。彼は、観念して王城に向かうつもりになっていたらしい。眉間のシワは、馬車の揺れでツノをぶつけたせいでもあるが。
「囚われのお姫様にもどるのよ。見かけだけでも勇者様に助け出して貰えば、私も気まずくないし、向こうも恥をかかないでしょ」
「その場合、私との契約はどうなるんだ? 魔王から救い出されるというシナリオでは、私がお前の配下になれない。囚われの姫が魔王と契約していたらおかしいだろう」
「そ、それは……。追い追い考えるわよ。どこか落とし所があるはずだから」
最後に小さく呟いた「多分」という言葉に、レンニュウが一瞬眉を動かした。聞こえてたのか。気弱で優柔不断な性格だが、細かな事によく気付く。いや、逆だ。気弱で優柔不断だからこそ、些細な事を、些細な事だと思えないんだ。
柄でも無い魔王なんて立場になっていなかったら、私を拐ったりもしなかっただろうに。
「とにかく、領地内の魔物を引き上げさせて。どうせほとんどが元動物なんでしょう? 勇者様達と戦わせるのは酷だわ」
「……分かった」
レンニュウは、まだ何か言いたげだった。でも、結局口にはしなかった。
魔王城への帰還命令を伝えるため、上空にいた魔物達が数匹、散り散りに飛んで行く。
「ダーティー・ラットはどうするのにゃ?」
「どうって?」
名前からして、ドブネズミを元にした魔物だろうけど、何か問題でもあるのか。
「ダーティー・ラットは、こちらで作った魔物ではない。汚物や廃棄物の処理が不完全だった頃、偶然誕生した魔物だ。魔力を持った汚泥に住み着いた事で、魔物になってしまった」
「ネズミの繁殖力は凄いにゃ。いっぱい増えたにゃ」
「私が作った訳ではない故、ダーティー・ラットに命令する事は出来ん。それ以前に、生息域もよく分かっていない。一応、北部地域からは出ないようにしているが……」
命令出来ないというのは困る。これでは、上手いこと魔王退治を演出する事が出来ない。頑張れば突破出来るくらいの、程良い関門を用意するつもりだったのに。
「いっぱい捕まえて、魔王様にあげるにゃー」
「いらん。食料庫に入られたり建造物を齧られたり、あの害獣には困ったものだ。大して強くないくせに、数だけは多い。駆除が追いつかん」
……前言撤回。
「丁度良いじゃない。弱くて多くて駆除対象。二人の行く手を阻むように仕向けましょう。餌を撒いて誘導すれば良いわ」
二人は徒歩で移動している。急いで準備すれば間に合うはずだ。戦う相手がいなければ、二人だって不審に思う。私とレンニュウの関係を隠匿しつつ、害獣駆除も出来る。時間稼ぎにだってなるだろう。何という効率の良さ。利用しない手は無い。
「あ、ネズミなら餌は生ゴミで十分よね?」
何故か向けられる冷ややかな視線。
「貧ぼ……いや、何でもない」
言いたい事は分かる。貧乏臭いという自覚は、私にもあるのだから。しかし、勿体ないものは勿体ない。ペットならともかく、害獣に美味いご飯をくれてやる必要は無い。
母が亡くなってからというもの、すっかり節約志向になってしまった。金銭的な不自由をした事が無かった私には、締め過ぎくらいが丁度良い。
ダーティー・ラットの誘導をさせたり、今後の策を練ったりしている内に、すっかり日が暮れてしまった。さすがに、ここで鉢合わせる心配は無いと思うが、念のため街道から離れた位置に馬車を止める。今夜も車中泊だ。
「そういえば、馬車を引いてる二匹は大丈夫?」
馬車を引いている馬は、御者と同じくスライム・ラクーンドッグ。そろそろ名前を付けて区別したいところだ。他の魔物に引かせても良かったのだが、一般人に見つかった時に面倒が無いよう、何にでも化けられる彼等に、御者と馬を演じてもらっている。
昨日は道の悪い山間部を通り、今日は速度を上げて走っていた。つい急かしてしまったが、結構負担だったんじゃないだろうか。そこまで気が回らなかった私は、まだまだ王女として未熟者だ。魔王城についても軽んじてはいけない。レンニュウから権限を譲り受けた以上、私には責任を果たす義務があるんだ。
「この程度なら問題無い。気になるなら、明日の出発を遅らせれば良い」
「そうね。そうしましょう。……そういえばレンニュウ、あなた自分の意見をちゃんと言えたのね」
ママがどうのと言っていたので、てっきり何も言わず他人任せにするタイプだと思っていた。
「私の意見を採用するかは、リコッタ次第だからな。言葉の全てに責任を負う必要が無いというのは、気楽で良い」
「やっぱりあなたは魔王に向いてないわ。悪の親玉なら、そんなの気にしないで好き勝手したら良いのに」
責任に重さを感じるのは、レンニュウが責任を放棄出来ないからだ。かといって、魔王の重責に耐えうる強さも持っていない。
「魔王どころか、悪魔っていうのが信じられないわ」
「それについては、少々誤解があるようだ。私が悪魔として成立しているのは、私のような性質を持った『人間』を、悪と断じる者がいるからだ」
「えーと、つまり?」
「例えば、何人かの仲間が集まって、悪巧みをするとしよう。練りに練った計画を、いよいよ実行しようという時に、一人だけ怖じ気付いて逃げてしまった。悪巧みは完遂目前でバレてしまい、その場にいた全員が糾弾される。さて、悪巧みの為に集まった仲間達に、『誰が悪か』と多数決を行なったら、誰が悪人になる?」
「ああ、そういう事ね」
人として真っ当なのは逃げ出した者だ。ギリギリのところで良心が勝った者と、計画を実行した者。本来なら、後者の方が悪だ。
しかし仲間にしてみたら、逃げた一人は裏切り者だ。自分だけが、罪も罰も軽く済む。これはある種の卑怯者でもある。この一人を除いた仲間達には、同じ悪事を働いたという連帯感もあるだろう。
裏切り者の末路が示されようという時に、わざわざ進んで裏切り者になる人間などいまい。この多数決は、複数対一人。人として唯一真っ当だった者が、悪人になるのだ。
「悪魔とは、人間が持つ悪の概念そのものだ。悪魔に惨虐なイメージが付いて回るのも、平均的な人間の道徳観念において、それが最も悪辣だからだ。当然、人間が何をもって悪と認識するかは、個人差がある。お前にだって、心当たりがあるだろう? 『善人だが傍迷惑』『真面目だが足手まとい』『人気者だが好きになれない』そんな相手が」
思い当たる人間が、幾人かいる。私だって、誰かにそう思われているかもしれない。万人に愛される人間が存在しない以上、誰もが誰かにとっての悪なんだ。
「神の不寛容、人間の排他性。それらが集結し、特定の誰かへと向いた時、悪魔は生まれる。闇を作るのは、いつだって光だろう。闇に、光を生む力は無い」
だから、レンニュウのような悪魔がいる。
悪魔は、人類にとっての絶対悪。それは事実であって、事実でない。
誰かが悪を認識する事で、悪は生まれる。なら、私はどうなんだ。私にだって、悪いところは沢山ある。例えば、例えば……。ああ、脳が言う事を聞かない。私はそれを、眠気と移動による疲れのせいにした。
「……もう遅いし、寝ましょうか」
眠りに落ちる瞬間、レンニュウが何か言ったような気がするが、意識が途切れるこの状況。聞き取れるはずも無ければ、それを朝まで覚えていられるはずもなかった。