序章2 姫と魔王の対面
扉の閉まる音が、「逃げ場など無い」と私に報せる。
さあ、拝んでやろう。魔王とやらの面貌を--。
室内は、廊下や扉と同じ……いや、それ以上に華やかな空間だった。手入れも行き届いているらしく、大きな金の掛け時計には、部屋の景色が映っていた。
そして、そんな空間に魔物達が並んでいる様は、やはり異様である。
部屋の中央を真っ直ぐに貫く桃色のカーペット。そこは赤だろうと思ったが、口には出さない。カーペットの両脇には、街路樹の如く立つ魔物達。彼等の視線を一身に浴びながら、私はカーペットの上を進んだ。
「さて、娘。私に会いたがっていたようだが、何か用か?」
前方から届いた低い声に、自然と足が止まった。
声の主は、この部屋唯一の椅子に腰掛けている。見た目は四十歳前後の男性。床に付く程長い黒髪からは、二本の角が覗く。彫りが深いというよりは、ごつごつとした骨が目立つ印象だ。身なりも良く、着衣は一切乱れていない。
どんな化け物かと思っていたが、割と渋くて男前だ。
「……私を、理由無く拐ったというのは本当でしょうか」
「ああ」
「動物達を拐って魔物に変えているというのも?」
「ああ」
震える手を必死に抑える。さすがと言うべきか。魔王の威圧感は、他の魔物とは比較にならない。
「なぜ」
魔王の目から視線をずらせない。それどころか、指一本動かない。けれど、このまま黙っていたところで、王城に帰れる訳でもない。私は凍り付いた喉へ、必死に空気を送った。
「あの子達には、大切な家族がいたのよ。ただ人間に管理されていただけの存在じゃないわ。貴方はどういう訳か、飼われている動物ばかりを拐ったわね。野生の動物には目もくれず、種の違いを越えて想い合う家族を、無理矢理引き離した。なぜそんな惨いことをしたのか、合理的な理由があるならぜひ聞いてみたいわ。まさか、私を拐った時のように『魔王らしい行動だから』なんて言わないわよね?」
私は魔王の返答を待つ。その内容次第で、私が次に発する言葉が退室の挨拶になるか、罵声になるかが決まる。
「ママが言っていたのだ。『仲間が欲しくなったらこうしなさい』とな」
「…………」
罵声どころか、言葉にならない。なんだろう、この気持ちは。背中のあたりがゾワゾワする。鳥肌が立ち、寒気がする。魔王の言葉を理解しようと考えれば考えるほど、脳がそれを全力で拒否した。
見れば、魔物達も口が半開きになっている。凛々しい表情で静観していたのが、ウソのように間抜けな顔だ。
私は全身に力を込め、唯一思い浮かんだ語を口にした。
「気持ちわるうううううううううういっ!!」
気付けば拳を握り締め、魔王の元へと突っ走っていた。それをきっかけに、脳がようやく業務を再開した。次から次へと湧き出る罵詈雑言を、魔王の顔面に叩きつける。
「信じられない! 貴方はママが言ったことなら何でも聞く訳!? まさか今までずっとママを基準に生きてたの!? 魔物達への命令も!? 一般人ならまだしも、あなた魔王よね!? 曲がりなりにも王と呼ばれる立場のくせに、自分の頭で考えることも出来ないの!?」
人生初の暴力行為。その相手が魔王になろうとは。殴るだけでは飽き足らず、足も出た。
「お、おいやめないか。ちょ、痛い」
魔王が暴行されているにも関わらず、止める部下はいない。
「あなた、歳はいくつよ!?」
「え? 確か四百……」
「イヤアアア! 気持ち悪いいいい!」
自分の中を駆け巡る嫌悪感。それを拳に流し込む。
「待て待て、これ以上やったらママに言いつけ……」
「まだ言うか!!」
四百歳の脅し文句が「ママに言いつける」とは、これいかに。親子仲が良好なのは構わないが、仲が良いのと依存しているのは違うだろう。
「あの、王女様? 心中お察ししますが、さすがにそろそろ手を止めて頂けますか」
黙って見ていた部下達が、とうとう口を挟んだ。彼等も複雑な心情なのだろう。私は拳を退かせた。
「で。『ママ』は動物を拐って仲間にするよう助言してきたのね? どうして飼われている動物だったのかしら。いえ、野生なら拐って良いという訳ではないけど、野生の動物の方が強いし、邪魔な飼い主もいないじゃない?」
ケルベロス・ドッグを見た時思った。なぜ小型犬なのか、と。野犬だとか狼だとか、もっと強そうなのがいるだろう。あれでは威圧感も何もあったものではない。せっかく強そうな魔物を合成するのに、合成先がアレでは勿体ないように思う。
「野生の動物は、攻撃的で危ないからだ。ただでさえ格上の魔物を合成するのに、私が御しきれなかったら怪我をしてしまうだろう」
「それもママの指示?」
「あ、ああ。ママは魔界に居るが、連絡は取れるからな」
過保護なママだな。まぁ、自分も温室育ちではあるのだけど。
「私を拐ったのは……ママの指示じゃないわね。自分の判断で拐って来たけど、ママの指示が無いから、どうしていいか分からなくなった。って、ところかしら」
「…………」
この沈黙は肯定なのだろう。目も泳いでいる。
多分、この魔王は魔王に向いていない。人間の犯罪者の方が、よほど悪辣だ。優柔不断で度胸が無いから、いつまで経っても前に進まない。やっとこさ一歩を踏み出すと、今度はうっかりミスや詰めの甘さが露呈する。そう思えてならない。
ママにべったりなのは頂けないが、ママのお陰で、魔王としての体裁をギリギリ保っているのだろう。
実のところ、我が父カマンベール王がこういう人なのだ。しっかり者の母が亡くなってからというもの、国の財政は火の車となっている。
「何でこんなのが魔王をやってるんだか」
「成り行きだ」
ただの独り言に、魔王は律儀に返答した。
「ここは、ギー公爵の邸宅だった」
「ええ。知っているわ。大規模な火災で亡くなったのよね? 一族が潰えて、もぬけの殻になった邸宅を貴方達が乗っ取ったと聞いているわ」
およそ百年前、火災という悲劇によってギー公爵は死亡した。円形に近いこの島国は、東西南北に区域が分けられている。北部の管理を任されていたギー公爵が死亡したことで、ミルキィ王国の北部は魔物が跋扈するようになってしまった。
「その情報は正確じゃない。私は、黒魔術にのめり込んだギー公爵に召喚されたのだ」
「は……?」
「魔界と地上では環境が大きく異なる。ここは、私が生きていくための魔力が少な過ぎた。私は本能的に、足りない魔力を補おうとした。結果、敷地内にいた人間がことごとく死んでしまったのだ。火災は誰かが倒れた時、燭台にでもぶつかって起きたんだろう」
魔王は、その身に起きたことを、全て包み隠さず話した。
「私が、人間に召喚された事実を理解した時には、もう誰も生きていなかった。私が彼等の生気を根こそぎ吸い上げてしまったからな。ただ、たまたま外出中で難を逃れた人間もいた。お前達が知っている火災の情報は、そいつらがギー公爵の悪魔召喚を隠蔽した結果だろう。私の姿を目撃した奴もいたようだしな」
確かに、公爵家の当主が黒魔術にはまっていたなど、外聞が悪過ぎる。それに、召喚した悪魔が何かしでかした時には、当然、生き残った者やギー公爵の親族達が糾弾される。知らぬ存ぜぬで通すのが得策だ。
「召喚場所は、屋敷の地下だった。ああ、お前を幽閉していたのとは別の部屋だぞ」
私が気味悪がると思ったのだろうか。魔王は心配気に注釈を入れた。
「地下室には黒魔術の本や、血で書かれた魔法陣。そのほとんどが妄想と迷信に基づく、でたらめな研究だった。まあ、そんな物に気を取られていたせいで、地上の火災に気付くのが遅れた訳だが……コホン。とにかく、だ。私は空になった屋敷をそのまま根城にし、魔界にいた頃の部下を召喚。支配領域を拡大して、魔力源を確保している。少ない魔力源から無理矢理吸い上げるより、あちこちから少しずつ集める方が、対象にかかる負担が軽くなるからな」
やっぱり、この悪魔は魔王に向いてない。魔力とやらを確保するなら、もっと効率の良い方法があっただろうに。ギー公爵家の人間を死なせてしまったのも、彼の本意ではなさそうだ。
「……こんなに、勢力を拡大するつもりは無かった。魔界に帰る術も、地上で生きていく術も分からず、誰かを頼るしかなかったのだ。私は、出来の良い兄弟達とは違うのでね」
魔王は、寂しそうに自嘲した。
きっと、本当にどうして良いのか分からなかったのだろう。不安に駆られて仲間を増やし続けた様が、容易に想像出来る。けれど、仲間を増やせば増やすほど、上に立つ者の責任は重くなる。
そしてとうとう、魔王と呼ばれるに至ってしまった。
人間の世界で生きていくことへの不安、多くの人を死なせてしまった過去。そこに、魔王という肩書きが加わった。
彼にとって、魔王の地位は凄まじいプレッシャーだったのだろう。だからこそ「魔王らしく振る舞わねば」という強迫観念から、私を拐ってしまったのだ。
「魔王。あなた馬鹿だわ。だって、正直に『助けて』と言うだけで良かったんだもの」
私を見上げる目は、驚いたように見開かれていた。
「交渉よ、魔王。あなたをそのプレッシャーから解放してあげる。だから代わりに、あなたの資産と権限を、私に譲渡なさい!」