梅雨前線北上中 前編
歩幅に合わせたスターターブロックの上につま先を乗せる。白線の上で両手を開くと、親指と人差し指、そして薬指が体重を支えて色を失った。
項垂れて目を閉じた。どくんと脈打つ心臓の鼓動が耳元で聞こえる。
大きく息を吸い込んで酸素を身体中に行き渡らせる。ぴきぴきと音を立てて、節々が連鎖的に目覚めていった。吐き出すと身体は少しだけ軽くなっている。
前を見た。
黄土色のグラウンドに、まっすぐ伸びるレーンがひとつ。幅122センチメートルの平行線がサツキのことを待っている。
目指すべき終着点は、百メートル先でレーンを横切っている一本の白線だ。ちょうどストップウォッチを手にした後輩が立っている辺り。そこが目的地だった。どんな時でも一番に駆け抜けたいゴールライン。
サツキの左右には共に百メートルを駆け抜けようとする部活仲間が控えていた。スラリと伸びた腕に、陽光は眩く反射する。同学年の精鋭たちだった。筋肉は無駄なく身体を引き締めていて、実像を持たない闘志をも鋭い刃に変えている。
実力は伯仲していた。前回のレースでは勝てたが、今回もそうだとは限らない。それでもサツキは、一番にゴールするのだと自身に言い聞かせていた。ゴールしなければならなかった。
真に戦うべき相手は隣にはいないのだ。昨日までの自分こそが、目下相手にしなければならない一番の敵である。そのためにはこのレースでトップになることは避けられないことだった。
十二秒五三。サツキのベストタイムだ。久々の記録会となった今日こそ、更新したい記録だった。
「位置について」
スタートラインに立つ一年生の部員が声を出す。再び頭を下げて、サツキは静かに息を吐き出す。
「よーい」
腰を持ち上げる。ぴたりと停止した身体の体重を、白くコースの左右に突き刺さった三本の指が支える。数える拍は二つだ。二つ数えたら火薬がスタートダッシュの合図を告げる。
ひとつ――一気に息を吸い込む。
ふたつ――サツキは前を向いた。
銃を模した激鉄が、紙に包まれた火薬を爆発させる。
瞬間、力の限り踏ん張った両足が、大きく初歩を踏み出させる。
ずしんと踏み出した右足の裏から、衝撃が大腿骨を通って上半身にまで響き渡る。
二歩目の衝撃が突き抜ける。返す反動でいよいよ身体は前へと移動する。
三歩目、身体はまだ完璧には起こさない。
四歩、ゴールを捉えると視界は一気に広がりを持ち始める。
五、風の抵抗が行く手を阻む。
腕を更に大きく振り上げて、サツキは一身にゴールへと加速を続ける。
もっと速く。もっともっと、もっと速く、少しでも前に。
歯を食いしばる。身体が熱を持ち始める。空気は絶えず行く手を阻もうとしている。
それでもサツキは前に進む。進まねばならないのだ。
「霧島先輩、十二秒四九でしたよ」
ゴールして膝に両手を突いていたサツキの頭に、そんな声がかかった。止めていた呼吸を再開して、ズタズタになった筋肉に酸素を供給しながら、サツキはにやりとひとりで微笑んだ。
久々の新記録だった。
窓の向こう側には、空っぽの空が広がっていた。
サツキは窓際の最後尾の席に座って、頬杖を突きながら日に日に色濃くなっていく青空の下のグラウンドを見下ろしていた。初夏を思わせる穏やかな陽射しは、一面の黄土色ばかりを反射してきている。そこに、教室を満たすクラスメイトたちの和やかな喧騒は、まったく見受けられなかった。また風が弱いせいか、畳まれたままの野球のバッグネットはピクリとも動かない。白いサッカーゴールが隅っこに追いやられているために、無人のグラウンドは余計に空虚に見えた。
不意に、少し強い風が吹いて砂埃が生じた。色付いた風は手入れが行き届いているためにひとつも雑草が生えていない地面の上を、数多の人に知られることなくひっそりと横断して行く。
ふと荒野という単語をサツキは思い浮かべた。続けて、生命の姿などほとんど確認することができない、枯れ木ばかりが目立つ荒れ果てた大地の光景を連想した。乾いた風だけが空を満たすその場所に、もしかしたらグラウンドは一番似ているのかもしれない。そんなことをひとりで考える。
サツキが思い浮かべた荒野は、必ずしも現実にそう呼ばれている景色と相似しているわけではなかった。テレビで見た映像や物語からの印象が統合されて、より殺伐としたものとなっていたのだ。文字通り、空想上の荒野がサツキの脳内には広がっていた。おそらく地球上に等しい景色を見ることは叶わない。
しかしながら、サツキにとってその荒野は紛れもなくあるべき荒野の形だった。下手な実像よりも余程リアリティを持った景色だった。空は黒々と膨れ上がった曇天に覆われ、赤黒い大地にはひび割ればかりが走っている。轟々《ごうごう》とそこにある全ての存在を非難するように唸る風に、倒れまいと小さな枯れ木が辛うじて堪えている。それがサツキにとっての荒野の姿だった。また荒野とはそうでなくてはならなかった。
ぼんやりと三階からの窓から見下ろしながら、サツキは殺風景なグラウンドの上にイメージの荒野を重ね合わせる。目の前に広がる景色はあまりにも明るすぎて、ぱっと見ただけでは清々しすぎるものだったが、なるほど、全体的なパーツとしては確かに似通っているところもあるのかもしれないとサツキは思った。思考の中では、強風に煽られた枯れ木がか細い悲鳴をあげていた。
「霧島さん。霧島さん。ねえ、聞こえてるっしょ。おーい」
隣の席から、ケイタは執拗に声をかけてきていた。ぎいぎいと、背もたれに身体を預けて椅子を揺らしながら間延びした声で呼びかけてくる。
サツキはその一切を無視していた。声として認識しようとさえしていなかった。そうすることが最良の手段であるということを、すでに学習していたのである。
代わりに、サツキは黙々と自らの世界に沈んでいく。ケイタの口から発せられる空気の振動から徐々に遠ざかり、赤黒い大地に足を着ける。誰もいない場所へ。誰の声も届かない場所へ。吹き付ける強風がサツキの髪の毛を暴れさせる。サツキはそっとひび割れた荒野にしゃがみ込んだ。両手でぎゅっと固く耳を塞ぐ。
そこに居さえすれば全てを無視することができた。うるさいケイタの声も、退屈でつまらない毎日も、どこか遠いところで起きている出来事に置き換えることができた。そこはとても安心で安全で、孤独な場所だった。関係から遠ざかり鈍感になるのだ、孤独を感じるのは当然の結果だった。ただ、それすらも気にならなくなるほどに、心はどんどん硬くなっていった。
あまりここに居座るのは良くないことなのだろうと、おぼろげながらも当初からサツキは理解していた。しかしながら同時に、荒野で時間を過ごすことは、サツキにとって居心地のいい得意なことでもあった。いつの間にか得意になっていたのだ。いや、もしかすると最初から得意なことだったのかもしれない。
呼びかけ続けるケイタの声にはだんまりを決め込み、窓の外を眺め続けるばかりのサツキの表情は、ともすれば魂が抜けてしまったかのように虚ろに感じられた。そんな、深く自らの世界に閉じこもってしまったサツキに声を掛け続けることに、ケイタはいい加減疲れを感じ始めていた。
最初こそ活き活きとした明るさに満ち溢れていたはずのケイタの声は、もう随分としょぼくれて小さくなってしまっている。避けられていることは重々承知していた。抱いている想いがほとんど伝わっていないのも知っている。サツキと出会ってから痛いほどよく思い知らされてきたのだ。ケイタの声は――いや、ケイタだけじゃなく誰の声であってもそうなのかもしれないが――サツキになかなか届かない。
揺らしていた椅子を止めて、ケイタは背もたれに組んだ腕に顎を載せる。小さなため息がこぼれ出た。
――こんなにも近くにいるはずなのにな。
感傷的に思ってしばらく床を眺めた。それからサツキの姿を見て、まったく変化が見られないのを確認してから静かに目を閉じた。
ぼんやりと、半分以上目が閉じているためにいつも眠そうに見えるケイタは、その外見から察するに相応しく、概ねのことに対してはほとんど興味を示さない人物だった。実際睡眠不足のことが多かったのもあるだろう。会話が面白そうじゃなくなると、途端に顔を伏せて寝息を立て始めることがしょっちゅうだった。授業中はうつらうつらと舟を漕いだ末に、当然のように机に突っ伏す。その度に立たされる。一人立ち上がったケイタは、変わらないぼんやりとした目で黒板を見つめる。
そんなゆるいケイタのことを、クラスメイトたち早々にひとつのキャラクターとして認めていった。元々憎めない性格をしているケイタだった。教師たちも、ケイタなら仕方ないと諦めを込めて特大のため息を吐くようになった。基本的に、話を聞いて居さえすれば質問には答えることが出来たのも、容認されるに至った要因として挙げられるのだろう。加えて、拒むということをほとんどしなかったために、いつもいつも眠そうでゆるいケイタの雰囲気は周囲にすんなり受け入れてもらえたのだ。
しかしながら、殊サツキが相手となると様相は一変する。唐突に納豆よりも粘り強くなるのだ。あるいは、蛇によろしくしつこくなる。密林に住む大蛇がぱちりと眠りから目を覚ました。
返事がこないのならば更に話しかける。避けられているのならば避けられないよう先回りをする。そうやって、なにが何でもサツキの意識を向けさせようとするのが常だった。相手の利害よりも、自らの肯定的な意思を徹そうとするのだ。まずは自分の話を聞いてもらってから相手の意見を聞く。それがケイタという(あくまでサツキに対してだけ)人物だった。
閉じられたケイタの瞼の裏側では、ざわざわと木々が蠢いていた。ぎゃあぎゃあ天頂の見えない巨木の上で、姿の見えない鳥が騒いでいる。どこまでも続く深い密林は、地表まで絶対に光を通さんとしているかのようだ。薄暗い樹木の下では至る所に苔が生している。倒木、古木、剥き出しの木の根、転がる岩々、わずかに覗く土壌――そんな全てを苔が覆いつくしていた。息苦しいほどの湿度が空気に満ちている。緑の屋根に覆われたケイタの世界は、鬱蒼と奥底が知れない存在としてあった。
そんなジャングルの中を、ずるずると巨大な蛇が一匹這い進んでいた。ほんの少しだけ辺りと比べれば開けた場所で不意に動きを止めると、蛇は鎌首をもたげて口を開いた。
『さて、対象である霧島サツキは今回も我々を無視する方針を打ち立てているようである。諸君、いかなる手筈を整えるべきだと考えるか』
がさがさと蛇の周囲で木々が揺れた。
『肩を掴んで揺さぶるというのはいかがだろうか』最初に姿の見えない鳥が高い場所から答えた。
『否、ぼんやりとした視線の先に回って視界を奪うというのもひとつの手ではないか』糸を伝って蛇の目の前に降りてきたクモが意見を次ぐ。
『あまり派手なことをやっては、またいつもの二の前になってしまうぞ』藪の向こうでゴリラが胸を叩いた。
『しかしながら我々は霧島サツキの注意を引きたいのだ』アリたちがざわめきたてた。
『さて、どうしたものか』蛇が再び意見を主導する。
ケイタの意思決定は、このようになぜか堅苦しい言葉遣いになった様々な意見を集約した後に導き出される。降雨激しい潤沢した熱帯雨林で発案される行動は、どれもこれも直接的で荒々しいものばかりだった。
さて、そんなケイタがひとつ息を吸い込む。瞼の向こうに広がる密林での議論は過熱の一途を辿っていた。蛇が議題を投げかけ、鳥がクモがゴリラがアリがそれぞれに意見を出す。何ひとつ反応が返ってこない人物を前にして、我々はどうすればいいのか。相手はサツキである。並大抵のことでは動きそうにないのは明白だった。論議はますます過熱していく。ざわめきは一段と大きくなっていた。
『背後から両目を手で覆い隠すと言うのはどうだろうか』
『それは以前やって手痛い反撃を受けたではないか』
『耳に息を吹きかけるというのは』
『殴られるのが目に見えている』
『わき腹をくすぐると言うのも面白いのではないか』
『おお、脇をくすぐっていいかもしれん』
『そんなことをしたら今後が思いやられるではないか』
『ええい、埒が明かん』
交わされる議論に業を煮やして、蛇が苛立ちをあらわにしてとぐろを巻いた。舌を素早く覗かせながら辺りに目を配り、高らかに宣言をした。
『結論だ。考えるよりもまず行動。シンプルに攻めるべきである』
結局いつもと同じ結論に辿り着いた。
同時に、勢いよく目を開いたケイタは唐突に席を立つ。そのまま未だに外を見続けているサツキの背後に移動した。そっと耳元に口を寄せると(サツキはまったく気が付かない)、大声でサツキの名前を呼んだ。
瞬間、荒野にしゃがみ込み耳を塞いでいたサツキの意識は、凄まじい烈風に晒されて宙を舞った。ものすごく驚いたのだ。椅子は勢いよく床をこすり、飛び上がった拍子に、机に見事なニードロップをかましてしまった。そのあまりの音量に、和んでいた昼休みの教室の空気は一変する。沈黙が電撃のように走り渡った。何事かと、クラス中の視線がサツキに集まる。
じんじんと熱を放つ痛みを両膝に感じながら、サツキはすぐさま自身に向けられた視線の数々に気がついた。思わずしかめっ面で俯いていた顔を上げて、ゆっくりと周囲を見渡す。クラスメイトたちは、一人残らずサツキの方を見つめてきていた。
その多いこと。
猛烈な恥ずかしさに瞬時に顔が上気した一方で、怒りの炎が水蒸気爆発のごとく音を立てて点火する。振り向いて、背後で突っ立っていたケイタを睨みつけた。
「何すんのよ!」
剣幕に、しかしケイタはにこやかに微笑んで、恥ずかしそうに頭を掻いた。ことがうまくいったからである。
「いやあ、霧島さん返事しないからさ、大声出せば聞こえるかと思って」
「大声出さなくても十分聞こえてたよ」
「でも返事しなかったじゃん」
「無視されてたって気づけ、バカ!」
やり取りを、サツキは激しく捲くし立てながら、ケイタは飄々と受け流しながら展開した。そんな二人の様子を見て、ことの経過を推測していた周囲の反応は穏やかに変化していく。大方の人間が、またかと思ったのだ。またあの二人か。
「大体ね、あたしはあんたが嫌いなのよ。嫌いなの。分かる? ずっと言ってるでしょ」
「うん。言われてる」
「分かってるなら近寄らないで。話しかけないで。うざったいのよ、あんた」
「ごめん」
「謝るくらいなら最初から声かけんな! このうすらバカ!」
いつの間にか立ち上がって、食いかかるようにして怒鳴りつけてくるサツキを前にして、ケイタは楽しそうに受け応えをしていた。曲りなりもコミュニケーションが取れていることが素直に嬉しかったのだ。それどころか、怒っている霧島さんの表情もかわいいなあなどと能天気にも考えていた。サツキの放つ辛辣な言葉の意味など、右から左へ、ケイタの脳内を密林に流れる大河のごとく通り過ぎていくだけだった。
――霧島さんって、すごくいい匂いがする。
にんまり微笑みながら、漂う柔らかな花の匂いの原因がなんであるのかが、かなり気になり始めていた。
対する、次々と罵詈雑言を投げつけ続けていたサツキも、この行為が如何に無意味であるかを知っていた。目の前の、ひょろりと背が高くていつも眠そうな目をしている男は、どれほど言葉を尽くして罵り拒絶したとしても、決して挫けることなどありえないのだ。
サツキの脳裏にケイタと出会ってしまってからの日々が思い起こされる。クラスが変わり、新学期が始まったその日から早もう二ヶ月。花壇に咲き誇っていた花々はすっかり種類を変えて、木々は新緑を深めるばかりになっていた。月日が経過するのはあっという間だ。気が付けばもうすでに六月になってしまっていた。
ただ、二人は出会ってからまだたった二ヶ月しか経っていないのだとも言えるのではないだろうか。言えるはずである。そうでなければサツキが困る。確かに、一度しかない一年度の六分の一は消費していた。とは言え、そのおよそ六十日間の間に、同一人物から毎日のように告白され続けるというのはいかがなものなのか。
近頃のサツキには、ケイタからどれほど告白されたかがもう分からなくなってきていた。何せ、新学期が始まり一週間と経たないうちに最初の告白を受けたのだ。昼休みだった。同級生がまだいる教室でいきなり、好きですと言われたのだ。突然のことに、サツキはおろか、教室にいた生徒達も目を丸くした。サツキは短く聞き返すことしかできなかった。
――はあ?
正直何かの罰ゲームだろうかと思ったくらいだ。だが、それからほぼ毎日、ケイタはサツキに付きまとうようになった。
登校し、サツキを見つけるやすぐさま声をかけてきて、無視されることなど露ほど気にすることなく、三言目には好きだと言ってくる。髪を切ろうものならば不躾にも触り、可愛いねと褒めてから好きだと口にする。早々にサツキはケイタのことが怖くなってしまった。なにせ妙に馴れ馴れしく、かつ尋常ではないアプローチを繰り返してくるのだ。四月の後半頃には、学校に登校するのが嫌で嫌で堪らなくなった。好きだの一言が幻聴として聞こえるようになってしまったほどだ。ほとほと重症になってしまっていた。
けれども、すぐに慣れてしまった。どうってことなくなってしまった。原因は、おそらくケイタの口調と頻度にあった。軽度のノイローゼを払拭するほどにケイタの告白は淡白で、サツキにとって日常的なものになっていたのだ。
そう、ケイタの告白はどこまでも淡白だった。ふざけて口にするでもなく、ましてや切羽詰ったような口調で迫ってくるわけでもない。普段の会話の中から、ぽろりとその言葉が出てくるのだった。だからこそサツキはすぐに慣れてしまうことができたのだし、なんの迷いもなく心からケイタを罵倒することができた。良くも悪くも、ケイタの告白は本当に淡白で重くなくて、だからこそ軽々しく何度も耳に入れなければならない羽目になった。
五月に入る頃には、ケイタの存在はサツキにとって誠に迷惑極まりないものになっていた。そのあまりのしつこさにストーカーじみていると面と向かって伝えたこともあるし、気持ち悪いと有らん限りの侮蔑の意を込めて罵ったこともあった。なのにいつもケイタは笑っていた。今この瞬間と同じく、なんら傷ついた様子を見せずに笑っていたのだ。
それをサツキは非常に不愉快に思う。イライラは雷が振り下ろされんばかりに堆く降り積もっている。こいつさえいなければと、もう使いすぎてぼろぼろになってしまった雑巾のように荒廃し始めている想いを、また今日も抱いてしまった。
サツキの視界がスパークする。感情が限界まで昂ぶった。足が勝手にこの場を去ろうと動き始める。
「あれ、どこ行くの?」
「どこでもいいでしょ」
「待ってよ。もう少し話そうよ」
「着いてくんな!」
やり取りは、長い廊下を反響しながら二人が出て行った教室まで届いてくる。嵐が去ったあとで、クラスメイト達は一様に年季がかかったかのようなため息を吐いた。それはサツキに対するため息であったし、ケイタに対するため息であった。
「ほんっと、仲がいいんだから」
そう誰かが呆れたように口にした。




